正解を選ぶ秘訣とは? | 迷えば原点

迷えば原点

医療法人翠章会 すまいる歯科 理事長・山村洋志明が書き綴ったブログです。

「あ~!!やっぱりあっちにしておけばよかったぁ!!」

よく聞くフレーズですねぇ~(苦笑)

ジュースの選択から、人生の選択までいろいろありますが、本質的には同じことです。
そんな話を今からします。
面白くない、深めの話ですので、ご興味のある方だけどうぞ。あまり面白くないので・・・(苦笑)

はじまりはじまりぃ。。。




いきなりで申し訳ないですが、最近おもうのですが、日常の選択で迷うことのほとんどが2択になるとおもいませんか?
もちろん、3択、4択ということもあるのでしょうけど、今までの僕の人生を振り返ってみても、3択以上というものはあまりなく、結局は2択にまで絞り込めるのです。

でも、そこからの選択決定がむずかしい・・・

正直、今日、遊ぶかどうか?ということに始まり、
勉強するかどうか?
愛想笑いするかどうか・?
スポーツはサッカーと野球どちらにするべきか?
コーラとスプライトだったらどっちにするか?
大学受験は理系か、文系どっちにするかどうか?
歯科医師としてこの場所で開業するのか、あの場所で開業するのか?
直近の問題で言えば、今の規模でいくのか?それとも増築するべきなのか?(増築することに決めたのですが・・・)


YES、NOひっくるめて、2択まではいけるような気がする。

でも、2択まで絞り込んでからがむずかしい。

ここからは哲学的になりますので、すみませんが(苦笑)
私としては、今までの僕の人生は間違っていなかったと思っています。
念のためにいっておきますが、間違っていないことと、正解していることとは違います。
人にとっては正解かもしれないが、私にとっては正解ではない場合だって多々ある。

そこが、今回のテーマの真芯といえるのだが。

私の考察によると、
自分が過去に選んだ答えが、間違っていたのか?いないのか?ということについて言えば、現在の自分の状況を見た他人および、自分が評価するところにあるわけです。

すなわち!

その瞬間での選択が、間違っているか?いないか?という問題に焦点が当たることはほとんど意味をなさないことであり、そんなことよりも、過去の自分が選んだ選択肢が間違っていなかったと、未来の自分が証明してあげることの方が重要なのではないか?と感じているのです。

私のような小僧でも、このようなブログだとか、講演などやらせていただいていますので、時折、相談してもらえることがあるのです。

「この選択が正しいのかどうか?アドバイスをください!」と。

う~ん。
正直、短い時間では細かい背景までをつかむことができませんので、どちらかが正解に近いのかを正確に当てることは、正直厳しいかもしれませんが、でも、相談にきてくれる方は本気で真剣ですので、私の足りない脳みそフル回転でお答えさせていただいております。

ただ、必ずお伝えさせていただきたい想いがあります。

それは、、、

「10個の選択肢の中から、正解を選ぶことは正直、ギャンブルですのでうまくはいかないと思うのですが、あなたが真剣な想いで2個まで絞り込んでいるのなら、どちらの選択肢も正解になりえるポテンシャルは持っていると思います。だから、あなたが信じる方を選んだ方がいい。あとは、あなたが選んだ選択をあなた自身が正当化してあげるために、不屈の努力と情熱で問題に向き合うことが大事かもしれない」と。



誰でも迷う。

僕も、いつも死ぬほど迷う。

そして、選んだあとにはいつも、

「もう少し、別の選択肢があったのではないか?もっと最善を尽くせたのではないか?」と、苦悩し、頭を抱えることも少なくない。

でも、そんな悩みを感じたときには、このように考えるようにしています。
それは、例えもしも、今の僕がもう少し成長したとしても、また別の可能性のある選択肢が増えるだけの話で、その状況の時に「最良の選択に悩んでいる」ことは、本質的には今となんら変わらないのではないか?ということなのです。

選択に迷わなくなる瞬間などは、実はこの世には存在しないのではないか?



時代は劇的に変化し、混沌とした世界は歩みを止めることはない。


だから、その時その時での「もっともベストに近い選択」をするしか他ないのです。
これは「ベター」という意味ではないのですよ。
極限的に、精神的にベストに近い選択という意味です。
「ベター」に逃げてはだめです。
あくまでも、自分の中から絞り出される「ベスト」にこだわりたい!

この考え方は、一方で
「完全無欠の正解など、この世には存在せず、それを待っていたら時期を逸する」ということにもつながるメッセージです。

誰でも、不完全な状態で、最終決定を下さなければならないのですよね。
そもそも、完全な状態などは、この「自然界」では存在していないのではないだろうか?

だとすれば、不完全な中で、自ら決断し、それを正当化するために、努力し続けること。

このことこそが、実は「正解を導きだす勝利の方程式」なのではないだろうか?

まとめますと、

正解の選択肢というものは、この世には実は存在せず、当事者が、未来からふりかえって見てもらった時に、正解だと思ってもらえるように、獅子奮迅の努力をすること。
正解を導きだすことが重要ではなく、「俺が正解にさせるんだ!」という気迫と努力が重要なのです。



あるドラマで次のような台詞がありました。

「諸君らは昨日の専門家かもしれんが、明日の専門家ではない!」というフレーズです。

まさにその通り。

「明日の専門家」など、この世にはいない。

だから、『昨日の自分の努力や決断を証明するのは、今日の自分しかいない!』ということです。



人は誰しも迷うものです。


僕はいつもケーキ屋さんでケーキを食べるときに、飲み物を
「ダージリンティー」にするのか、「アールグレイ」にするのかで、ものすごく迷う。
でも、最後はいつもアールグレイにしている。

そして、結局いつもアールグレイにして良かったという気分になる。

なぜだかわかりますか?


それは、僕はアールグレイに合うケーキを選ぶからです。

以上、くだらない例えでしたが・・・
本質的には、言いたいことが伝わるでしょうか?
選択も大事だが、その後にどのように動くかで、未来は変わり、評価も変わるのです。
その人自身の、覚悟の問題か・・・




選択とは、非常に難しい行為だと思う。
現在進行形で考えると、そのときそのときの「選択」が正しかったのかどうかは誰にもわからないのです。

でも、「自分の選んだ選択」を「正しい選択」に昇華してあげるような努力はできるはずですよね♪
その努力は、選択するか否かで悩み、迷っている状態よりも、よほど健康的であり、前進しやすい状況だといえる。


「慌てず急げ!」

これは、「熟考し、でも、素早く動け!」という意味です。

たとえ、紅茶の選択ひとつでさえも、それを正しいものとしてあげられるのは、今の自分にしかできないのだから・・・






お正月から重めでごめんなさい。
31日がアホみたいなブログでしたので・・・(爆)