先週、宝塚にハマッたことを書いた。
その後、YouTubeやDVDで、作品&ショーをチェックしまくった。
トーク映像を見つけては舞台上のかっこよさと素の可愛らしさとのギャップに萌え、同じジェンヌさんを好きな方のブログやコメントを見てはうんうんとうなずいて幸せになったりしている。
ちなみに私が惚れ込んでしまったのは芹香斗亜さん。
きっかけは「カリスタの海に抱かれて」という4年前の作品で、芹香さんはその準主役。気の毒な役所なのだけどステキすぎる。何度も何度も観てしまう。
そんなお目当てが一人いると、自ずとその周りのジェンヌさん達の顔もわかるようになり、面白さも愛しさも倍増。そしてDVD再生をもう一度。なんてことを繰り返して。
ふと思いついた。
私の場合、物語を書くことは、テレビドラマのシナリオを習うところから始めた。そのときに言われたことがある。放映されたドラマから逆にシナリオを起こしてみると、とても勉強になると。
実は、わかっていてもこれまであまり実行していなかった。これ、私にとっては大変な時間のかかる面倒な作業で。
1セリフごとに一時停止しては書き取る。しかしその短いセリフも一瞬のうちに頭から抜け、微妙に違った言い回しになったり忘れたりして、3度も4度も巻き戻しては聞き直し書き直す。
最終的に、1時間ドラマでも10倍くらいの時間がかかってしまい、疲れ果てる。たぶん5作に届かないくらいで挫折した。
その敬遠していた作業を、この「カリスタの海に抱かれて」でやりたくなってしまったのである。芹香さんの役をシナリオに起こしてみたい、と思った。
そして、たまたまこの作品は、長いことお手本と思い続けてきた脚本家大石静さんの書き下ろしだった。もうやるしかないと決意が高まる。
あまりに繰り返し観たので、いくら私でも大まかに覚え込んでいたりする(おかげでずっと寝不足続き)。
なので、まずそらでそこそこ覚えている部分をパソコンに打ち込んでみる。それから映像を見てその言葉尻や順序などを直す。そういった手順で芹香さんが出るシーンは早々と仕上がる。
後はその間を、聞いては止め書き取り、地道に埋めていく。そうして1時間半の演目を、ほぼシナリオ化することができたのである!(歌や群舞シーンの書き方はよくわからないので自己流で……)
1日1時間を何とか捻り出して10日かかった。結局やっぱり上演時間の10倍近くかかり、量は大体400字×100枚くらいにもなったけど、疲れ果てることなどなく、仕上がった達成感にうち震えている。
何だ、このものすごいエネルギー。改めて思い知る。「好き」という気持ちには無限大のパワーがある。面倒だの大変だの疲れるだのの後ろ向きな感情を、一気に払い落とし軽く飛び越える。何に対してにせよ、「好き」を持つことは強みだと確信した。
で、シナリオ起こし。これ、確かにものすごく勉強になる。ただシーン割とか話運びだけの問題ではなく。
例えば、ラブシーン。
男女と言っても宝塚、女性同士だからマイルドなのか、男性のかっこよさを強調してもキザがいやらしくならない品があるからなのか、純粋に「いい! このシーン好き!」と思った。
けれど文字にしてみたら(というより文字だけの時点だと)、めちゃくちゃ生々しい。気恥ずかしくなって照れてしまうほど。
また、信念のぶつかり合いや愛憎のもつれ。観たときはそんなにも激しく感じなかった言動が、紙上だけだと直接的に突き刺さって辛くなるくらいに強い。
そうか。シナリオとはそういうもの。設計図なわけだから、舞台になってみると色合いが変わってくるものなのだ。そのくらい強弱ハッキリ書いた方がいいのだと思った。
ドラマを書くのに必要不可欠と言われ続けてきたことも実感した。人物同士の対立、ぶつかり合い、三角関係、葛藤。背景の重厚な世界感、そのための史実。
これらは全て、私の書く物には欠けていた要素だった。歴史、特に世界史は得意ではなく、学生時代にテストを白紙で出したほど嫌いだった。もったいない……、心底そう思い始めた。
宝塚にはそういったものがてんこ盛り、勉強の題材としてはうってつけだったんじゃないだろうか。
そういうものももっと創作に取り入れてみようという気になった。だからこれから書くものは、少しは変わってくるはずである。成長するはずである……たぶん。
(了)