先週、ヨーロッパ方面に旅行に出た際のオドロキを書いた。書き切れなかったオドロキを続けてみる。
街を歩いてバスに乗ろうとした。旅先で必ずやってみたいことの一つである。
ガイドブックを見ると、乗る前にバス停で切符を買う、となっている。が、切符を買う機械がどこにも見当たらず、ウロウロ。すると、近くにいたお兄ちゃんが「Ticket? Touch this」と教えてくれた。何と、広告板に見えた設置物が、タッチすると広告から切符売りに切り替わるのだった。お兄ちゃんは「How many? Two?」とさっさかリードしてくれ、無事買って乗車することができた(英語はテキトーな再現です)。
彼はこちらが「Thank you」と言うのも待たずいなくなった。着崩した服や髪型がお洒落で、でも日本だったら学校で問題児に分類されそうなタイプに見えた。それが、ごはんを食べる前にはいただきますを言う、くらいのごく当たり前な感じで手助けをしてくれたのである。
また、トラムに乗ったときのこと。降りる駅が近付いてブザーを押した。すると、運転手さんがマイクで何かがなり立てた。途端、乗客みんなの視線が一斉にこちらに向いた。
何? 何かやらかした? 焦ってもマイクの声は何語かも不明でサッパリわからん。そしたらすぐ横にいたお婆さんが何やら運転手に言い返し、さらりと降りていった。それでどうにか収束。
一体何だったんだ? と、よく見ると、押した赤いブザーには「emergency」(たぶん旅行客を意識して英語)と書いてある。えっ、非常ボタンてこと? 更によくよく見ると、それよりずっと押しやすい位置に緑色のブザーがある。……あれ、こっちを押すんだったの?
想像であるが、「何かあったのか? 具合でも悪いのか? 緊急ブザーを押したのは誰だ!?」みたいなことを運転手が言い、こちらが「???」となっていると「いたずらするなっ」と運転手が怒り、そこでお婆さんが「外国人の観光客よ。間違いなんだからそれでいいじゃない」……みたいな経緯かと。このときも、当然のようにフォローしてくれる方がいたのだった。
またトラム内では、「優先席」と書かれた席(読めなかったけどおそらく)があった。若い女の子が座っていたのだが、年配の女性が乗ってきたら即座に立った。そしてその年配女性は即座にそこに座った。「どうぞ」でも「ありがとう」でもなく、一瞬のことだった。つまり、その席は空いていたら座っても良いが、座るべき人が来たらどくのが当然。それは「親切」ではなく「must」なのだ。という風に見えた。
30年前の旅行でのことも思い出した。突如連れと別行動することになったが、英語すら通じない地。一人で立ち悩んでいたところ、現地のおじさんに声をかけられた。40~50歳くらい? 案内すると言ってるらしき片言英語。今ならおっかないと逃げるだろうが、当時20代の怖いもの知らずだった自分は乗った。おじさん、あちこち名所につれてってくれ、現地の人と調整が必要であればやってくれた。お互い怪しい英語でのコミュニケーションで巡った半日は新鮮だった。最後は手を差し出され、握手して別れた。終始紳士的だった。
困ってる風な人がいたら普通に教える。フォローする。年配への尊敬といたわりは絶対的。できるヘルプならするのが当たり前。そういった配慮が習慣として根付いている。
たかだか数日観光に行っただけのことで、その感じ方が正しいのかどうかはわからない。けれど「お・も・て・な・し」という言葉を高々とスローガンに掲げなくてはならない日本は、そういう面では遅れているのかな、と思ったりしたのだった。
(了)