災害時の避難所の確認だとか
備えも勿論大切だけれど
避難して身体が助かったとして
それで元気になれるのかな?って考えるとね
やっぱり
心あっての身体なのだと想う
誰にとっても本当に必要なのは
心の避難所
『心の拠り所 』
でも拠り所って
慰めてもらおう
元気にしてもらおう
困ったらただ甘えるだけの他力本願
依存という逃げ場とは違うんだよね
「心の拠り所はありますか?」 と問われて
一方的に想っているだけではなく
相手も認めてくれている上で
ハッキリ在りますと言える人ってどれくらいいるだろう
拠り所だと言えるのは
『 信頼関係 』なのだと想うから
実の親だって
子供に都合よくされてても
真の拠り所とは言い難いのが大抵だと想うしね
拠り所ってあり得ない絶対を感じさせてくれる
支えや救いなんだけど
昔誰かが
「お金は裏切らない」と・・・
自分とお金しか信じられない
自分以外の人を信じられないって
なんて淋しいことなんだろうって悲しくなってしまったよ
人と関わるってとても面倒なことだけれど
でもそこから逃げていては
心の奥まで満たされないし
喜びも救いも感じ得ないと想うんだよね
人の心は人の心に病んでしまったりもするけれど
救いもまた
人の心にあるでしょう
「 信じられる 」
それだけで
人は強くいられるし
そこまでじゃないとしても
信じられると実感できていたら
感じられる救いがあったら
自分や人を傷つけたり
心が病み切ってしまったりしない気がするんだよね
こんな承認欲求の世の中じゃなくなるだろうし
きっと犯罪も減るはず
でもね
信じさせてくれる人
絶対を探していて
一生を終えてしまうよ
相手が信じさせてくれるわけじゃない
信じさせてくれない相手が悪いわけじゃない
自分が信じられるかでしかないから
相手次第にしないで
まず
信じる自分を信じ抜けるか
結局一番の避難所は
自分の心の中なのかもしれないね ^^