自分の人生は自分の足で歩く
おかじゅんです。只今、仏教の勉強中瀧本光静お上人よりお釈迦様の教えを学びます。前回の続きから思っちゃいけないそんな事考えちゃいけないこれは悪だと感じて蓋をしていた心をしっかり見つめてみるその怒り、悲しみ、むなしさこの感情のもっと奥にはずっと ずっと奥にはなぜそのように思うのか元となるもの父や兄弟に対する歪んだ愛情がありました父らしく、兄弟らしく私を大切に扱ってほしいとの希望私は父や兄弟を丸ごとそのままの彼らを愛さずに父だからこそ、こうであってほしいと思う歪んだ愛着です自分の心を見つめるとほんのすこーし楽になりました。具体的な問題は解決していないていうか実に問題は物、金、人に対する「執着」なんです。知ってるのに、学んているのに腑に落ちてなかった執着父は今日言った事を明日同じ様に言うとは限らない光静先生の言葉は私の心の分岐器でした。それは急に180度曲がれないけどじわりじわり方向を変えていく。ずっと続いてた頭の中のジーンとしていた耳鳴りはスパーンと急に晴天になるではなくじわりじわり薄らいていきます。ゆっくりでいいんだなあ長い事拗らせたんだから一歩一歩噛み締めながら先生からの言葉のギフトは「自分の人生は自分の足で歩く」「人は生きてるだけていいのよあかんかったら死ねばいい」「流れにまかせたらいい」「宇宙を丸ごと信じて良い事しか起きないから」瀧本光静先生のブログ↓今を感じるための贈りもの一番短いお説法