「ただいま 鈴鹿 おかえり 日本グランプリ」
これは、鈴鹿市内のありとあらゆるところに設置されていた、「のぼり」の言葉です。
鈴鹿にF1が帰ってくるまでの3年間。
地元の人も、関係者もどれほどの思いを持ってすごし、今日、この日を迎えることができたのか・・・
想像するのも失礼なくらいです。
こんばんは。
山村です。
1990年、鈴鹿でのF1グランプリにおいて、鈴木亜久里さんが日本人初の3位表彰台を獲得したときから、F1の魅力に取りつかれ、それ以来、僕は7~8回、実際に鈴鹿でF1を観戦してきました。
F1を目の前で見ると、2つのことに気付きます。
まずは、「音」
いつもは、騒音でしかない車のエキゾーストノートが、まるで、アーティストの奏でる音楽のような音色に聞こえます。
そして、ふたつ目は、「色」
F1マシンはカラフルな色に装飾されていますが、それが300キロのスピードで目の前を駆け抜けると、空気と色が混じるのです。
きれいな残像を残して。
だけど、2年前、そんな鈴鹿のF1が僕たちの前からいなくなった・・・
日本人の、いや、世界の人の当たり前の基準であった「F1=鈴鹿サーキット」
あまりにも自然で、当たり前と思っていた基準。
それが2年前に、突然目の前から忽然と姿を消しました。
それは、F1日本グランプリが、「富士スピードウェイ」に変更になったからなのです。
今まで、当たり前にあったものが、突然目の前からなくなる感覚。
空虚な気持がしました。
僕の青春時代。
F1グランプリのチケットは、いい席で見ると、5~6万円くらいします。
必死でバイトして、貯めた、なけなしのお金で観戦していたあのころ。
F1観戦は、帽子や旗、服なども、盛り上げのためにどうしても必要ですから、あっというまにバイト代は吹き飛びましたが、まさに僕の青春でした。
別に、富士スピードウェイに移っても、行けばいいじゃん。と感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、なにか、行きたくない気持ちになっちゃうんです。
僕にとっては鈴鹿が聖地だったので・・・
ある雑誌で、僕の心を代弁している記事がありました。
「F1日本グランプリは、モータースポーツの聖地鈴鹿で常に開催されるものだと信じて疑わなかったという驕りの気持ちが、鈴鹿からF1日本グランプリが去ってしまった要因だったかもしれません」
この記事を見て、人間というのは常にそういう危機に面しているのだと、強く感じました。今の僕の周りに存在するもの・・・
人であり、ものであり、空間。
そのすべてが、自分の中で勝手に「存在して当たり前」という「驕り」の気持ちになっていやしないか?ということにです。
失ってみないと、人というのは、その大切さに気付けないのか?
そんな言葉を自分自身に投げかけます。
富士スピードウェイに権利が移ってしまったとき、鈴鹿サーキットでの日本グランプリを復活させるために、多くの人々が必死でがんばりました。
そのがんばりがあって、FIA(F1の総本山)が、異例中の異例で、鈴鹿と富士での隔年開催を決めてくれました(その後、富士は撤退を決めましたが)
3年ぶりに帰ってくる、「聖地鈴鹿」での日本グランプリ。
「ただいま 鈴鹿 おかえり 日本グランプリ」
この言葉は、鈴鹿開催を復活させた多くの英雄たちの心からの言葉であり、僕たち鈴鹿でモータースポーツを学んだ人間たちの心を震わせる言葉なのです。
今日、鈴鹿までのバスの中、多くの地元住人の方が、おそろいのTシャツを着て、町中のゴミ拾いをしていました。
多くの出店で、外国からの観戦者に対して、いつも声かけをしていました。
片言の英語で、必死にコミュニケーションをとっていました。
その姿が、失くしたものの大きさに気付いた人間が、それを本当にいとおしく思う姿に重なって仕方ありませんでした。
「もう二度と、この町から、F1グランプリを失くしてはいけない」
町中の心がひとつになっている、そんな光景でした。
僕は思うんです。
人間にとって、一番幸運なのは、「今一番、大切なものがなんなのか?」ということに気づくことができる人であると。
そうであれば、大切なものを失うことはないから。
でも、人は、常に間違いを起こす生き物であり、時には、失くしてしまうこともある。
だって、人間だもん。
大事なのは、失ってしまいそうな時にその大切さに、誰よりも強く気付き、改善し、魂を投入することができるかどうか?
だって、人間だもん。
正しいと思ったら、駆け抜ければいい。
間違ったなら、訂正して、反省して、やり直せばいい。
心をこめてさ。
鈴鹿の人々、そして、モータースポーツファンの人々の心に、打たれ、多くのことを学んだとても重要な一日でした。
鈴鹿に帰ってきてくれて、ありがとう!
最高のFIグランプリでした!!
秋晴れの最高の天気でした!
お約束です(笑)
一応・・・
やっぱり、かっこいい!!


