褒めることと、叱らないことの違い(前編) | 迷えば原点

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医療法人翠章会 すまいる歯科 理事長・山村洋志明が書き綴ったブログです。

みなさんこんばんは!

岡崎市・豊田市の歯医者 すまいる歯科の山村でございます。

今日は、かなり真面目な内容で、僕自身の講演の時のために、隠し玉にしておくつもりの内容だったんですが、「ギブ&ギブ」の精神で(N山さん、メールありがとうございます)、今日は公開しちゃう内容です。

だから、ぜひとも、はりきって読んでくださいね!!

いくぜ!!






従業員を育てる時に重要なことは、「褒めること」だ。

それについては、様々な経営書籍で語られている。

紛れもない事実だと、僕は認識している。


ただ、そのやり方を間違えてしまったら、逆効果になりかねないことも忘れてはいけない。

なぜなら、世の中には「褒める」ということを勘違いしている人が多くいるように感じてならない。



「褒める」ということは実は大変難しい。

それなのに、経営系の話になると、
「あ~、あれね。褒めればいいんだよ。褒めれば」

なんて、びっくりするぐらい意識が低い経営者も現実に存在するから怖い。



1度や2度なら、誰だって相手を褒めることはできる。

でも、それが毎日、顔を合わせるスタッフだったらどうだろうか?

果たして、「褒め続けられる」のであろうか?


どんなにボキャブラリーが豊富な人でも、限界がある。

似たような言葉を連呼するような展開になりかねない。

そしたら、褒められている側は、同じ言葉を言われることとなるわけだから、そのうちその感覚が麻痺してくるのである。


褒められても、あまりうれしくなくなるのだ。




相手を褒めても、喜ばれなくなるようだったら、言う方も、躊躇し始める。


そして、言葉が見つからなくなり、やがて、褒めなくなる。


だって、「褒める側」だって、言って喜ぶ姿をみたいのだから。(まぁ、そこが自己満足の世界なのかもしれないが・・・)



だから、「褒め続ける」ということは、決して簡単なことではなく、言う側にこそ、ものすごい覚悟がいるのである。



僕自身、よく近い人から、そして業者さんから、褒められることもあるのだが、多くの人は、心から褒めてくださるのだが、中には、薄っぺらな褒め言葉を並べる人がいる。


僕は、そういうところに敏感なので、正直、いい気分がしない。

身をもってこの件は体感している。




と、するのなら、「褒める」という行為自体の信憑性が問われることになる。






だったら、いったい、「褒める」とはなんなのか?
どんな意味なのか?




答えは意外とシンプルだ。




それは、





「褒め方」



なのである。



更にわかりにくくなるのかもしれないが、違う言い方をすれば



「事実の確認」なのである。





例えば、よく世間で言われるところの



「これぐらいの経験をつめば、このくらいはやってあたりまえ」



という人(上司)が、実は意外に多いのである。




僕に言わせれば、「驚天動地」だ。



この世の中に、「当たり前」なんていうものなど、存在はしない。



歯科医院でたとえるのなら、患者さんに良い対応ができたとしましょう。
または、上手に「歯の型」がとれたとしましょう。



入社して3ヶ月の新人さんが親切に患者さんに対応できたときは、たいていの上司は「褒める」でしょう。


でも、



入社して5年経った従業員が、患者さんに対して親切にできたことに対して、なぜみんな褒めないのか?



前述したように、それを



「これくらいできて当たり前」




という風に考えて、なにも言わない人がいる。





とんでもない。





従業員さんが、患者さんに接するときのその気持ちに、入社3ヶ月と、入社5年目との間にはたして「差」があるのだろうか?







無い」と、僕は思う。





なぜなら、僕だってそうだから。






歯科医師になって、1年目の時に患者さんから

「麻酔の注射が痛くなかったです」

といわれるのと、


開業してからだって、

「麻酔の注射が痛くなかったです」


と、言われるのは、自分にとっては何年たっても変わらずにうれしいことであって、


そういわれたいと願うことに、「1年目の時の気持ち」と、「現在の気持ち」になんの変化も無いからだ。

むしろそう言われたいと現在の方が強く思っているのかもしれない。


疲れてるので(笑)



(まぁ、冗談は少しにしておいて)




つまり、自分がこだわっている事や、自分の気持ちが入っている事については、何回、何百回、褒められたって、いつもうれしいのである。
元気がでちゃうのである





だって、そこにこだわっているから。


それを認めて、評価して欲しいのだから。




逆に、自分が得意としないことや、あまり意識していない部分で、何回も褒められると、はじめの1回や、2回はうれしいかもしれないが、その後何回も同じことを言われると、

「この人、ちゃんと僕をみてるのかな?」



という気持ちになって、逆に不信感を抱くのかもしれない。




だとするならば、ベテランの従業員さんだって、ある分野にこだわってやっているのなら、現在の自分の状況・結果について、「褒められる」というニュアンスの「事実の確認(評価の確認ともいう)」が欲しいのではないだろうか?




自分が、今、気持ちをこめてやっている仕事に対する、評価をして欲しいと人は誰しも思っているのである。




飾った言葉なんてひとつもいらない。



究極的に言えば、



「ありがとう!」



で、いいのである。




褒め言葉ではないが、「ありがとう」は自分の仕事や行為に対する評価とうけとれる。
下手な言葉よりも、いたってシンプルであるが、はるかに破壊力のある素敵な言葉である。





まとめよう。



できない子が、できるようになったときに「褒める」ことは、誰にでもできる。



問題は、できる子が、できることをやってくれたときに、どのような言葉をかけるのかどうかである。




「当たり前」なんてものは、この世には存在しない。




その瞬間、その瞬間で、



ありのままの事実を伝える。

その人に、その事実を確認してもらう。



だからこそ、「褒める」相手がなににこだわり、生きているのかを経営者側が、上司の側が、きちんと認識していることが大事だ。


そのポイントを見誤ると、「褒める」という行為が逆効果になりかねない。

そのセンスが問われるのである。


「褒める側のセンス」




大事だなぁ。



(余談であるが、すまいる歯科には、「SQSP」と呼ばれる、人材育成のためのプログラムがあるので、そのあたりは、比較的容易に把握することが出来る。
それについては、後日、ブログか講演にてお話したいと思います。)








それとは別に大事なのが、「口に出して、相手に伝える」ということがとても大切であるということだ。



ここからは、人によっても解釈が分かれるかもしれないので、ひとつの考え方として読んで欲しいのだが、これは、夫婦や恋人との関係でも同じだと思う。




「愛している」そして「好きだ」



という気持ちを、相手に伝えることが大切なんだと思う。


毎日。







付き合って、結婚して何年か経って、
そんな甘いセリフがいえなくなるときもあるかもしれない。








でも、でも、でも(笑)





事実の確認なんです。(笑)






自分が心の中に強く思っていても、それが相手に伝わっているかどうかなんて、誰にもわからない。





でも、そのままストレートに伝える方が、シンプルでそして、最大級の結果がでることもあるのではないだろうか。





「愛している」という事実を相手に確認してもらう。




嘘だと思うなら、1度、やってみてください。




きっと、その瞬間の二人の空気は、とてもすばらしいものになっていることでしょう。

だって、そのことについては、二人がもちろん一番にこだわっているのだから・・・



「褒める」んじゃない。




「事実を確認する」





たった、それだけで、自分の周りの状況は、とても幸福なものになります。
(まぁ、このあたりは、長く共に生活していると「あうんの呼吸」というものもあると思うので、あるひとつの形としての考え方と、ご理解ください)




そして、最後に大切なことをもうひとつ。





絶対に自分から発信すること。







「相手がやってくれたら自分もやる」ではだめです。






与えて・与えて・与えて・与えまくるんです。







その結果、それ以上のものが絶対に返ってきます。







みなさんの周りの人々が、みんな幸せになることを祈って・・・





追伸:後編は、週末の東京での研修を終えたあとにブログります。乞うご期待!!