2001年1月13日IWA・JAPANプロレス後楽園ホール | 佐藤淳一レフェリーブログ “きれいな水で泳ぐも人生。 汚れた水で泳ぐも人生。”

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2017年11月23日にプロレスレフェリーを引退しました。
現役時代は、沢山の方に支えられ、そして応援していただきありがとうございました。

2001年の回顧録に突入しました。

2000年後半にはバッファロー太野と浅野社長が和解。ターザン後藤選手が離脱によりザ・グレート・カブキ選手が一夜限りの復帰。
プロレスリング・ノアと開戦。

激動のIWAマットの新春シリーズ開幕戦の後楽園ホール大会。

ターザン後藤選手に変わり、浅野社長を悩ませる新たなヒールとして頭角を表したのはWARからの残党・一宮章一選手でした。

大会前日には浅野社長経営の
お食事処『花膳』と目と鼻の先に
『花膳2号店』を開店させた一宮選手。

さらには後楽園ホールのチケットまでを偽造する小悪党ぶり。

ここで2001年からIWAの中心ヒールとなる一宮選手のプロフィールを簡単に。

先代の高砂親方の長男として産まれる。
相撲界には進まず、天龍源一郎選手率いる
WARマットでデビュー。
2000年12月には、九州で国際免許証を偽造して逮捕される。
逮捕時には横綱曙関を乗せていたために
NHKのニュースになるなどして、不名誉で有名になりました。
IWAには2000年3月から参戦。

後に人の技や姿を真似る偽造スタイルで
一躍有名になりました。

逮捕後ということでこの日はカードから外れてヒール軍に加担。

メインイベント

山下義也
松田慶三
ミッシェル・スター

vs

新岩大樹
YUJI  KITO
ジャガー・ナット

新岩選手は、フレディ・クルーガー♯3
12月26日後楽園ホール大会でマスクを脱ぎこの日より素顔で闘っていきます。

試合は松田慶三選手がダイビング・ギロチンドロップで新岩選手にフォール勝ちをしますが、メインの試合後からが新宿二丁目劇場のはじまり。



客席で観戦していた、元大阪プロレスの
上野幸秀選手を勧誘。

右から、
一宮章一選手
石井智宏選手
新岩大樹選手
YUJI  KITO選手
ジャガー・ナット選手
上野幸秀選手
とアッという間に一大勢力に。

『偽造集団・一宮グループ』

として暴れまわります。

リング上がヒール軍団に占領されているところに、また一人吸い寄せられるようにリングに上がる人影が…。


ミスター・ポーゴ選手!!

ヒール軍団を蹴散らしマイクを握ります。

ポーゴ「本物のW★INGスピリットはここにしかない!!」

ポーゴ「俺をIWAのリングに上げてくれ!!
俺を信じてくれ!!」

と参戦を直訴。

浅野社長が返事に困っていると、客席から

『ポーゴは良い奴だよ~。』

と絶妙のタイミングで合いの手を入れる女性の声に場内がドッと湧きます。

IWA名物の『Iジャおばちゃん』

新宿二丁目劇場の重要な登場人物の一人です(笑)


また、この日はカナダECCWより
ディスコ・フィリー選手が初来日。


アジアン・クーガー選手の持つ、インディペンデント・クルーザー級のベルトに挑戦するが敗退します。

その後、ディスコ選手は、3月に再来日後は、みちのくプロレスにも参戦しました。