サラリーマンのダブルケアは突然に・・・

サラリーマンのダブルケアは突然に・・・

家事スキルゼロの迷えるサラリーマン男による仕事と育児と嫁介護録

2019年の初めに母が旅立ちました。

 

悲しみと母の住んでいた実家整理などの色々な整理に多忙でしたが、

当時浪人中だった娘が見事に大学合格

更に翌年には息子も大学合格

とは言え、2020年の前期はコロナ禍であまり学校に行けてなかったですが・・・

 

ママが倒れた時は、まだ小学生と中学生だったのが、気づけば二人とも大学生に。

 

大学生になった子供たちには、これ以上介護の負担をかけられない。

これまで、たくさんのヘルプありがとうという気持ちでした。

その頃から、ダブルケアからシングルケアへの生活が変わっていき

ヘルパーさんと私の自宅介護リレーが始まりました。

 

とはいえ、私は平日会社で働くサラリーマン。

ヘルパーさんが帰る時間までに帰宅するミッションは過酷なものでした。

 

当時のママは長時間座ることができなかったので、ヘルパーさんが帰るときは

ベッドに寝かせてもらってました。

できるだけ、一人ベッド時間を短くしてあげたかったので

これまで以上にテキパキ業務をするようにしていましたが

業務には予測不能なことはつきものである、なかなか思うようにいきませんでした。

 

ママが倒れた時は、小さかった子供たちが今や大学生。

一つの区切りとしてホッとするものの

社会人までは、まだまだ頑張らないと・・・

 

これまで、たくさんのヘルプをしてくれた子供たちに感謝です。

 

お友達にお会いし、母からの手紙を渡してお礼を伝えたときのことです。 

そこで手渡された言葉の数々に、母のやさしさを知り、涙が止まらなくなりました。

 

お友達の口から語られたのは、私が全く知らなかった母の姿でした。

 

「 自分がガンであることを、私にはずっと隠していたこと」 

「日々の買い物すら不自由な体だったのに、私の前では無理をして元気に振る舞っていたこと」 「ダブルケア(仕事や育児、介護などが重なる状態)」の私にこれ以上の負担をかけたくないからと、連絡を最小限に控えていたこと 」

 

日々の仕事だけで精一杯の私。

 母はそのすべてを察し、私の負担にならないよう、一人で病と闘っていたのです。 

 

 母はシングルマザーだったので 女手一つで、たくさんの苦労をしながら、

私を大学まで出させてくれた人。

 

それなのに、私はまだ何一つ親孝行らしい親孝行ができていませんでした。 

「どうして、もっと早く気づけなかったんだろう……」

 本当に大切なことほど、もう取り返しのつかない状況になってから、

初めて身に染みて分かるものなのかもしれません。

 

 後悔と申し訳なさ、そしてそれ以上の大きな愛に包まれていたことに、

やっと気づかされたのです。

 

 それから数ヶ月。 母に囲まれた穏やかな時間を家族で過ごし、母はその年の暮れに、静かに長い眠りにつきました。 母が遺してくれたあの「宿題」は、不義理な私に、母の本当の愛の深さを教えてくれるための、最後のギフトだったのかもしれません。

2018年の夏頃から、母の容体は目に見えて悪くなっていきました。 

病院の先生から告げられたのは、「末期のガンであり、もうそう長くはない」

という残酷な現実でした。 

 

幸いにも、母自身が「最期まで自分らしくいたいので何でも教えて欲しい」

という強い希望を持っていたため、病状については本人もすべて共有していました。

 

 そして、母も納得した上で、私の家からも近いターミナルケア

(穏やかな最期を迎えるための総合ケア施設)へ転院することになったのです。

 

 新しい環境に落ち着いた頃、母からいくつかの「宿題」を託されました。

 それは、これまで日々の生活を支え、仲良くしてくださった実家の近所のお友達へ、母が書いた手紙を届けてお礼を伝えてほしい、というものでした。 

「わかった、任せておいて」 そう言って、私は早速、母のお友達の元へと向かうのでした。