同じ物なのに(18/1/21) | 石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと

石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと

日常で気になったことや、長い物書き志望歴で思ったことをランダムに綴ります。

 以前観て気に入った映画だからまた観よう。そう浮き浮きして観たのに、「あれ?」と思ったことが何度かある。

 

「ミセス・ダウト」もその1つだ。故ロビン・ウィリアムズ主演。離婚した男が、愛する子供達と離れることが耐えられず、女装して家政婦として潜り込むという話である。

 

 最初にこれを観たのは、映画館だったと思うので、1993年。25年も前のこと。とにかくロビンの女装っぷりが見事で、コメディアンのセンスを目一杯堪能し、心の底から大笑いした覚えがある。だから大好きな映画のうちの1本だった。

 

 ところがである。10年ほど前だったか、テレビ放送で久し振りに観たら……笑えなかった。というより腹が立ってきたのだった。

 もちろん、ロビンの女装もコメディアンぶりも、何の文句もない。再度観ても感心した。だけど全く感情移入できなかったのだ。

 

 この主人公、大人になっても「童心」を持ち合わせている。というより童心120%。それは子供と同じ心で遊べるという特技でもあるが、仕事を感情的に辞めたり、はた迷惑を考えないなど大人げのなさに直結。

 奥さんの留守に子供達と大騒ぎをして、家はぐちゃぐちゃ、近所から苦情。仕事で疲れて帰ってくるのにそういうのの後始末は全部奥さん。こんなん、離婚を突きつけられて当然じゃないの。


と、二度目観た時は思ってしまったのだ。一度目にはまったく引っかからなかったこういうシーン。最初観たときは他人事だったということか。普通にロビンの視点で、または子供の視点で、「別れて暮らすの可哀想だな」とか「そこまでしても側にいたいのね」とか素直に共感したのだから。

 

二度めは自分がサリー・フィールド演じるこの奥さんくらいの歳になり、だからもしこういう男が旦那だったら、と、そういう視点になっていたのだろう。大人なのに子供と同じ精神レベルでよしとするこの男を、叩き出す気持ちの方に共感してしまった。

むしろ、演じているミセス・ダウトのような節度と思慮深さを、どうして夫として見せないのだろうと、不思議に思った。

 

こういう現象、映画だけでなく本でも漫画でも同じ。あの頃「いい」と思った物が、視点が変わってそう思えなくなったりする。悲しいような、寂しいような。


でも、何度読んでも面白い、と思えるものもある。例えば「ベルばら」(最近文庫を揃えてしまった)。

ただ、やっぱり視点は変わっている。昔は華やかなドレスや恋愛模様に夢中になった。でも今は、オスカルの心理の変化とか、時代に翻弄される市井の人々の悲しさとか、そういうのにすごく感じ入る。

名作だ。一粒で二度どころか、無限の種類の美味しさを今後も感じさせてくれる作品ではないだろうか。


ターゲットが男か女か、ティーンなのかアラフォーなのか、泣きたい人向けかスッキリしたい人へなのか。物語はそれを定めて書くべき、と教わった。それがスコンと腑に落ちた。同じ物なのに、自分自身といえども年齢や状況によってこんなに受け取り方が変わってくるんだから、と。

 

(了)

 

 

 

 

 

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