サラリーマンのダブルケアは突然に・・・ -7ページ目

サラリーマンのダブルケアは突然に・・・

家事スキルゼロの迷えるサラリーマン男による仕事と育児と嫁介護録

ママが倒れて10ヶ月経過。

ママが元気な頃は、仕事帰りの呑み、週末のラグビースクールでのコーチ、

出勤前の筋トレそして週末の家族との時間・・・今思えば楽しい日々でした。

 

2014年のGWも終わった頃。

ママはリハビリ病院に入院中。娘は中学3年のバスケ部、息子は中学1年のアメフト部。

子供たちも勉強?に部活に青春中。

私はといえば、平日は仕事と家事の分単位のスケジュールで、目一杯の毎日。

休日はリハビリ病院に入り浸り。

 

不思議なもので、私にも3つの密かな楽しみができてきました。

 

一つ目は料理でした。

これまではママが作ってくれた料理をおいしく食べていて、

何の不自由も不満もなかったのですが、自分の好きなように調理できるという幸せ。

スパイスカレー、麻婆豆腐、チリコンカン、青椒肉絲、豚の角煮・・・

好きな料理を自分の好きなように調理できる。

だんだんはまっていきました。

 

二つ目は、息子の試合の観戦でした。

私もアメフトをしていたので、実際に見に行ったり、行けないときは

父兄会のクラウドでアップしてくれる試合動画をみることでした。

娘には申し訳なかったのですが、バスケがよく分からなかったので

そこまで入れ込むことはなかったのですが・・・

 

三つ目は、少しずつですが、ママができることが増えてくることでした。

リハビリ病院にきたころは、頭を少し動かしたり手が少し動く程度でしたが

このころは、車椅子に座ることができるほどになっていました。

まだ、話すことや食べることは、まだまだ不自由でしたが・・・

 

そんなこんなで、楽しく毎日を過ごしているのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ママが倒れて早くも数ヶ月経ち、時は2014年の4月になっていました。

そのころには、私はグループ会社ですが復職し

娘は中学3年、息子は中学1年にそれぞれ進級、進学となりました。

 

当時の生活リズムは

出勤前に洗濯、朝食、息子の弁当作り(娘は給食)、ゴミ出し

私の出勤の後に子供たちの通学

そして仕事、学校が終わると19時頃に全員が帰宅

その後、夕食作り、洗濯取り入れ、お風呂と自分の時間、掃除そしてやっと就寝

こんな感じでした。

子供たちは風呂当番の自分のお皿は自分で洗う分担でした。

 

残念なのが、リハビリ病院の夜の面会ができなかったので

平日はママに会えないことになってしまいました。

その分、土日はリハビリ病院に入り浸ることになります。

 

仕事、家事、ママの面会、そして子供。

これまで、家事をまともにやってこなかった40代の私は

これらの両立が、本当にできるのだろうか?

と心配と恐怖を感じていたのですが

なんとこなせるようになっていきました。

仕事をしないと経済的に破綻が見えていましたし

家事をしないと家庭が破綻することも想像できていたので

本当に、ほっとしていました。

 

調子にのった私は、だんだんと料理に凝り出し子供たちから

不評を買うようになっていくのでした。

 

 

 

 

 

 

始めは、仕事と家事と子供との時間の両立ができるのか心配でしたが

23ヶ月で何とかこなせるようになってきました。

 

一つ前の話は1月末の息子の繰り上げ合格の話でしたが

時間を少し戻して、2014年の正月あけ頃。

 

昨年の11月にママが倒れてから、早くも2ヶ月ほどが経っていました。

その間にICU、息子のラグビー県大会で優勝、ママのリハビリ病院への転院

そしてまさかの中学受験で試験は落ちたものの、まさかの繰り上げ合格・・・

色々ありました。

 

2ヶ月も会社を休んでおり、有給も使い果たし、休職という状態。

経済的にも影響が出始める形になっていました。

 

いつ仕事を始めることができるのか?

でもあの激務の仕事だと、今のように家族の近くには、居られない・・・

退職して地元で時間に終わる仕事も見つからないし・・・

焦り始めていました。

 

そんな時、突然

「今、すぐ出てこれるか?メシも食おう」

と関西にいる会社の先輩から、携帯にかかってきました。

もう私の最寄り駅で待っているとのこと。

すぐに向かいました。

 

店で、先輩と合流し、私の近況や会社の最近の話などで時間が流れていきました。

「ところで、お前来月からG会社に出向いけるか?」

その会社はグループの教育関連業務を受託しており、

計画的に仕事のできる環境でした。

感謝感激、「お願いします」と即答でした。

私のことを心配してくれていたのでした。

 

後日、リハビリ病院でSさんに、仕事復帰の話を伝えました。

Sさんは奥さんが倒れたサラリーマンで、私と似たような境遇だったので

気持ちを分かってくれる数少ない人だったのでした。

 

しかしSさんは苦しい表情に変わったです。

Sさんは業務環境からとても奥さんの近くにいてあげられない。

そして、お子さんが障害があることから経済的にも会社を辞められない

ということを打ち明けてくれました。

私は、同じ境遇と思っていましたが、軽率な報告を後悔したのでした。