プロ野球の日本人選手のうち、4~6月生まれは1~3月生まれの2.5倍もいる。早生まれの選手は非常に少ないというデータである(2009年プロ野球年鑑より)。
これは10年ほど前に、プロ野球を題材に書いた物語の出だしである。
簡単な理屈なのだが、子供のうちは同学年でも4月生まれと翌年3月生まれではずいぶんと体格に差が出てしまう。だから野球にしても他のスポーツなり勉強なり、早生まれはどうしても劣等生になる。
レギュラーは上手い子がなるもの。つまり早生まれでない子が選ばれることが多くなる。レギュラーは試合にたくさん出るわけで、そういった実践経験を積むことで更に上手くなり、元々差があった早生まれとはどんどん開いていく……そういうことである。
もちろん、元ジャイアンツの桑田真澄さんみたいな方もいる。4月1日という早生まれのどん尻でありながら、あの現役時代の活躍である。だから早生まれの全員が全員、埋もれてしまうわけではない。が、不利なことは確かだと思う。
自分も早生まれである。もうすぐ誕生日である。もはや数えるのも面倒な年齢になり、何歳になるのか思い出せん。とか平然と言うほど今は面の皮が厚くなった。けれど幼少の頃は早生まれのおかげでずいぶんと泣き虫だった。
何をやってもクラスの誰よりできない。できないからやりたくない。やりたくないからずっとグズグズ泣いていて、やらずにすませてしまう(思い返してみると、早生まれにかこつけてズルしてたんじゃないかって気もしてきた)。
でも、忘れられないことがある。
小学校1年だか2年のときだったか。担任の先生がずいぶんと根気よく付き合ってくれて、いつもいつも励ましてくれた。
で、図工で何かの絵を描きましょう、といった時間だった。案の定、ぐずぐずとなかなか描き出さなかった自分だが、ちょっと気が向いて画用紙に広く大きく描き始めた。絵の具を淡く塗ったひまわりの絵は、自分でもちょっと気に入った出来映えになった。そうしたらその先生、「○ちゃん、素晴らしいわ。すごく素敵な絵が描けたわね!」と、文言はうろ覚えだが、みんなの前で手放しで褒めてくれたのである。
自分はまた泣いていた。生まれて初めての嬉し泣きだった。
それからだったと思う。何をするにもずっと楽に始められるようになった。泣かなくなった。その先生が「自信」の元のようなものをくれたのだ。
まあ何にせよ、子供の頃はそんな感じで四苦八苦する早生まれ。でも、20代から30代くらいかなあ。早生まれの方がいつも同学年の中で少し若いので、うらやましがられるようになった。メリットといえばメリットである。
が、もう少し年齢が進むと、1年未満の違いなんぞあってなきが如し。誰かと何かの差があるとすれば、それまでの努力や経験に裏打ちされた人徳とか懐の深さとかだろう。
早生まれだからこそ、負けるもんかと踏ん張った方も多いと聞く。自分にそんな根性はなかったが、気持ちはわかる。
早生まれ、頑張れ!
(了)