サラリーマンのダブルケアは突然に・・・ -9ページ目

サラリーマンのダブルケアは突然に・・・

家事スキルゼロの迷えるサラリーマン男による仕事と育児と嫁介護録

入院して1ヶ月半。一般病棟に来てから約2週間。町はクリスマスの頃です。

日に日に病状、体調がよくなってきました。

手を動かしたり、表情で意思を表現したりできるまでに回復してきました。

先生によると、奇跡の回復だそうです。

(寝返りや、話すことはできないですが・・・)

 

この頃になると、ママ友さんを始めとしてお見舞いに来てくれる人が

目に見えて増えてきて賑やかになってきました。

そんなとき、ママ友さんたちで作った千羽鶴を持ってきてくれました。

色々な人に声をかけて作ってくれたそうで優しい思いが感じられました。

これも私には無いママの人柄なのでした。

 

一方の私は・・・

 

有給も2/3ほど使い、1月半ばで使い果たす見込みです。

ママの病状、体調が良くなってくると

少し私にも精神的な余裕が出てきて

仕事の心配が増えてきました。

 

どのタイミングで復帰できるのだろう・・・

遠隔地である単身赴任先に戻るのは無理が・・・

ママの近くの職場で・・・

 

業務形態を考えると、不可能に思えて絶望を感じていました。

またまた小学6年生の息子の話です。

ラグビーは引退したものの、中学受験が控えていました。

やはりママが倒れて、勉強が手につかなかったようで、

成績が急降下状態でした。

 

入試日は翌年の1月中旬ごろでした。(確か18日19日の土日)

入試まで、あと1ヶ月。

ママが一般病棟に移ったあたりから

毎日、夜は私と息子が一緒に過去問を解くルーチンを始めるのでした。

 

私はと言えば、日中は病院にいたので

ママに話しかける以外は、ママの好きな音楽をかけながら

参考書を見ながら入試問題を必死で解くという苦行をしていました。

おかげで人生で初めて、つるかめ算を理解することができるのでした。

 

 

2013年11月末に一般病棟に移ってからは

朝10時ごろから18時ごろまで毎日通いました。

まだ意識は戻りませんでしたが、自発呼吸はできるようになっていました。

 

病院のケア担当から

「意識はないけど耳は聞こえてるかもしれないから、話しかけてあげて!」

とアドバイスをいただいていたので

病室にいるときは、常にママの好きなユーミンを流したり、話しかけていました。

 

12月の半ばころでした。

話かけていると、握った指が少し動いたのです!

奇跡かと思いました。

すぐにナースコールをして看護師さんを呼んで

喜びを伝えました。

「ご家族の声が聞こえていたのでしょうね。声をかけ続けてくださいね。」

私の興奮が止まらず、携帯のラインで関係者に速報するのでした。

 

これ以降、少しづつ反応できるようになっていきました。

少し反応が出てきたあたりで、点滴から胃ろう

(口から食べるのでなく、管を胃に接続して栄養をとる食べ方)

に切り替わりました。

 

速度は遅いですが、よい方向に進み出したように思いました。