千葉テレビで再放送されていた「太陽にほえろ!」が、先日このタイトルの回をもって放送を終了した。ボンボンというあだ名の若手刑事が殉職した回である。
40年ほど前、本放送を欠かさず見ていた自分、この番組へのハマり方は尋常でなく、特にこの回をリアルタイムで見た後は灰になった。ボンボン刑事の大ファンだったのである。
簡潔にあらすじをつまむと……
目の前で自殺しようとした女性を思い止まらせたボンボン刑事。しかし彼女は翌日自殺。実は恋人の男に殺されたのだった。男は強盗犯。盗んだ宝石は彼女の妹に託されており、妹が危ない。ボンは一人で妹を追っていくが、彼女と共に銃弾に倒れる。彼女を救うため、瀕死の重傷ながら力を振り絞って電話ボックスに向かう。そしてようやくたどり着いて電話がボスに繋がったとき、安心感で事切れる……。
あああ。
当時、どれだけ泣いただろう。ビデオなんてものは我が家にはまだなく、カセットテープに録音した音だけを繰り返し繰り返し聞いた。時と共にその回数が減っても、5年ほどは毎月13日は喪に服す意味で必ず聞いた。おかげで今でも、次にどんな音や音楽、誰のどういったセリフが来るかわかるのである。人の名前や昨日のごはんすら思い出せない昨今でも、これだけは事細かに暗唱できる。あの頃の記憶力は侮れない。
ただ、数十年が過ぎて、変わったなあと思うことがある。
目線だ。
あの頃のボンボンは自分の憧れのお兄さんだった。大好きで大好きで彼氏になってもらいたいくらいの夢中度だった。だから死んでしまった時には、恋が終わった喪失感で脱け殻だった。ボンがあんな女を助けて死ぬなんて、と、妹役の根岸とし江(現根岸季衣)を恨んだものだった。
大体ね、前半でボスがボンを褒めちぎる。人の命を助けるのも俺たちの仕事。それを忘れなかったお前を誇りに思う、なんて。それが嬉しすぎたボンは、もう一度やろうとして命を落とすのだ。上司、褒め方考えなきゃダメだろ! って、もう相手構わず八つ当たりした自分。
そんな少女も今やもうアラフィフである。アラフィフになろうがアラカンになろうが憧れは変わらない。けれど今回久しぶりに視聴して思ったのは。妹を助けようと電話ボックスまでの長い距離を必死でたどったシーンに涙したのは同じ。(当時はケータイなんて影も形もない。助けを呼ぶなら電話ボックスへ行くしかなかったのだ)
でも。
もういいよボン。頑張らなくてもいい。お願いだからそのまま動かないで安静にしてて。無理しないで。少しでも長らえて。20歳そこそこの男の子が、血まみれで辛くて苦しくてフラフラなのにあんな遠くまで行こうとするなんて、もうやめて。
そう思ってしまった。
完全に親目線である。
昔は同世代目線だった。「ボン、頑張って!」と思いながら見ていた。
ああ、こういう風に見方は変わっていくんだなあ。そういえば、同じ映画でも本でも昔とは感じ方が変わった。そう思うことが増えている。それはそれで面白いけれど。
ところで、この番組は殉職が目立つし、長寿ゆえにそれが一つの区切りにはなっているけれど、他の話も秀逸なものが多い。見直してみると、現代にも通じる問題を40年以上も前にすくい上げ、鋭く斬っている傑作が数多くある。ここで終わらせてしまうなんてもったいない。続きでなくても、マカロニからまた始まってもいいなあと思う。
千葉テレビさん。伝説の刑事ドラマの放送、再開しませんか。
(了)