サラリーマンのダブルケアは突然に・・・ -5ページ目

サラリーマンのダブルケアは突然に・・・

家事スキルゼロの迷えるサラリーマン男による仕事と育児と嫁介護録

ママが2年ぶりに自宅に帰ってきて、子供たちも私も大喜び。

やっと家族が揃うことに幸せを感じていました。

 

これまでは、ママはリハビリ病院にお世話になっていたので、

いよいよ、自宅でのガチの仕事とダブルケア生活の始まりです!

 

ちなみに、当時の私の平日のガチの流れは、こんな感じでした。

 

早朝に起床、昨日の晩に予約していた洗濯物を干して、キッチンとリビングの掃除。

その流れで、みんなの弁当を余るくらいに作成。あまりは朝食です。

当時は子供たち2人ともに部活していたので、弁当は特大、息子にはおまけの

おにぎりでした。そして私は、筋トレ(←これが癒やしでした)経由の出勤。

遅れて子供たちも通学。

 

その後9時頃から18時頃までヘルパーさんに来てもらって

ママを見てもらっていました。

家のカギは玄関の秘密の場所に隠して受け渡ししてたので

セキュリティには不安でしたが・・・・

 

私は、会社の休憩時間を活用して、夕食の時短のため会社近くのスーパーで食材購入。

会社の冷蔵庫に保管。これが、20分くらいの時短になるのです。

仕事が終わると大急ぎで19時過ぎに帰宅。料理にかける時間は30分。

ママも子供も夕食が終わるとママのお風呂時間(←私と子供たちの連携プレー)で

22時頃にママ就寝。

 

今思うと、よく毎日やってなぁ~と思います。

必死だったんでしょう。

時は2015年7月3日(金)ようやくこの時が来ました。

「ママおかえり!」

2年ぶりにママは自宅に帰ってきたのです。

家族で歓喜です。

 

もちろんママ友さんたちも来てくれました。

 

2013年11月にママは突然の心停止で倒れて

途中、1か月間にも及ぶ懸命のICU生活、一般病棟での治療、

そしてリハビリ病院での約2年のリハビリの日々。

 

この間、我が家では色々な事がありました。

 

息子については兵庫県ラグビースクール県大会(小学6年)での歓喜の優勝、

地獄の2014年度の中学受験と奇跡の繰り上げ合格。

 

娘については、日々の家事の手伝いと2015年度の高校受験。

子供たちは、それぞれ新らたな環境で部活に打ち込む日々。

 

私と言えば、休職、グループ会社への復職、家事と仕事の両立。

そして朝、弁当を作り、筋トレからの出勤と少しずつ自分の時間も

作れるようになっていました。

 

ママと言えば、リハビリ病院に転院したころは

ほとんど寝たきりで、手と頭が少し動く状態から、

手を動かす、挙げる、寝返りを何とか打つ、かすかに声を出す、車椅子に座れる・・・

というところまで回復できました。

 

この日から、家族4人での生活が始まるのです。

平日は、朝ヘルパーさんが来て夕方に帰る。

そして夜は家族で介護するという感じです。

 

休日は、ヘルパーさんが来ないので、家族みんなで介護ということになるのでした。

 

このときから、本当のサラリーマンによる仕事とダブルケアが始まるのでした。

(私だけで無く子供たちも存分に助けてくれました。ありがとう・・・・)

 

 

 

 

 

 

ママが倒れた直後に訪れた息子の中学受験は地獄でした。

あれから1年経ち、今度は娘の高校受験がやってきました。

息子の受験期ではママが倒れた心理的ショックの最中での受験でしたが

娘の場合は、息子と比べて心理的に安定した状態の受験でした。

 

 

仕事とママ看病と家事を受け持つ父親である私は

なかなか時間が確保できず

娘には申し訳ないですが、中学校の三者面談を始め学校行事は

ついに何もできないまま受験を迎えました。

 

ほとんど丸投げでした。

志望校の親子の相談もほとんどなく、

かっこよく言えば、娘の選択を尊重したということに・・・

 

バスケ部も引退し、本格的な受験期間が始まっても

娘は不満も言わず

週末はリハビリ病院でのママの看病、

普段は自分の食べた食器の片付け等の家事

もくもくとやってくれていました。

 

特に、週末のリハビリ病院では長時間滞在し

看病をしながらの受験勉強というリズムでした。

 

そして高校受験は、波乱も無く志望校を無事合格。

手のかかる息子とは正反対の娘。

父親として誇りに思う一方で、申し訳なさも感じてました。

 

病院で待つママには、娘と私で合格を伝えるのでした。