サラリーマンのダブルケアは突然に・・・ -2ページ目

サラリーマンのダブルケアは突然に・・・

家事スキルゼロの迷えるサラリーマン男による仕事と育児と嫁介護録

 

2018年は、私にとって本当にヘビーな時期でした。 仕事、家事、そしてママと私の母の介護。 いわゆる「トリプルケアラー」としての生活が、息つく暇もなく続いていたのです。

当時の睡眠時間は、お世辞にも十分とは言えない状態。 一日のスケジュールは、文字通り分刻みでした。

 

会社 ⇒ 帰宅後の家事 ⇒ ママの介護 ⇒ 片付け ⇒ 車で母の家へ(介護) ⇒ やっと帰宅

 

「今日も一日が終わった…」と一息つく頃には、心も体もクタクタ。

そんな中、子供たちもそれぞれ自分の道を歩んでいました。 浪人中の娘は受験勉強に必死で向き合い、高校生の息子は部活に全力投球。

実は、この「息子の部活」こそが、当時の私にとって唯一無二の楽しみであり、心の支えだったのです。

 

どれだけ忙しくても、少しの時間を見つけては、クラウドにアップされた息子の試合動画をチェックする。 画面越しの息子を応援するそのひとときだけが、過酷な日常の中でホッと一息つける、私だけの特別な時間でした。

 

中学時代に甲子園で勝利をおさめた頼もしいメンバーたちが、そのまま高校生になり、チームの戦力は本当に充実していました。 そして、3年生にとっては負ければ即引退となる、運命の春の公式戦がスタート。 チームは大阪大会、関西大会と、見事な快進撃で順調に勝ち上がっていったのです。

 

迎えた、関西大会の決勝戦。

「これだけは絶対に生で見届けたい!」 そう思い、なんとか時間を工面して、私はスタジアムへと向かいました。

相手は、言わずと知れた優勝常連の超強豪。 一瞬も目が離せないハラハラする展開でしたが、みんなの執念が実を結び、見事に逃げ切って勝利を掴み取ったのです!

 

ママが倒れたとき、息子はまだ小さな小学生でした。 その子が、今やこんなに立派に成長して、胸を張ってグラウンドからスタンドへ挨拶をしている。

その姿を見つめていると、これまでの苦しかったこと、必死だった想いが一気に押し寄せてきて、自然と涙が溢れて止まりませんでした。

 

「子供たちが立派に独り立ちするまでは、何があっても頑張り抜くぞ。」

息子の輝く姿に力をもらい、私は心の中で静かに、でも強く、そう改めて誓いました。

 

 

 

 

 

2017年の暮れ頃より、私の母が益々弱ってきました。診断の結果、「がん」でした。

入退院を繰り返しながら、年を越しましたが、依然として大阪にある実家を離れて

私のところに来ることには、頑として了承してくれませんでした。

 

後ほど聞くことになるのですが、母としては

私のダブルケア生活の負担になりたくなかったことと、

慣れた実家を離れたくなかったようです。

 

その気持ちはありがたかったのですが、やはり健康でない単身の母を一人にできないので

ダブルケアを終えて、夜に実家と私の家を車で往復する生活が続きました。

それは私にとって、体力的にも精神的にも負担でしたが、

子供たちと一緒に頑張るのでした。

 

子供たちには、この頃、家事の負担をかけていました。

それが一因であったかもしれませんが、2018年度の娘の大学受験では

無念にも志望校不合格ということになってしまい、浪人生活に突入します。

 

娘には申し訳なかったのですが、

母とママと家事と仕事で私自身がキャパ一杯でしたので、

一日、一日を何とか乗り切っているというような感じで

何もしてあげられませんでした。

 

今から思えば、この時期が一番きつかったです。

特に、母の状態によっては、一睡もできず大阪からそのまま会社へ直行

ということもありました。

よく倒れずにやってたと思います。

 

このように2017年から2018年にかけて、正念場のトリプルケアラー生活が続くのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年にダブルケアの疲れ?から倒れてしまった私でしたが、

がむしゃらにやってきた反省から

ダブルケアと仕事との優先度を整理した生活(ダブルケア>仕事)に切り替えてからは

安定して自分のリズムもできてきて

仕事とダブルケアの両立した生活を順調に送っていました。

 

おかげさまで、2016年から2017年にかけての頃は

娘が大学受験を意識した年(2017年)でしたが

家族揃って、ママを連れてドライブしたり、

モールへ買い物に出かけれるようになり

楽しく過ごしていました。

 

ところがです。

 

2017年の後半くらいになると

それまでは元気だった私の母ですが

体の調子が悪くなり病院通いが始まりました。

車で40分ほどの距離に母は一人で住んでいたので

 

私は

平日仕事が終わり帰宅し、家事と介護を終えてから

土日はヘルパーさんが来ないのでママが寝てから

自由になるので、

夜に母の様子を見に行く生活が始まったのです。

(私の体力と相談して週に1、2回くらいの頻度でしたが・・・)

 

 

母は「慣れ親しんだ家を離れたくない。」

という強い希望があったので

私の自宅に母を連れてくることは、説得できませんでした。

 

これがトリプルケアの始まりでした。