Jun diary -4ページ目

僕らはズルっこ

トランプ大統領になってアメリカは、
世界はどう変わっていくのだろうか。

前政権時代もそうだけど、
いちいち過激で極端でスピーディーだよね。
ビジネスの世界では
結局、それに賛同して
金を出すかどうかだけのハナシだから、
強引なやり方だって成功できた
それはトランプの嗅覚や行動力、
思考に賛同する人がたくさんいたのだろう。

若い頃からそれで財をなしてきた。
日本では、こういう人は「わきまえてない」
と言ってはやい段階で総叩きで潰されるよね、
老人達から。

ホリエモンとか外国だったら
また今と違った立ち位置なんだろうね
少なくとも見せしめ逮捕は
なかっただろうし。

トランプ政権でこの後
どう世の中が変わっていくかわからないけど、
まあ言ってること
やろうとしてることは
自国にとって都合がいいことばかりだよね

徹底的な差別 偏見主義者の
自己中心的な言動。
豪胆で乱暴で破廉恥なイメージ。


なんでこんなのが大統領になるか、と
いえば、彼の言ってること
やってることは、
正しいかどうかは別として
やっぱりどこか有権者の心の奥にある
ことを代弁してるということなんだろう

人間って基本、生き物としてダメじゃん。
感情と余計な欲があるから
合理性に欠くことばっかりしてるじゃん。


いま俺らが生きている社会は
「成熟した社会」を目指しているわけで、
そのためには国の壁、人種の壁をとっぱらって
手を取り合う必要があるわけだ。
国同士が、協力しあい、
ときに援助し、支援して。
そうしていくことが
「人として正しいであろうこと」
なんて誰だってわかるし、
前政権まではどちらかというと
それを全面に出してるよね
これは日本もそう。

でもこれって、自己中が本質の人類にとって
みれば耳障りのよい「建前」であり、
政権を維持するためのパフォーマンスに
なっていたよね

ほんとにそうしようとしてんなら、
戦争に加担なんかしないだろって話だし。

例えば移民問題でいえば
「人は皆 平等に幸せに生きるべき」
観点にたてば

困ってる人、貧しい人、
治安の悪い国から逃げ出したい人、
他の国で生活を立て直したい人

こういった人に豊かな国は
手を差し伸べて受け入れるべきであろう。

それが大枠としての
国際理解、支援のあるべき美しい姿。

しかし、その中身の世界にいる人達は
どう考えるだろう?

おそらくこうだ。

「助け合いは必要だと思う。
でも、自分達の利益や安全が最優先だ
治安が悪い国で、なにをしてきたかも
わからない外国人を無制限に受け入れるなんて
怖い。
どんな犯罪に巻き込まれるかもわからない。
なにより、自分達の収めた税金が
自分達の暮らしではなくそこに消えるのは
納得できない」

こういうこと全面にいうと
日本では差別主義者として
白い目でみられるが、
日本人だってそうだ。

助け合いはすべき!という正義を
支持する一方で、
日本に在留するアジア人への
税金投入には劣化の如く怒ってるよね
特定の国や人種に対する差別なんて
「ない、根絶すべき」としながら
バリバリに根強い。

◯◯人は日本からでてけ!
日本にくるな!

そんなことをカンタンにネットに
書く人なんかそこらじゅうにいるよ

おそらくなんだが、
人間ってずるいから 
自分が悪者になりたくないから
そういうのって隠してるんだよね

そしてひとごとになると途端に
「人の道」を説き出すよね

俺だってそうだ。

やっぱり、差別はよくないよ
根絶すべぎよ。

でも、自分の身に
ふりかかってくることに関しては、
ズルい俺らは、理由つけて
違うこというんだよな

人は助け合うべきですか?
→はい、もちろん。

人は平等であるべき?
→はい

差別はどう思う?
→あってはいけないことだと思う

あなたの隣に
どこの国かもわからない外国人が
入れ替わり立ち替わり
出入りしていたらどう思いますか?
外国語でなにをいってるかわからない声が
四六時中聞こえて騒々しく、
ルールも守らない
そんな隣人を快く受け入れますか?


トランプの発言、行動はそうした
ズルい人(一般市民のデフォルト)
に非難されながらも 
共感を呼んでいるとしか思えない。

ちょっと怖い話1




怪談や都市伝説は好きだし、子供の頃から

お化けだの妖怪だの幽霊だの
そういう類のものは
ものすごく興味があって、それは今も
変わらない。

ただ、実際にそういうものを見たこともないし
見たという人に会ったことがない。

でもでも、「なんとなく科学的根拠付けして
しまっている怪奇現象」ってあるんだよ



まだ小学校低学年の頃の話だ。

俺は、真夜中の2時くらいに起きだし、
無意識に家の中を徘徊したり 
色々なものをひっぱりだしてみたり
階段を登り降りしたり
言葉になってるようでなっていない言葉で、
なにかわけのわからないことを言って
泣き叫んだり、
そういう奇行を繰り返していたらしい。

「夢遊病」だったんだと思う。
子供にはよくある話だ。

家族ははじめは寝ぼけているのだろう、と
考えていたのだけど、
あまりに続いたある深夜。

真っ暗で誰もいない仏間で
1人、電気もつけずに
無表情で座っている俺を見た母が
鳥肌をたて、ただごとではないと戦慄し、
僕を「拝みやさん」に連れて行くことにした。

この拝みやさんはどこのどういう人なのか
聞いても詳しくは教えてもらえなかった。
霊媒師なのか、宗教の人なのか、
とにかくどうやら地元で「そういったこと」への相談を生業にしている人らしかった。

今考えるとものすごく、、
いやかなり怪しいんだけど。


連れて行かれたのは、
病院やお寺や神社ではなく、
ある古民家(たぶん)
古民家といっても30年くらい前だから
当時は普通の民家

ニコニコしたおばあさんがいて、
正座させられた。

覚えているのは

母とふたりでいったこと

おばあさんがわけのわからない言葉で
おがんでいたこと

部屋にはかなり大きな
祭壇だか仏壇だかがあっこと

お寺とかによくある大きな 
りん(カーン!鳴らすやつ)があって、
異様に大きくて、
そこをずっと覗いていたこと

その中は異様な暗い真っ暗で
底が見えなかったこと

部屋の周りには
不思議な絵や飾りがたくさんあったこと

あとはおばあさんがなにを言ったのかは
わからないけど、
  
「優しいから寄ってくる」
とか
「将来はおなんこ(女性)
にたくさんモテるよ」

みたいなことを言われて、
昆布の飴を貰ったことは覚えている

おそらく自分に都合のいいことばかり
覚えているんだろうが、

「将来はおなんこ(女性)
にたくさんモテるよ」

これについては中年になった今でも
まだ実現していないので
きっとこれからなんだろう笑

話を戻すと、
その後はどうなったかなんて
覚えていないけど
深夜の奇行は治ったらしい。

以後、オカルト好きな俺は、
幾度とそのことを母に聞くが

「霊でもなんでもなくて、
子供でなにか不安やストレスがあったり
落ちつかなかったりすると
そういうことがよくあるんだよ」

と言うのでそういうことだと思ってた。

まあ、実際のところ
夢遊病、夜驚症という医学的、科学的な
根拠、症例があるわけだから
それは間違いなくそうなんだと思う。

しかし、成人したある時
家族で実家に帰省した際に、
なにかのきっかけでその話になったのだが、
知らなかったことが1つ、判明した。

母は1年くらいかは忘れたが、
そのおばあさんに言われたことを
守り続けていたらしい。

それは、夜に外に「白米と味噌汁」
を出しておくこと

実際、やっていたらしい。
そうしたら奇行が止まったので、
しばらく続けていたそうな。

母曰く
こんなことを言われたそうな。

◯◯(過去に幼くして
水の事故で亡くなった先祖だか
親類なんだか、聞いたけど忘れた)
が俺に寄ってきてる

夜にご飯と水と飲み物を外に出しておけば
治るだろう 

完全なるお供えだよね。
実はそういう先祖は実際いたと聞いているが、
よく霊媒師が使うネタといえばそうだし
もちろん母も半信半疑だったらしい

ただそれ以上に 拝みやにすがるくらい
僕の奇行に気持ち悪さを感じていたわけだから
言う通りにしてみたらしい。

しばらく続けてはいたが、
もうずっと奇行はしなくなったので
やめちゃったらしい。

これ、今考えると
なんか不思議な話だと思うんだよね

そもそもなんで
拝みやに行ってんだろ
うちは別に信仰心にあつくないし、
普通は精神科とか脳神経外科とかにいくと
思う

そうすれば、病名がついて
治療、てことになる。
実際に症例もあるのだなら

もしかして記憶にないだけで、
病院には行ったのだろうか。
それで改善されないので、
すがったのだろうか。

それとも、病気だとは思えないぐらいの
気持ち悪さだったのだろうか。

お化けとか幽霊とか
信じる母ではなかったように思うのだが。


だいたいあの拝みやのおばあさんは
どこの誰だったのだろう

いったい、いくらあのお祓い?祈祷に
払ったんだろう。

そして、今考えたら完全に
子供に多い夢遊病だし、
投薬やカウンセリングではなく、

なぜ本人が知らないところで
お供えで改善したのか

親に聞いても
濁すだけで詳しく教えてくんないんだよね
触れなくていい、って空気をだされる。

それは霊媒師みたいなものを信じてしまった
後ろめたさなのか、恥じてなのか
騙された、と思ってのことなのか
たぶんそんなことなんだろうとは思うけど、
たまにふと、
「言わない、言えないなにか」
があったのかな?と思うことがあるんだよ。


そうなると、
ちょっと今までの人生でも
科学的、論理的に結論付けていた
自分の身の回りにおきた
怪現象って結構あったんだよね

なのでそれは後々、載せたいと思う。

懐かしい



昨日は仕事で遠くにいく用事があり、
金曜日だし予定は夕方終わるため、
車じゃなくて電車でいくことにした。

途中、町田を通過し一旦都内に入るが
そこから再度神奈川エリアとなり、
そして八王子へ。

八王子、西八王子、高尾、と懐かしい駅が
続く。

俺がはじめて一人暮らしをしたのは
西八王子。

23年前の春。
そこから大学に通い、
バイトして....

2年の秋に、キャンパス移動を踏まえて
引っ越すから
わずか1年半しかいなかったけど、
濃厚すぎてすごく印象深い

なにもかもかはじめての体験だったという
こともあるし、
楽しいこともありながらも
やっぱり1年目はメンタルきつかったような
気もするし
めちゃくちゃ悩んだ、ふさぎ込んだような
時期でもあったんだよね

大学もそうだけど、バイトも濃かった。

サクッとできると思って入ったはいいけど
予想にしてハードだった某ファストフード、笑
今はわかんないけど 
当時は会社にコンプラとか
労働基準法の認識なんかほぼなくて、
今なら完全にブラックだった。
精神論で働かされたし、搾取もあった。

ただ、俺らも同じように
知識も認識も軽く、
そんなものだろうと思って働いてたから。
働くんだから理不尽とか
自己犠牲は当然、というか

よくわかんないけどバイトという
無責任ななかでも違う意味での
責任感はあったというか。

社会知らなかったしね

そういう環境にいたせいか、
異常にバイト同士が仲良くて。
サークルのようだった。
ドップリつかっちゃうんだよ。

毎週のようにバイト後に飲んだり、
遊びにいったり。

なんなんだろうなあの空気感は。
もちろんバイト内で恋愛もしたし、
失恋もした。

わずか10ヶ月しかやらなかったあのバイト先で
知り合った友人とはまだ付き合いがあるって
すごいよね。

なかがわなんて付き合い20年以上だもんね。

ツルなんか、被ってすらもいないもん。
辞めてから呼ばれていった飲み会にいて、
パンツかぶって暴れてた男。
あれは衝撃だよ..

濃かったなあ、アイーダとか
ザッキーとか なっちゃんとか 東さんとか笑
ニーヤンも元気かな。

よくわかんないけど、
18歳や19歳の頃の俺なんて若くて弱くて、
浅はかだったから
今振り返れば
はじめての一人暮らしと人間関係、
なにかあると塞ぎ込んで体調崩して
メンタルやっちゃってたと思う
だから
ああいった楽しさや付き合いが
救いになっていたのかもしれないね。


仕事が終わって帰る途中、
八王子で降りて街を歩いてみた。

当たり前だけ23年もたてば、
知ってる人なんか当然いないし
店もなくなってる。

ただ、面影しかなかった。

夜中、ひとりでどうしようもなくなり
八王子を徘徊し
キツくなって端っこでうずくまってたことも
あったな。

眠れなくて一晩中起きてたこともあった。

上京して髪染めてチャラついた格好してみた
けど、田舎者まるだしで浮いてたよなあ...とか、
アパートの大家のおじいちゃんとおばあちゃんが過干渉で世話焼きだったけど好きだったなあ...とか

色々 次々に思い出しちゃうよね

いつか、ゆっくり散策してみたいね。

なかなかそんな時間ないけどね。










静の時間

おはようございます。




やっと金曜日。
1月も半ば。
なんだか2025年になって、
仕事始めから
忙しく、早いような長いような。

去年 5月に転勤し、
通勤時間が4倍くらいになって、 
事務所から現場までの移動時間が2倍くらいになって。

とにかく動くことに時間を使っている感じ。

通勤時間だけでいったら、働き出してから
最長距離。

この時間をどうみるか。

はじめはやっぱり嫌だったよ。
もともと会社近くに家を借りたのに、
勤務地がめちゃくちゃ遠くになってしまうのは。
しかも引っ越して1年しかたってないしね。

とにかく移動、移動、移動。
会社着く頃にはもう疲れてる。

仕事、家庭、
自分にかかる負荷負担はおそらく過去最高

しかし家族にも負担がかかる。

なるべくできることをやろうとして、
やってはいるものの、
不満をいえばキリのない世界。
難しいよね。

しかし、自分の人生で考えたら
高校卒業してから基本は
全く知らない土地に1人でいき、
全く知らない人と出会っては別れる
そんな人生なので
これもまた1つの道筋と捉えている。
周期的なもの。


しかし通勤や移動にかかる膨大な時間

これをなんとかできないか。

色々考えた結果、
職種としてテレワークもできないし
ドラえもんでもいない限り
距離を短縮することはできないのだから
その時間でなにか他のことをすることにした。

本を読んだり、こんなふうに日記書いてみたり
運転の時はラジオをいままで以上に
意識的に聞いてみたり、
それこそいろいろ考えてみたり。

それで半年ぐらいやってみたときに、
あ、これって「静」の時間なんだな、と
気付いた。

人生のなかで大切な静の時間。
なにかと向き合ったり、物事の捉え方を
考えたり
自分を客観視してみたり、
周りがどうなのかを想像してみたり。
そうしていると、またなにか
自分のなかでジワジワと湧き出てくる
もんがあったりするんだよね。

昔にも日記で書いた気がするけど、
この「静」の時間って、
昔、あるテレビ番組で美輪明宏さんが
東国原元宮崎県知事に言ったことなんだよね

元知事が芸人時代に不祥事(というにはわりかし理不尽なスキャンダル)を起こし、
表舞台から消えて謹慎。
そこから政治家に転換する間での話。

ちなみにどんな不祥事かって、たしか
彼が夜のお店に行って料金を払い
サービスを受けていたら
いきなり警察が踏み込んできて、
女の子が年齢を偽った未成年だったから
客が逮捕って話だったかな?

もちろん性的搾取、
性加害はあってはならないが
「え?なんで騙された男が逮捕?」と
物議を醸した事件だったかな


元知事にとってはドン底なのだが、
実は人生の長い時間のなかでは
重要な「静」の時間だった
この「静」の時間で
自分と向き合ったのか
なにかを悟ったのかは知らないけど
これがなければ、今がなかった、
という話だった。

スピリチュアルなことは
半信半疑だけど要は捉え方なんだってこと

僕にも覚えがあるから、
スッと入ってきたんだよね。

ちなみにこの「静」の時間に、
元知事の頭の中で、
男女とも知れない不思議な声で
(本人曰く、神様のような、
ちょうど美輪明宏さんみたいな声)
で啓示があったそうな。

「(地元に)帰りなさい」って

それがホントかどうかはわからないけど、
以後、彼は地元の県知事、
政治家としての道を歩むことになったのは
事実だ。

僕に啓示はないと思うけど
自分の人生や直面していること、
将来的なこと、本質的なことを
考えるのには今がちょうどいいのかもしれない。



決まってるんだ...



懐かしい風景。

一昨年に帰省したときに撮った。



久しぶりに日記を再開したにあたり、過去の日記もみたんだけど面白いな。
はじめの記事は2007年だから、
いまからなんと18年前。

18年といったら、人間の赤ちゃんが産まれて
成人する間の時間だ。
てか、いつのまにか成人年齢も変わっちゃってるしね。
ずっと日記やめちゃってたんだけど
久しぶりに書いてみて、なんだか整理がつくような不思議な感覚が蘇ってきた。

前職を退職した翌日から描き始めた日記
実はアメブロに移管する前に
ヤプログ!ってやつに書いてたんだが
ヤプログ!も時代の流れか、
サービス終了してるしね。

あの頃よくみていたブログも閉鎖、削除された。

これがデジタルのリスクだよなあ。

昔の自分の日記を読むと、
浅はかだなと笑ってしまう一方で、
今よりもちゃんと考えてるなとか
自分では忘れていたけど
こんな発想もってたんだ、とか
感心してるよ。今から18年前だと
22〜23歳だよね。若いなあ。

思えばあのときほど、自分や人生について
悩んだりしたなんて、ないな。

あれから就職して、サラリーマン生活がはじまり

結婚して、
子供が産まれて、
今、40歳。

あの頃に比べて、成り行きで生きてる感がする。

あの頃だってハッキリいうと
成り行き、行き当たりばったりなんだけど
それなりに自分で考えて
咀嚼していたような気がする。

気がするだけなんだけどね。

たらればなんて不毛なんだけど、
あの頃を分岐点とすると。

他の道を歩んでいたらどうなっていたか。

悪戦苦闘で何百社もエントリーしては落ち、面接では落ち。

最終的には8社、内定をもらった

別の会社を選んでいたら、
神奈川になんて引っ越してないし、
いま関わっている人間関係も全く
縁がなかっただろうね

妻にも出会わないし、
息子達だって産まれていないわけだ。

そう考えると、奇跡なんだよね

それはそれとして、
パラレルワールドというものが存在するとして
じゃあ、僕が今の人生ありきで
「あの時、こちらを選んだらどうだったのか」
を考えるのは不毛だけど楽しかったりする。

あのとき、他の会社を選んでいたら、
とか それは会社でも学校でも人でもそう。

現実ではありえないからこそ
都合良い妄想をしてしまうけど
現実は甘くないんだよね

これは事実なんだけど
あの時に
選びかけていた会社は
18年経過してみると
他社に買収されて跡形もなかったり、
選考を途中で辞退したあの会社は
倒産していたり。

そう考えるとそのときそのときの
選択は、正しいとはいいきれないけど
その場面で出来うるかぎりの
ベストな選択したのかな、と
思えたりするよ。


キリないよね

あのとき、あの会社にしたら...とか
あの学校にしてたら..とか
実家をでなければ...とか
人との出会いや別れもそう

どんな選択したってそう思うんだよ



1つ、思うことは、
友人や恋人、結婚相手、人間付き合い、学校や会社、住む場所は選べるけど、
絶対これだけは選べないものってのがある。

そもそも生まれるか生まれないか、
ということと
誰から生まれるか、ということだ。

絶対選べないよね

そういう星の下に生まれた、とか、
運命なんて言葉あるけど、まさにそう。

だから
その後の人生の選択肢で
あれこれ後悔や葛藤があったりするけど、
自分の出現そもそものことを考えると
もう選んでいるようで
なにか見えないものに選ばされている
というか、
決まってたんじゃないかなと思ったりするんだ。

生を受け、その親から生まれる、
そういう星の下に生まれた自分が
考えたり歩んだりする道、思考、行動は、
選択肢なく生まれた時点で
そうなるように決まっていたんじゃないか。


そんなふうに最近思うよ。




誰となにをやるか





どこでなにをやって、いくらもらうか、
ではなく
誰となにをやって、いくらもらうか

最近それをすごく感じる。

転職して今の会社にきて16年。
昨年5月に転勤してまだ8ヶ月。

比較的 人の出入りは少ない会社ではあるが、そのなかで何人もの人が異動したり辞めていったり。

僕は一応まだ、残ってる。
営業の仕事で。

そんななかで、やっぱり感じること、
というか察したことは、
きれいごとではないけど
やっぱり「人」に左右されるんだなということ。

有望だった後輩が異動先でうまくいかずに辞めてしまったときも、

ああ、もしかしたら配属先によっては辞めなかったのかな?なんて思ったりした。

こればっかりはなんともいえないし、どうにもできない。


僕だって正直、上司や同僚がいやで辞めたくなったことがたくさんある。

人の合う、合わないは人それぞれだ。
いや、合う、合わないじゃないな
合わせられるか、られないか、だな。

相性が悪い人ってのも必ず存在する。



昔、新卒で入った会社で目標をかけといわれて

「コミュニケーションの百戦錬磨を目指します」

ってなんの気なしに書いたら
思いの外 先輩方から反響があってね。
すごいなお前 って。

別に意識の高さとかを賞賛されたわけではない

「ナマイキいいやがって」
「浅はかだな」

これがおそらく先輩方のホンネだろう。

それに対して本意を読み取れず
したり顔の僕。

まずこの時点でコミュニケーション敗北してるよね。笑


コミュニケーションの百戦錬磨なんかムリだ
絶対。

どんなに歩み寄ろうにも
絶望的に相性が悪い人
常識が通用しない人、
価値観が違う人
なんか知らないけど初めから僕のことが嫌いな人などなどが必ずいて、
百戦錬磨って、そういう人とも
うまくやりますってこと
そういうことを軽口で言うって、
若さだなあ、と今なら思う

誰とでもうまくやれる奴なんか存在しない

傍目からすればうまくやってるように思えても、
世の中、実際はそうでないことのほうが
圧倒的にたくさんあるよ。

この仕事、僕は好き好んでやっているんだろうか。

そりゃ、家族やおおやけの場や後進の前では
マイナスなことは言わないけど

好きではないよね


大変だもん。
なんだったらこれには絶対なりたくないって思ってたよ職種的に。

できればもっと楽な仕事したいよ


でも、みんなだいたいそんなもんじゃないかな

そんな状況だからこそ、
なにをやるか、も大事だけど
誰とやるか、が最重要になるんじゃないかな


そんなふうに思う

エイリアン





エイリアンシリーズ。

人生に迷い、心を病んでいた頃に惹きつけられた映画。
なんだか病んだ時期にエイリアンって、ヤバかったんじゃないかなと思うんだけど、実際やばかった。



エイリアン自体はずいぶん昔に公開されてたし
親父がそういう洋画が好きだから
幼少期にみて断片的に覚えていて。

大人になって
『エイリアンズvsプレデター2』
が公開され、みにいってそこから芋蔓式にハマった。

その頃 1人 映画をみにいくことが多かったんだよね。

ヤフオクでフィギュア、安く買いまくったっけ。

エイリアンなんて残酷だったり
気持ち悪いシーンがすごいから、
いま、自分の子どもにみせられないなと
思って見せないんだけど
当時はそういうのはなかったんだよね。
見放題だった。

エイリアン、プレデター、
ターミネーター、13日の金曜日、
エルム街の悪夢...

夜、親父が観てるのを一緒にみてたよ。

トラウマにはならなかった、
というよりストーリーよりもクリーチャーの造形に
惹きつけられた。

エイリアンのバイオメカノイドの無機質さ、救いのなさ、
ターミネーターのエンドスケルトンも凶悪感
フレディの特殊メイクのインパクト

子供ながらに「異形」に魅力を感じていた。

確かに気持ち悪いし残酷だ、
苦手なコがみたら夢に見てしまうだろうね

ちなみにこういうのと犯罪の因果関係はナイと思う

よく、なにか大きな事件犯罪が起きると背景として趣味趣向に紐付けされるんだけど、
それは「あいつは頭がおかしい」という理由、安心材料がほしいから紐付けしてるだけなんだなとは思う

話はそれたが、昨年エイリアンの最新シリーズが公開された

いきたいな、いきたいなと思いつつも
結局行けず。

20世紀FOXからDisneyになったんだね
たしかに夢だわな、あれは...

エイリアンはただそれだけみるとただのモンスター映画になるんだが、
背景の世界観や設定、
宗教観、キャストのドラマがあり、
デザイナーはスイスのH.Rギーガー、
もうストーリーは無限展開できてしまう
監督は全員違うのに
1.2.3.4までの流れは秀逸だと感じた

4については完全にファンサービス要素が満載だけど

その後のAVPシリーズは別ものとして
まさか続編は過去に遡るとはね
スターウォーズみたいに。

プロメテウス、コヴェナント、そしてロムルス...

個人的には4で地球に帰還したリプリー達がその後どうなったのか、
5として作ってほしかったけどまあ無理だろうな、時間がたちすぎて
世の中がかわり、あちこち色々派生して
世界観がぶっ壊れてしまった。

いま、4の続編の最新作をつくったって
ただの安っぽい未来映画になっちゃう気がする。

ああ、久しぶりにフィギュア欲しくなってきたなあ。


懐かしいなあ、、昔のアパートです。






他人事





自分に振りかかってきていて
受け止めなければいけないことを、
「なんで自分ばかり」という捉え方をして、
近くの人に責任転嫁する。

結構、これってみんなやってんだよな。

自分のことだけど、
なんか知らないけど他人事というか
「誰かがやるべきこと」
「やってもらうこと」って考えちゃう。

自分1人だけであれば、
そんなの自分の人生をただただ無くしてしまう
だけなんだからどうだっていいんだけど、
家族や友人、職場でやるとホント、
押し付けられる人間が
明確にでてきてしまうんだよな。


降りかかる理不尽を、ちょっと一呼吸おいて 
例えば自分以外の誰かに起きてる話
だと思ってしまえば深刻にならなくて済むし
大体が大したことないんだなって思えるから
「他人事」に考えるのは悪くないけど、
自分がやるべきこと、
協力すべきことを誰かにやらせっぱなしだと、
それが当たり前になってしまって
文句しかでなくなっちゃうんだよ。

そうなってしまうと、、、、

そんなに文句ばかりいうなら
お前がやればいいじゃん!

と言われると

「なんで自分がやらなきゃならないんだ」
「それはそちらのやるべきことでしょ」
「責任押し付けないで」
って素で、思ってしまうらしいんだ。

本来、自分でやるべきことなのに、
日頃、全部ひとにやらせてるのに、
たまにお願いされると 
「なんで自分が」って。

そのくせに
「やってやってる感を出されたくない」
なんていうしね。
 
仕事でそんなこと日常茶飯事だよ。


でもこれ、かなり危険だなと感じた。

そのときはいいかもしれない。
人にやらせればいいんだから。

でも、いざポイントで
突き詰められたときに、
なんもできない人になっちゃうんだよ。

できないってか、考えない人。

言われてないから、とか、
教えてもらってないから、とか言っちゃう。
誰かが動くまでなんもしなくなる
そして動いた誰かを批判し出す。

そこまでいっちゃうと
自分の仕事なんだから自分で聞けよ、
動けよ、探れよ、なんて通用しない。

結果的に受け身でいられるうちは気づかないけど
そんなことしてると信頼も消えて
居場所もなくなっちゃうよね

中年になり僕がすごく感じることだ。

文句ばっかり言って
なんもしないおっさんになってしまう可能性
なんか全然ある。


気をつけなきゃ。



縁、絆?




いくら友人がたくさんいても、ライフステージをすすむごとに消えていく、あるい顔ぶれが変わる。


家族がいても、結局はつきつめれば他人同士の利害関係。

よく、親子や夫婦で絆というものを美化されて語られるけれど、もちろんそれで笑顔で結びついているならそれが理想だよね。

でも、基本的に人間は自分のことしか考えないから、おそらくほぼすべての家庭で問題をかかえているだろうし、ニコニコしているあの家族も、外っつらをよくしているだけなんだろうな、ってコトを最近よく思う。

ちょっと考えてみると、自分の親との縁って切れないよね

なかには絶縁状態ってのもあるけれど、つなかわりが消えたわけではない。

幸せだ、支え合いだ、愛だ、そういったのが絆の形に語られるけれど、そーゆーもんでもないのかなって思う

いろんな状況や感情があれど、切れないのが縁、絆。

映画『なくもんか』で、主人公が
「家族なんて、腹の中ではいろいろ抱えてるけど顔に出さず口に出さず、笑って飯食ってんのが家族だろ」って言ってたんだけど、それ聞いてものすごく納得した記憶がある。

僕も実家暮らしの頃、家族に言わないこと、いえないこと、家族の嫌なこと、許せないこと、あったけどいちいち言わなかった。みんなにもそれはあるでしょう。

なんで言わなかったかというと、いま考えると
「無意味に口に出して波風たててぶつかる意味が全くないから」だったんだと思う。

常日頃からこの家に、この両親から生まれてきて、この家族と一緒に暮らせて最高に幸せだなー!なんて思ったことなんてない、

みんなそんなもんだろうと思うんだけど。

自分が両親からホントに愛されてるか?!なんてあえて思ったこともない。

でも、別に家族に問題があるわけではない。いや、正しくいえば問題だらけ。問題のない家庭なんてありえないんだが、他人に自分の家族、家庭を語るとき、見せるときはいかにも円満な「絆」を、強調してしまうんだよね。これってただの世間体とか体裁だけの話だと思う。あるいは思い込みたいときによく言うよね

以前。調べて自分の家系図を作ったことがあるんだけど、戸籍上から読み取れるだけでもまあ〜江戸時代から波瀾万丈な人生を歩んできたご先祖様。
父に話をきくと、この家系図に乗ってこない謎の人物がいたり。あるいは、誰も知らないいきなり登場する名前があったり、いきなり消えたり。


衝撃の事実があったり。

よく、僕まで系譜が続いたなと思うぐらい、スレスレの糸一本の一族のあゆみを垣間見る。

当たり前だけど、親や祖父母は
先祖の聞こえが悪い話なんて子供にいわないよね。だからみんな当たり前に順風満帆にきてるのかと思い込んでいたけど、調べてみたら全然違ってめちゃくちゃ苦労しててさ。

ああ。なんも変わらないんだ、と思った。


マスコミがよく、有名人夫婦を「おしどり夫婦」って表現することあるでしょ。
あの言葉ってよくよく見てみると、ほぼ離婚したときにしか使わないんだよね。

◯年連れ添ったおしどり夫婦が...って。
うまくいなかくなった時に、過去うまくいっていた(ようにみえる)時を振り返り、おしどりっておかしくないか?なんかしら積年あったから、長年の生活を捨てて別れるんだよね?

なのに、虚構を語るんだよね。
おしどりにだって色々あるわっ。


いろんな報道や、自分の身の回りの出来事などから、こんな風に思う。

当事者ですら、勝手なイメージや理想像で結婚とか家族とか愛とか語るって押し付け合うから、ひずみがでちゃうんじゃないのかな。と最近思うんだよね。

人間なんか結局自分のことしか考えないよ。

この家族で幸せだった、なんて、振り返ったときにしか思わないんだから、不満だらけストレスだからの現在進行形がみんなにある、それを考えるとなんか、楽になる気がするな〜。

これは仕事にもいえるよね。


さて、そろそろ会社に着きます。


働いてると





同僚に文句や悪口を言われることなんか多々ある。後輩ともなれば言われてないことのはほうが珍しいんじゃないだろうか。

それは分かってるんだけど、たまに直接言ってくる人や、わざと聞こえるように言う人いるよね。

学生時代からそうだけど、こっちが謙虚でいたり、めんどくさいから波風たてぬようにスルーしたり、落ち込んだりすると、増長し 何言ってもいいんだって勘違いして言いたい放題言ってくる奴がいる。

やけに上から目線だったり、やることなすことの批判だったり、ただの悪口だったり。
そいつとは関わりあいにならないようにしているのに、そいつはヨタヨタして近づいて粘着してくる。
いい大人がね。

冗談みたいだけど、目立ったら不良に便所に呼び出されて、ヨタヨタオラオラ絡まれるようなのとおなじなんだよ。

10代、20代、30代半ばまではホントにそーゆーのが嫌で仕方なかったし、病んだりした。


でも、30代半ばのある日、それまでもチクチクちょっかいかけてきた自信家の同僚が絡んできて屁理屈で激しく非難、批判してきたことがあって。

明らかにおかしなこと言ってきてマウントとろうとしてきたから、ついブチギレして怒鳴りつけて1時間やりあったんだよね。

1時間、ほんとに言葉荒げて詰めた。


悪いけど声のデカさや粗野さ、言葉の汚さは田舎育ちなんでね。


言ってこなくなったよ。

それどころか、以後は同調しだしたり、すり寄るような態度になったよ。

なんのことはない。弱い犬ほどなんとかってやつだったんだね。

そして40になる今年、それまではあまり相手にしてないという言い方はアレだけど、あまりの程度の低さにそれまでスルーしてきた煽り気質の人と仕事で接さざるを得なくなり。

まあ、自分のことを棚に上げて、憶測だけでよくこうも人の悪口や批判できるなというレベルで。

人ってとめる人がいないと、とんでもないとこにいくんだね。かわいそうになるレベル。

もう、絡んできた内容があまりにひどくてね。
暴言罵倒がやばくて。

もうばからしくなり
我慢するのやめて同じレベルに落として
言っちゃった

「ああ?おめー今なんつった?もっかい言ってみろコラ あ?言えよこの野郎 おめー言っただろが、おら、言えよコラ」

それ以後、めったに近寄ってこなくなった。

相変わらず陰で悪口言われてるのは知ってるけど、直接絡まれることはなくなった。

なんだよそれは。

怒るときにちゃんと怒らないとダメ、というか怒っていいんだな、怒ったほうがいいんだな、と思ったよ。