「徳」である。
最近、おぼろげながらにわかってきたこと。
「貯徳精神」
ニュアンスは、「貯金」と一緒。
お金を貯めるように、「徳」を貯めるのである。
4月の中旬に、名古屋で聴かせていただいた対談で、初めて聞いた言葉だった。
5ヶ月経って、自分なりの意味がわかってきたつもりだ。
「何を言うかではなく、誰が言うかだ」
この言葉は理解できたが、それではその「誰が?」の判断基準はなんなのか?
ずっと、もやもやしていたが、
わかった。
ようやくわかった。
「徳」だ。
数値化できないのが残念だが、人間それぞれに「貯徳」のバロメーターがあり、それを人はおぼろげながら、感覚としてみているのではないだろうか。
「見返りをもとめないこと」という概念を僕が若いころには理解できなかった。
「そんなの偽善者やろ!」
そう思う時期もあったと思う。
でも、スタッフや、周りの人々がたとえば、僕を見たとき、僕の話を聞いた時に何を基準に判断するのかを考えたとき、
僕の話すことなんて、本を読んで、先輩の方々から教わり、学んだことを話すわけで、そんなものは生意気にわかったふりをして、できることなのだから、たいして重要ではない。
では、何で判断するのか?
「徳」しかない。
この人が、人に対して、社会に対して、どのように生きてきたのかをみることでしか人を判断することはできない。
損得勘定でしか動くことのできない人間には、少したりとも「貯徳」はできない。
正しいと思ったことに真摯に向き合うこと、
どんなに辛くても、自分に負けないこと、
人に良い影響を与える行動をすること。
どんどん「貯徳」される。
自分勝手に、人のことなんか関係ないという風に動く人は、どんどん「貯徳」は目減りしていく。
人が人を判断するときの基準は、お金でも、名声でもない。
その人が生きてきて、貯めてきた「徳」がどれだけあるのかをおそらく人は評価するのだろう。
スタッフがついてこないとき、自分の思い通りにいかないとき、自分の正論が通用しないとき。
「徳」が足りないと思った方がいい。
だって、何を言うかなんて、はっきり言って、関係ないから。
「貯徳」している人に、周りはついてくるのだから。
「貯徳」している人を信頼するのだから。
「貯徳」している人だから、その言葉に重みがでるのだから。
「徳」を貯め続ける人の周りに、人は集まる。
ショートスパンで考えてはダメ。
そんなに簡単には「徳」は貯まらないから。
小手先の知識で人をひっかきまわしてはダメ(僕だね、きっと)
「何を言うかではない。その人がどんだけ「貯徳」しているかだ」
5ヶ月経って、やっとわかった。入口ぐらいだけどね。
これから、さらに深く勉強していきます。