40を過ぎた頃から、人の経歴が面白く感じるようになってきました。日経で毎日連載されている「私の履歴書」。さまざまなジャンルで名を立てた方が、これまでの人生を自らの手記により振り返るというものです。
本田宗一郎が私の履歴書を執筆したのは1962年。まだ56才と人生を振り返るには大分早く、現に東証への上場を終え(57年)、スーパーカブが大ヒット(58年)。マン島TTレースでも優勝しノリに乗っていた頃(61年)です。
既に国内の二輪車販売台数では首位となっていたので、実績十分と宗一郎氏に白羽の矢が当たったのでしょう。
氏の書く文章からはその陽気な性格が滲み出ているように思います。幾度かの経営危機に直面しますが、不断の努力と周りの助けにも恵まれ、会社は成長を続けます。危機を乗り越えられたのは宗一郎氏のネアカなキャラクターも大きく作用したのではないでしょうか。
既に他界して28年。
宗一郎氏が間もなく訪れる2020年を見たら何を思うでしょう。
自動運転の技術を見たら?
これが本当の「自動車」と思うでしょうか?
マフラーのない電気自動車を見たら?
ホンダのロゴが入ったジェット機を見たら?
ホンダのロゴが入った走り回るロボットを見たら?
急速な高齢化社会に日本が直面していることを知ったら?
ホンダの正式な社名は「本田技研工業」。
「クルマ」の文字は入っていないんですね。
あくまで技術屋であること。
常にマーケットインの視点を欠かさなかった宗一郎氏ならばクルマに捕らわれず、独自の視座から21世紀の諸問題を見つめたのではないでしょうか。
本著の主題とはやや外れますが、裏から支えた銀行の存在もまた大きかったように思います。カブの販売網を作るにあたって、当時異例でもあった前金制度を導入。ここにメインの三菱銀行は販売代金の振込口座を自行にするよう、支店長名で郵送。これがホンダの信用力を裏付け、カブ販売大躍進の礎となりました。手紙の宛名書きは三菱の行員も手伝ったというのだから、力の入れように驚きます。カブの販売が失敗すれば三菱にも影響が及んだでしょうから、判断ができるだけの材料があったのでしょう。
それは経営パートナーの藤沢氏の発言からも読み取れます。
「銀行にたいしては私は何でもしゃべった。いっさい隠し事をせず、悪い問題も全部銀行に言った。全てを知っていれば銀行も正確な判断ができる。」と。
銀行と企業の関係は難しいです。医者と患者のように患者が正直に症状を訴えてくれれば、医者も正確な判断ができますが、金の借り手は貸し手に対して警戒するものです。貸し手は本当のことが知りたい、けれど実態を知ったら貸せるか確証がない。借り手も本当のことを知ってもらいたい。けれど全部話したら貸してくれるか自信がない。これが金融の難しさですね。
私の履歴書を上梓した後、4輪への進出、F1への挑戦に続き、環境問題に適応したcvccエンジンの発表をもって社長職を勇退します。そのDNAは社員たちに受け継がれ、今に至ります。
ホンダは私が新卒の時、憧れた企業だったんですけどね。優秀な人は山ほどいますので、当然入れるわけもなく…。
最後に宗一郎氏の言葉を一つ。
「朝は早く、夜は遅く、昼食の時間まで惜しんで、働くために働くことを能率なりとする考え方や、生活を楽しむことを罪悪視する戦時中の超克己主義は、能率の何たるかを解しない人の誤謬である。(1953年)」
どうでしょうか?60年以上前の発言です。働き方改革が叫ばれる現代にも通じる考え方はではないでしょうか?
おわり。
