Jun diary卒業します。
2007年に仕事を辞めて苦しみ、フリーター、再就職活動、再就職、震災、結婚、今に至るまで8年間このブログに思いをつづり記録してきた。
8年か、自分ではこんなに長い日記を書くとは思わなかった。
2004年から、ライブや音楽が好きでHPをはじめて、そこからあちこちのサイトやSNSで日記を書いてはいたけど、あるものは飽きて放置し、あるものは心の弱さから削除したり。
だから、本当の意味で継続したのがこの日記だ。
読み返してみると、なかなか考え方が時とともに変わってるな、と思う部分と、昔の方が大人だったな、と思う部分があって面白いね。
あのとき、こんなことがあったなあ。とか、これ、かっこつけて盛って書いてるな、とか。当時の自分がありありと見えてくるようで色々面白い。
自分にとって大切な場所。
特に無職だったあの頃、この日記をつけ、読み返したことでどんなに救われたか。
言葉をかけてくれる人が周りにいないあの時期、自分の考えてること、弱さ、気持ちを吐き出し、読み返す。
不思議だけど日記を記録すると主観の自分と、客観の自分が両方感じ取れ、自分という人間の存在を確かめ、認めることができた。
また、近くにいない友がたまにみてくれて、メールや電話をかけてくれたり。
ありがたかった。
なんていうか、心の中身というか落ちつける空間で、そんな場所だった。
この日記はもともとは知り合い数人が見てくれていたけど4.5年前くらいからもはや誰もみていないのはわかっていて、そして途中思うこともあり思い切って非公開にし、愚痴や不満含め、かっこつけない、包みかくさない本音をつづる場所にしていた。
それこそ聞苦しい本音も愚痴も。
だが、最近は本当に形骸化して もはや何のためにつづるのかわからないような内容しか書かなくなった。
中身が本当にない。
ただなんとなく続けてきたからダラダラと、どーでもいいことの羅列。
日々の出来事や感じたことはあっても、それを日記にするまでにいかないというか。
いま、重えば当時は一人であり、「静」の時間があったから、色々日記にまとめ振り返っていたんでしょう。
あとは、インターネットについての考え方というか、意義を考えたときに、
インターネットという開かれた空間で、敢えて隠れるように思いをつづる自分の矛盾を感じた。
日記をはじめた当時とはネット環境が変わり、今ではスマートフォンもあるし、それこそ猫も杓子もインターネットをしている。(自分を含めて)
善悪のわからない小学生、中学生から会社の上司、取引先のおじさんまでもインターネット、SNSをする時代、どこで誰が見るかわからない。
ビッグデータもそうだけど、年々、個人情報に関する考え方も変わってきている。
検索エンジンから検索されてバレる可能性は限りなく0に近いが、
フェイスブックのように勝手な設定でその人のアドレス帳に登録のあるメールアドレスに勝手にお知らせや招待したりするような迷惑機能や、キーワードからつながるような仕組みなどがいつできるかわからない状況。
電話帳には家族、親戚、職場の人や疎遠になりつつある友人のアドレスがある。
また、この日記に昔書いたが、フェイスブックでつながっている職場の上司に、フェイスブックに俺が投稿してた日記を会社で、人前で言われたこともある。こともあろうに説教の材料につかわれた。
自己防衛ができてなかったと反省すると同時に、この世代のSNSと現実の境界線のひけなさにも驚愕した。普通、言わないよね。
そんなこともあり、自分のこころをインターネットに晒す、残すことに疑問を感じたのだ。
とまあ、形骸化してしまったことの他にこんなこともあって、この日記をひとまず卒業をしたいと思っている。
数々の企業ができたりなくなったりするなかで、いつまでアメブロがあるのかはわからないけど、このブログだっていつかはサービス閉鎖なんてこともあるかもしれない。脆弱といえばそうだ。
とりあえず。このブログ自体は可能な限り残そうと思う。
このブログは、間違いなく自分にとって大切な場所、頭のなかでもあり、こころを休ませたり逃げたりできるような場所だった。
でも、いまは俺のそういう場所は、インターネットのなかには、ない。
現実世界、つまり、家族や友人との間に目に見えない形で、存在する。
この目に見えない世界を、大切にしていこうと思うし、自分の財産だと思う。
ありがとう。
2015.9.23(水)
シルバーウィーク最終日
Jun


