嗅覚障害者の団体を作りたい。 I want to create an organization for people with smell disorders. -43ページ目

嗅覚障害者の団体を作りたい。 I want to create an organization for people with smell disorders.

リトル・ミックスのペリー・エドワーズも同じ嗅覚障害らしいですね。"Perrie Edwards from Little Mix also seems to have the same smell disorder as me, doesn't she?"

 

(広島県廿日市市にある、世界遺産の厳島神社。平家の氏神だった)

 

第81代天皇 安徳(あんとく)天皇 在位期間1180年~1185年 なお、「㉚」は「今上天皇の直系のご先祖様で、直系30代遡る」という意味です。

言仁(ときひと)親王。高倉天皇㉚の第1皇子。母は平清盛の娘・得子(建礼門院)。守貞親王(後堀河天皇の父。後高倉院)&後鳥羽天皇㉙の異母兄。

1178年生まれ。1歳と少し(数え3歳)で即位。外戚・清盛の時代だったが、即位直後に源氏が挙兵。清盛は福原への遷都を目指し、まず福原行幸という形をとる。

しかし、富士川の戦い※1で平家軍が源頼朝の軍に敗北すると平家打倒の動きが全国規模で活発になったため、また京都に戻った。

1181年清盛が63歳(数え64歳)で没。

1183年北陸で平家軍は木曽義仲の軍に大敗(倶梨伽羅落[くりからおとし])、義仲軍が迫ったため平家一門とともに京を追われる。このとき三種の神器も持ち出している。

1184年義仲源頼朝の弟の範頼義経に攻められ、宇治川の戦い※2で敗北し近江で討死。

同年平家は一ノ谷の戦い※3範頼義経に敗北、義経の奇襲攻撃で一門の多くを失う大打撃を受ける。

1185年屋島の戦い※4でも義経の奇襲攻撃により平家は敗北。

同年壇ノ浦の戦い※5で平家は滅び、安徳天皇も入水して6歳(数え8歳)で崩御した。歴代最年少での崩御。

 

※1 富士川の戦い 「水鳥の羽音に驚く平家」で有名。直接の勝者は甲斐源氏の軍だったという説が有力。

※2 宇治川の戦い 「宇治川の先陣争い」で有名。先陣争いで勝った佐々木高綱(ささきたかつな)は乃木希典(のぎまれすけ)の先祖。

※3 一ノ谷の戦い 「鵯越の逆落し(ひよどりごえのさかおとし)」「熊谷直実(くまがいなおざね)平敦盛(たいらのあつもり)で有名。無賃乗車の隠語「薩摩守(さつまのかみ)」のネーミング元となった薩摩守忠度(さつまのかみただのり)こと平忠度(たいらのただのり)もこの戦いで討死している。

※4 屋島の戦い 「扇の的」「弓流し」で有名。

※5 壇ノ浦の戦い 「八艘飛び(はっそうとび)」「宝剣喪失」で有名。生き残って子孫を残した清盛の異母弟・頼盛(よりもり)など例外もあり、平家一門が完全に絶えたわけではない。

「このとき喪失した天叢雲剣(あめのむらくものつるぎorあまのむらくものつるぎ。別名:草薙剣[くさなぎのつるぎ])は崇神天皇の時代に作られた形代(かたしろ。レプリカの一種)であり、オリジナル(スサノオがヤマタノオロチを退治したとき尻尾の中から現れた剣)はアマテラス→ニニギ→伊勢神宮→ヤマトタケルを経て熱田神宮にある。ごく短期間のわずかな例外を除き、現代まで熱田神宮の御神体として祀られている。平家の都落ちで三種の神器が持ち出される1か月前に伊勢神宮から献上された剣があり、1210年順徳天皇が皇位に就くにあたり後鳥羽上皇によって2代目の天叢雲剣の形代とされた」という。

 

現在の三種の神器の所在場所は以下の通りだが、最も神聖な、いわば究極のタブーとして、オリジナルも形代も厳重に保管されており、歴代天皇を含め、見た者は歴史上ほとんどいない。

1.天叢雲剣(草薙剣):オリジナルは熱田神宮、2代目形代は皇居の吹上御所の「剣璽の間(けんじのま)」。

2.八咫鏡(やたのかがみ):オリジナルは伊勢神宮、形代は皇居の宮中三殿の賢所(かしこどころ)。この形代は度重なる火災のため鏡の原型をとどめておらず、箱の中に灰が残されているだけと言われている。

3.八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま):皇居の吹上御所の「剣璽の間」。

『平家物語』冒頭

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれるひとも久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ。ひとへに風の前の塵に同じ。

(口語訳)祇園精舎の鐘の音は、諸行無常の響きがある。沙羅双樹の花の色は、盛んな者も必ず衰えるという道理を示している。おごり高ぶっている人の栄華も長く続くものではなく、まるで覚めやすいと言われている春の夜の夢のようである。勢いが盛んな者も結局は滅亡してしまう、まったく風の前の塵と同じである。

(ナツツバキの花。釈迦が入滅したとき周囲で咲いていたというインド原産の沙羅双樹の花は寒さに弱く日本では育たないため、日本ではナツツバキが代用として植えられ沙羅[シャラ]と呼ばれている。沙羅双樹[さらそうじゅ]と呼んでいる寺院もある。朝咲いて夕方には落ちてしまう一日花であり、『平家物語』沙羅双樹はナツツバキの方がふさわしい)

 

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(雑感)

 

今日のお題は、もちろん、『平家物語』です。

 

まず、「源平合戦・平家滅亡という大事件を軸にしている」「平清盛源頼朝源義経など、歴史的有名人を主要キャラにしている」という点、良いですよね。

やはり、物語、特に長編物語は、大事件や歴史的有名人を軸に展開させると面白い。そういう醍醐味、ありますよね。

シェイクスピア(Shakespeare)シーザー暗殺など多くの大事件を題材にしてますし、トルストイ(Толстой)『戦争と平和(Война и мир ヴァイナー・イ・ミール)』ナポレオン(Napoléon)のロシア遠征、ドストエフスキー(Достоевский)『罪と罰(Преступление и наказание プリェストゥープリェーニエ・イ・ナカザーニエ)』『カラマーゾフの兄弟(Братья Карамазовы ブラーチヤ・カラマーザヴイ)』も資産家殺人事件を軸に展開してます。

長編なのに大事件がない、しかも歴史的有名人が出ない、ひたすら主人公の日常や心理描写が続く、そういう小説もありますが、軸が無いと読んでいて大変です。私は苦手です。

 

 

そして、合戦シーンの描写、素晴らしいですよね生き生きとしていて、面白く、また味わい深いエピソードが次々に出てきます。

水鳥の羽音に驚く平家」「倶梨伽羅落」「宇治川の先陣争い鵯越の逆落し」「熊谷直実平敦盛扇の的」「弓流し」「八艘飛び」、良いですよね。

ホント、アイデア豊富ですよね。

 

 

第76代天皇 近衛(このえ)天皇 在位期間1142年1月(旧暦12月)~1155年 なお、「㉜」は「今上天皇の直系のご先祖様で、直系32代遡る」という意味です。

体仁(なりひと。旧字体で躰仁)親王。鳥羽天皇㉜の第9皇子。母は寵妃・得子(なりこ。美福門院[びふくもんいん])。崇徳天皇&後白河天皇㉛の異母弟。

1139年生まれ。鳥羽法皇の力で2歳(旧暦での数え3歳)で即位。皇子女に恵まれず在位のまま16歳(数え17歳)で崩御。

1154年イングランドでヘンリー2世が即位しプランタジネット朝が始まる。

 

1142年南宋(なんそう ナン・ソン)の将軍(しょうぐん ジャン・ジュン)、岳飛(がくひ ユエ・フェイ。ステレオタイプな愛国者の代表的人物)没。

1155年南宋の宰相(さいしょう ザイ・シャン)、秦檜(しんかい チン・グイ。ステレオタイプな売国奴の代表的人物)没。

 

第77代天皇 後白河(ごしらかわ)天皇㉛ 在位期間1155年~1158年

雅仁(まさひと)親王。鳥羽天皇㉜の第4皇子。母は中宮・璋子。崇徳天皇の同母弟、近衛天皇の異母兄。二条天皇&高倉天皇㉚の父。

1127年生まれ。鳥羽法皇の寵妃・美福門院の養子である守仁王(もりひとおう。二条天皇)を皇位につけるため、守仁王が即位するまでの中継ぎとして、その父の雅仁親王(後白河天皇)が27歳(数え29歳)で即位することとなった。

しかし、1156年武士の武力を利用して保元の乱を制し、信西や平清盛と共に実権を握る。

30歳(数え32歳)で二条天皇に譲位し1169年41歳(数え43歳)で出家し法皇となるも、後鳥羽天皇㉙時代の1192年に64歳(数え66歳)で崩御するまで、34年間も「治天の君」として君臨した。

平氏の勢力が巨大になると源氏と結び、源氏同士も対立させて、権力の座にあり続けようとしたが、武士の武力を利用して解決しようとすればするほど、武士の勢力はどんどん増してゆき、以後約700年続く武家政権の時代を到来させるという皮肉な結果となった。日本の古代の終わり&中世の始まりというターニングポイントの中心人物の一人。源頼朝に「日本国第一の大天狗」と評された。

目新しいものが好きで遊興を好んだ一方、和歌や漢詩の才は微妙だったと言われている。千載和歌集の下命者でもある。

 
 

第78代天皇 二条(にじょう)天皇 在位期間1158年~1165年

守仁(もりひと)親王。後白河天皇㉛の第1皇子。高倉天皇㉚の異母兄。六条天皇の父。

1143年生まれ。15歳(数え16歳)で即位。

1160年平治の乱では天皇の確保に両軍(藤原信頼&源義朝vs信西&平清盛)が動いた。父上皇との二頭政治を現出したが、病気のため22歳(数え23歳)で譲位し1か月後に崩御。

1160年代にカンボジアのアンコール・ワット完成。

 

第79代天皇 六条(ろくじょう)天皇 在位期間1165年~1168年

順仁(のぶひと)親王。二条天皇の第2皇子。

1164年生まれ。7か月と11日(数え2歳)で即位した、歴代最年少の天皇。後白河上皇㉛の院政下にあった。

3歳(数え5歳)で譲位、これも歴代最年少の上皇。

11歳(数え13歳)で崩御。

1167年オックスフォード大学創立。

 

第80代天皇 高倉(たかくら)天皇㉚ 在位期間1168年~1180年

後白河天皇㉛の第7皇子。母・平滋子(たいらのしげこ)は平清盛の継室・時子(二位尼)の異母妹。二条天皇の異母弟。安徳天皇&守貞親王(後堀河天皇の父。後高倉院)&後鳥羽天皇㉙の父。

1161年生まれ。後白河上皇と清盛がまだ良好な関係だった頃、清盛が病の床から後白河上皇に願い、6歳(数え8歳)で即位した。

1170年清盛は貿易港にしようとして造った大輪田泊(おおわだのとまり。現、兵庫県神戸市兵庫区)に後白河法皇を招き、宋(南宋)の商人と面会。

1172年に宋から後白河法皇と清盛に供物が届けられた。その送文には「日本国王に賜ふ物色、太政大臣に送る物色」と記されていた。「日本国王」は後白河法皇を、「太政大臣」は清盛を指していたが、「国王(こくおう グオ・ワン)」は中国皇帝(ちゅうごくこうてい ヂョン・グオ・ホゥアン・ディ)が周辺諸国に授ける臣下の称号で「賜ふ」というのも日本を見下した文言であり、また供物を送ったのが皇帝ではなく地方官(ちほうかん ディー・ファン・グアン)だった皇帝の兄(あに 哥哥 ガェ・ガ)だったこともあり、「相互に差別のない対等な外交に反する」という批判が公家の中から起きた。

しかし結局、翌1173年に返書と贈答品が贈られた。これをもって「正式に国交を開いて日宋貿易が行われた」と言われている。

日本へは宋銭、陶磁器(とうじき タオ・ツー・チー)、絹織物、書籍、文具、香料、薬品、絵画などの美術品などが輸入された。

日本からは奥州藤原氏ルートの金や銀・銅・硫黄などの鉱物、周防など西国で産した木材、日本刀や扇などの工芸品などが輸出された。

日本に輸入された宋銭は、貨幣利用の進展・貨幣経済の発展に役立ち、仏教経典の輸入は鎌倉仏教にも影響を与えた。

1172年、高倉天皇は清盛の娘・平徳子(建礼門院)を中宮とする。『平家物語』によれば、1174年頃、平時忠(時子の同母弟、滋子の異母兄)が平氏の栄華をたたえて「一門にあらざらん者はみな人非人なるべし (現代語訳)平家にあらずんば人にあらず」と発言したという。

しかし、後白河法皇と清盛の対立が始まる(1177年鹿ケ谷の陰謀、1179年治承三年の政変)。

徳子との間にもうけた言仁親王(安徳天皇)に18歳(数え20歳)で譲位し、院政を始めるも、翌年19歳(数え21歳)で崩御。

笛の名手だったと言われている。

1170年(or1150年)パリ大学創立。

 

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(雑感)

 

今回のお題は2つ。「岳飛と秦檜」と「貿易」です。

岳飛と秦檜」は、「大事ですのでお題には取り上げます。しかし、大変難しくてリスクが高いので、コメントは控えます」、です。

2つ目のお題「貿易」へ。

 

(比較優位の原理について、私がエクセルで作った図)

 

貿易は、富を生むし、儲かりますよね。理論的には第6回でも言及したデイビッド・リカード(David Ricardo)の「比較優位の原理(Principle of comparative advantage)」で自由貿易が富を生むことが証明されてます

平氏一族、とくに平清盛は、貿易が儲かることに気づき日本で大規模に貿易をやろうとした画期的な人。もちろん、評価してます。

 

ただ、貿易って、色々と反対が起こりますよね。最近だとTPPも反対が多く大変そうです。

昔の中国王朝との貿易では、中国側の文書の文言が「これは対等ではない、相互に差別のない対等な外交に反する」と問題になるのが恒例のパターン。

せっかく貿易という富を生むし儲かるビジネスがあるのにもったいない気がしますが、反対論も簡単に退けることができない難しい問題です。世の中って厳しいですね。

貿易の仕事儲かることは、良いことですよね。正直羨ましいです。私は嗅覚障害者としての強い自覚をもっと早く持ちたかった。高校生までには持ちたかった。それができていれば、嗅覚障害に取り組むために必要な経済的基盤を考えて、嗅覚障害者でもできるビジネスとして貿易関係の仕事を選んでいたかもしれません。

 

第74代天皇 鳥羽(とば)天皇㉜ 在位期間1107年~1123年 なお、「㉜」は「今上天皇の直系のご先祖様で、直系32代遡る」という意味です。

宗仁(むねひと)親王。堀河天皇㉝の子。崇徳天皇&近衛天皇&後白河天皇㉛の父。

1103年生まれ。4歳(数え5歳)で即位。白河院政下にあった。

20歳(数え21歳)で譲位した時点でも白河院政下にあったが、1129年に白河法皇㉞が76歳(数え77歳)で崩御すると、自ら院政を開始。

2012年(平成24年)の大河ドラマ『平清盛』では、中宮・璋子(たまこ)との間の嫡子・崇徳天皇が実は祖父・白河法皇&璋子の不義の子と知り、崇徳天皇が実権を握ることを阻止したと描かれた。

53歳(数え54歳)で崩御。

寺社の強訴を防ぐための院直属軍である「北面の武士」として伊勢平氏が台頭してくる。1108年平正盛が源義親を討伐。1113年永久の強訴=清水寺(興福寺派)が延暦寺派僧兵に打ち壊された事件でも、正盛と息子・忠盛が活躍。

※ 璋子 たまこ。待賢門院(たいけんもんいん)。西行(1118年生~1190年数え73歳で没)が1140年に数え23歳で出家して自由に旅をし詩歌を詠む人生をはじめたのは、璋子との悲恋が原因という説もある。女房(=女官)には歌人の待賢門院堀河(たいけんもんいんのほりかわ)がいて、西行とは歌人として交流があった。

西行の百人一首の第86(千載集)

嘆けとて月やは物を思はするかこち顔なるわが涙かな

なげけとてつきやはものをおもわする、かこちがおなるわがなみだかな。

(口語訳)嘆き悲しめと月はわたしに物思いをさせるのだろうか。いや、そうではあるまい。本当は恋の悩みの所為なのに、まるで月の仕業であるかのように流れるわたしの涙ではないか。

待賢門院堀河の百人一首の第80(千載集)

長からむ心も知らず黒髪の乱れて今朝は物をこそ思へ

ながからむこころもしらずくろかみの、みだれてけさはものをこそおもえ。

(口語訳)あなたの心は末永くまで決して変わらないかどうか、わたしの黒髪が乱れているように、わたしの心も乱れて、今朝は物思いに沈んでおります。

大河ドラマ『平清盛』では、待賢門院堀河が「長からむ心も知らずわが袖の濡れてぞ今朝は物をこそ思へ」と詠んだのを西行(当時の名は佐藤義清[さとうのりきよ])が推敲して変えた。

 

 

第75代天皇 崇徳(すとく)天皇 在位期間1123年~1142年1月(旧暦12月)

顕仁(あきひと)親王。鳥羽天皇㉜の第1皇子。母は中宮・璋子(たまこ)。白河法皇㉞&璋子の子という説もある。

1119年生まれ。3歳(数え5歳)で即位。白河法皇、鳥羽法皇の院政下にあった。

22歳(旧暦での数え23歳)のとき鳥羽法皇の無理強いで異母弟・近衛天皇に譲位。

上皇時代に詞花和歌集の編纂を命じている。

上皇として実権を握ることも鳥羽法皇に阻止され、1156年鳥羽法皇が崩御すると挙兵を決意(保元の乱。崇徳上皇&藤原頼長&藤原忠実&源為義&源為朝 vs 後白河天皇㉛&藤原忠通&信西&源義朝&平清盛&足利義康)。しかし夜襲を受けて敗北、讃岐に流され、8年後に45歳(数え46歳)で崩御。

西行と親交があった。江戸時代に上田秋成が書いた『雨月物語』第1篇「白峰(しらみね)」(1776年刊行)では怨霊となった崇徳院と西行が対峙する。

★「崇徳院」名義の崇徳上皇の百人一首の第77(詞花集)

瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ

せをはやみいわにせかるるたきがわの、われてもすえにあわんとぞおもう。

(口語訳)川の流れが早いので、岩にせき止められた急流が時にはふたつに分かれても、またひとつになるように、わたし達の間も、(今はたとえ人にせき止められていようとも)後にはきっと結ばれるものと思っています。

1127年宋(そう ソン)が北方の金(きん ジン)にいったん滅ぼされる(靖康の変[せいこうのへん ジン・カン・ヂー・ビエン])。難を逃れた皇帝の弟が南宋(なんそう ナン・ソン。1127年~1279年)を建国する。

 

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(雑感)

 

今日のお題は「自由に旅をし詩歌を詠む人生」です。

青雲の志を捨て、自由に旅をし詩歌を詠む人生を選ぶ」、そんな歴史的人物が、ついにニッポンに出現するのです。もちろん、西行のことです。

だいぶ前、第6回の第17代・履中天皇のところで、427年に没した田園詩人(でんえんしじん ティエン・ユゥエン・シー・レン)・陶淵明(とうえんめい タオ・ユゥエン・ミン)をお題にしました。あれから700年、やっと「自由に旅をし詩歌を詠む人生」をお題にできます。

うーん、長かった。現代人としては、「フツー、青雲の志を捨てたら、すぐ『自由に旅をし詩歌を詠む人生』が思いつくだろー。なんでもっと早くこういう歴史的人物が出現しなかったんだろ?」なんて思っちゃいます。こういうの、「後からなら何とでも言える」ってヤツでしょうか。権力が及ばないエリアがいっぱいあって、宿場町も整備されてない古代社会じゃ、一人旅は超ハイリスクのスーパーアドベンチャーだったのかもしれません。

とにかく、西行は、青雲の志を捨て、自由に旅をし詩歌を詠む人生を選んだのです。1140年のことです。

私は西行をとても評価してます。

陶淵明の選んだ「田園詩人」も良いですけど、やっぱり、田畑を耕すより旅をした方が楽しいですよね。

もちろん、経済的に何とかなりそうな見通しがあって、文武両道で自分の身を守れる自信が必要です。西行なら可能だったわけですね。

ちなみに、私はこういう人生を選んでません。嗅覚障害者であり、「嗅覚障害に取り組む人生」を選んでるからです。

やっぱり、「青雲の志を捨て、自由に旅をし詩歌を詠む人生を選ぶ」というのは、健常者にお似合いです。

私には似合いませんね。

したがって、「もしも、私が健常者だったら、こういうをしたいなぁ」という仮定の話として、以下進めます。

現代だったら、やっぱり、国内よりも世界中を旅してみたいですよね。昔と違ってそれが簡単にできるんですから。

イギリス・アメリカ・フランスはのちのち単独でお題にする予定なので、それ以外の国で行きたい場所を思い浮かべてみます。

まず、ボリビアのウユニ塩湖。

アンデス山脈の隆起で取り残された海が干上がってできた、標高およそ3700mにある塩湖です。東西南北の幅がおよそ100kmもあるのに高低差が50cmしかなく、雨が降ると雨水が全体に薄く広がって鏡のようになり、いわゆる「天空の鏡」が出現します。

うーん、綺麗、まさに絶景!

でも、「天空の鏡」は出現タイミングが少ないそうですし、高山病とか現地の微妙な食事とか、遠いわコスト高いわで大変みたいです。

エジプトのピラミッド。

やっぱり、三大ピラミッドとスフィンクスは外せないでしょう。多くを語る必要なしの絶景ですよね。

インドのタージ・マハル。

とにかく綺麗、美しいですよね。歴史的建造物って、正直「でっかいけど、もう美しくはないな」って場合が多いんですけど、タージ・マハルの美しさはまさに奇跡、人類の遺産ですね。

ムガル帝国皇帝シャー・ジャハーンと愛妃ムムターズ・マハルの物語も素敵です。

日本でこれ作ったら、地震で白大理石が壊れちゃいますね。

スペインのサグラダ・ファミリア(Templo de la Sagrada Familia テンプロ・デ・ラ・サグラダ・ファミリア)。

有名な話ですが、まだ作ってるんですよね。1882年(明治15年)着工、現時点で2026年(令和8年)完成予定。建築期間144年間。昔は300年かかると言われてたんですから、技術の進歩って凄いですね。中央部に一番高い塔ができるはずで、楽しみです。

サグラダ・ファミリアの内部。なんという素晴らしさ、アントニオ・ガウディ(Antonio Gaudí)天才としか言いようがありません。作ってる最中なのに世界遺産でスペインでナンバーワンの観光名所なのも納得です。

ギリシャのサントリーニ島。

エーゲ海に浮かぶ島で、断崖の上にびっしり並んだ真っ白な建物が綺麗です。

大昔は火山島だったのが紀元前17世紀~紀元前15世紀に山体崩壊、カルデラの外輪山だけの島になりました。島全体の地図や写真を見ると「山体崩壊ってこんなに凄いのか!?」とビビります。プラトンが記したアトランティスのモデルではないかという説でも有名ですよね。

そう言えば、去年の12月22日、インドネシアでも火山の山体崩壊と津波のニュースがありました。「山体崩壊おそるべし。日本人は油断してるかもしれない」と心配になります。

(「インドネシアの津波 火山の山体崩壊で発生か」 ANN公式動画)

同じくサントリーニ島の夕焼け。素晴らしい絶景ですよね。ポール・モーリアの「エーゲ海の真珠」を聴きたくなります。あの曲ってホント、エーゲ海にピッタリですよね。

中国(ちゅうごく ヂョン・グオ)の万里の長城(ばんりのちょうじょう ワン・リー・チャン・チョン)。

やはり、ここは外せませんね。ピラミッド同様、多くを語る必要なしの絶景です。

とまあ、ごく普通の観光地です。あんまり、大陸で一番高い山とか奥地とか大自然とか好きじゃないんですよね。あと、小さいのも微妙。でっかくて綺麗な建造物が好きです。

例外はウユニ塩湖です。「天空の鏡」は格別ですね。