イチローの引退(19/3/24) | 石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと

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日常で気になったことや、長い物書き志望歴で思ったことをランダムに綴ります。

木曜日、イチローの最後の試合と引退会見を見た。


 昔は尖っていたけれど、最近は態度も言葉も優しくなったように思う。勝負師としては、だから幕引きになったのかもしれない。
 
 ただ、これだけ長い年月の間、人を惹き付けるプレーヤーであり続けたことは、尊敬と憧れはもちろん、同じ日本人として(同じなのはそれだけだが……)誇りに思う。
 
 イチローの長きにわたる活躍はアイコンとして使えると思っている。つまり、何年もに渡る物語を書いたとき、イチローの存在はそれだけで時代背景になるのである。
 
 振り子打法を引っ提げてオリックスで日本一になったことを描写すれば1996年、WBCで不振のため胃潰瘍になってああイチローも人間だったと安心すれば2009年、メジャーで通算最多安打を打ち立てたスタンディングオベーションシーンがあれば2016年。
 20世紀、21世紀、親世代が若かった頃、現代、等々、時代の匂いを書き分けることができるのである。

 実際、日本で首位打者を取ったこと(1994~2000)、メジャーで50歳まで続けると宣言した(2015くらい?)ことを使い、母と息子の二世代物語を書いたことがある。

 それだけ多くの、誰もが「これはあの頃だ」とわかる名シーンを、長期間ずっと生み出し続けてくれていた。

 プレーだけでなく、発言も響くものがたくさんある。

 昔からこの人の会見のたびにずっと感じていた。彼なりの言葉を探し、思っていることをひとつひとつ誤解なく伝えようとしている、ということ。その中に、励まされ、もう少し頑張ってみようと思わせてくれる言葉がどれほどあったことか。

 

 木曜日の会見も、いつものように考え考え話していた。スポーツのジャンルに分類されるイチローが、これだけ「自分の言葉」にこだわっている。なのに、言葉を扱う物書きを目指す私が、それを探して見つけないでどうする。ありきたりに「お疲れ様」とか「ありがとう」とかですませてはいけない。イチローのプレーに、野球への姿勢に、その功績に、その発言や努力やスター性に、どれだけ敬意を持っているかは、より言葉を選んで、自分の切り口で語らなくてはいけない。たとえこの文章をイチローが読むことはないとしても。そう思う。


 その会見で一番沁みた言葉。
「人より頑張ったとはとても言えないが、自分なりに頑張ったとは言えます」。

 アラフィフにもなると、どうしても思い通りの結果が出なかったことも多い。手が届いても詰めが甘かったり、無知でチャンスをふいにしたこともあった。

 人より厳しさが不足していたのかもしれない。努力が足りなかったかもしれない。でも、あれ以上は私にはできなかった。私にはあそこまでが精一杯だった。だからやっぱりもうあきらめるしかないのかな、と何度も思った。

 でも、イチローのその言葉は、ああ私はそれでよかったんだ、とストンと思わせてくれた。まだあきらめなくてもいいんだ、とも。努力も目指すものもレベルが違うことは、重々承知の上である。

 この言葉、座右の銘として、心に刻みます。
 そして、これからのイチローも楽しみにしたいと思います。
 
(了)
 
 

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