第74代天皇 鳥羽(とば)天皇㉜ 在位期間1107年~1123年 なお、「㉜」は「今上天皇の直系のご先祖様で、直系32代遡る」という意味です。
宗仁(むねひと)親王。堀河天皇㉝の子。崇徳天皇&近衛天皇&後白河天皇㉛の父。
1103年生まれ。4歳(数え5歳)で即位。白河院政下にあった。
20歳(数え21歳)で譲位した時点でも白河院政下にあったが、1129年に白河法皇㉞が76歳(数え77歳)で崩御すると、自ら院政を開始。
2012年(平成24年)の大河ドラマ『平清盛』では、中宮・璋子(たまこ)※との間の嫡子・崇徳天皇が実は祖父・白河法皇&璋子の不義の子と知り、崇徳天皇が実権を握ることを阻止したと描かれた。
53歳(数え54歳)で崩御。
寺社の強訴を防ぐための院直属軍である「北面の武士」として伊勢平氏が台頭してくる。1108年平正盛が源義親を討伐。1113年永久の強訴=清水寺(興福寺派)が延暦寺派僧兵に打ち壊された事件でも、正盛と息子・忠盛が活躍。
※ 璋子 たまこ。待賢門院(たいけんもんいん)。西行(1118年生~1190年数え73歳で没)が1140年に数え23歳で出家して自由に旅をし詩歌を詠む人生をはじめたのは、璋子との悲恋が原因という説もある。女房(=女官)には歌人の待賢門院堀河(たいけんもんいんのほりかわ)がいて、西行とは歌人として交流があった。
★西行の百人一首の第86(千載集)
嘆けとて月やは物を思はするかこち顔なるわが涙かな
なげけとてつきやはものをおもわする、かこちがおなるわがなみだかな。
(口語訳)嘆き悲しめと月はわたしに物思いをさせるのだろうか。いや、そうではあるまい。本当は恋の悩みの所為なのに、まるで月の仕業であるかのように流れるわたしの涙ではないか。
★待賢門院堀河の百人一首の第80(千載集)
長からむ心も知らず黒髪の乱れて今朝は物をこそ思へ
ながからむこころもしらずくろかみの、みだれてけさはものをこそおもえ。
(口語訳)あなたの心は末永くまで決して変わらないかどうか、わたしの黒髪が乱れているように、わたしの心も乱れて、今朝は物思いに沈んでおります。
大河ドラマ『平清盛』では、待賢門院堀河が「長からむ心も知らずわが袖の濡れてぞ今朝は物をこそ思へ」と詠んだのを西行(当時の名は佐藤義清[さとうのりきよ])が推敲して変えた。
第75代天皇 崇徳(すとく)天皇 在位期間1123年~1142年1月(旧暦12月)
顕仁(あきひと)親王。鳥羽天皇㉜の第1皇子。母は中宮・璋子(たまこ)。白河法皇㉞&璋子の子という説もある。
1119年生まれ。3歳(数え5歳)で即位。白河法皇、鳥羽法皇の院政下にあった。
22歳(旧暦での数え23歳)のとき鳥羽法皇の無理強いで異母弟・近衛天皇に譲位。
上皇時代に詞花和歌集の編纂を命じている。
上皇として実権を握ることも鳥羽法皇に阻止され、1156年鳥羽法皇が崩御すると挙兵を決意(保元の乱。崇徳上皇&藤原頼長&藤原忠実&源為義&源為朝 vs 後白河天皇㉛&藤原忠通&信西&源義朝&平清盛&足利義康)。しかし夜襲を受けて敗北、讃岐に流され、8年後に45歳(数え46歳)で崩御。
西行と親交があった。江戸時代に上田秋成が書いた『雨月物語』第1篇「白峰(しらみね)」(1776年刊行)では怨霊となった崇徳院と西行が対峙する。
★「崇徳院」名義の崇徳上皇の百人一首の第77(詞花集)
瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ
せをはやみいわにせかるるたきがわの、われてもすえにあわんとぞおもう。
(口語訳)川の流れが早いので、岩にせき止められた急流が時にはふたつに分かれても、またひとつになるように、わたし達の間も、(今はたとえ人にせき止められていようとも)後にはきっと結ばれるものと思っています。
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1127年宋(そう ソン)が北方の金(きん ジン)にいったん滅ぼされる(靖康の変[せいこうのへん ジン・カン・ヂー・ビエン])。難を逃れた皇帝の弟が南宋(なんそう ナン・ソン。1127年~1279年)を建国する。
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(雑感)
今日のお題は「自由に旅をし詩歌を詠む人生」です。
「青雲の志を捨て、自由に旅をし詩歌を詠む人生を選ぶ」、そんな歴史的人物が、ついにニッポンに出現するのです。もちろん、西行のことです。
だいぶ前、第6回の第17代・履中天皇のところで、427年に没した田園詩人(でんえんしじん ティエン・ユゥエン・シー・レン)・陶淵明(とうえんめい タオ・ユゥエン・ミン)をお題にしました。あれから700年、やっと「自由に旅をし詩歌を詠む人生」をお題にできます。
うーん、長かった。現代人としては、「フツー、青雲の志を捨てたら、すぐ『自由に旅をし詩歌を詠む人生』が思いつくだろー。なんでもっと早くこういう歴史的人物が出現しなかったんだろ?」なんて思っちゃいます。こういうの、「後からなら何とでも言える」ってヤツでしょうか。権力が及ばないエリアがいっぱいあって、宿場町も整備されてない古代社会じゃ、一人旅は超ハイリスクのスーパーアドベンチャーだったのかもしれません。
とにかく、西行は、青雲の志を捨て、自由に旅をし詩歌を詠む人生を選んだのです。1140年のことです。
私は西行をとても評価してます。
陶淵明の選んだ「田園詩人」も良いですけど、やっぱり、田畑を耕すより旅をした方が楽しいですよね。
もちろん、経済的に何とかなりそうな見通しがあって、文武両道で自分の身を守れる自信が必要です。西行なら可能だったわけですね。
ちなみに、私はこういう人生を選んでません。嗅覚障害者であり、「嗅覚障害に取り組む人生」を選んでるからです。
やっぱり、「青雲の志を捨て、自由に旅をし詩歌を詠む人生を選ぶ」というのは、健常者にお似合いです。
私には似合いませんね。
したがって、「もしも、私が健常者だったら、こういう旅をしたいなぁ」という仮定の話として、以下進めます。
現代だったら、やっぱり、国内よりも世界中を旅してみたいですよね。昔と違ってそれが簡単にできるんですから。
イギリス・アメリカ・フランスはのちのち単独でお題にする予定なので、それ以外の国で行きたい場所を思い浮かべてみます。
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まず、ボリビアのウユニ塩湖。
アンデス山脈の隆起で取り残された海が干上がってできた、標高およそ3700mにある塩湖です。東西南北の幅がおよそ100kmもあるのに高低差が50cmしかなく、雨が降ると雨水が全体に薄く広がって鏡のようになり、いわゆる「天空の鏡」が出現します。
うーん、綺麗、まさに絶景!
でも、「天空の鏡」は出現タイミングが少ないそうですし、高山病とか現地の微妙な食事とか、遠いわコスト高いわで大変みたいです。
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エジプトのピラミッド。
やっぱり、三大ピラミッドとスフィンクスは外せないでしょう。多くを語る必要なしの絶景ですよね。
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インドのタージ・マハル。
とにかく綺麗、美しいですよね。歴史的建造物って、正直「でっかいけど、もう美しくはないな」って場合が多いんですけど、タージ・マハルの美しさはまさに奇跡、人類の遺産ですね。
ムガル帝国皇帝シャー・ジャハーンと愛妃ムムターズ・マハルの物語も素敵です。
日本でこれ作ったら、地震で白大理石が壊れちゃいますね。
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スペインのサグラダ・ファミリア(Templo de la Sagrada Familia テンプロ・デ・ラ・サグラダ・ファミリア)。
有名な話ですが、まだ作ってるんですよね。1882年(明治15年)着工、現時点で2026年(令和8年)完成予定。建築期間144年間。昔は300年かかると言われてたんですから、技術の進歩って凄いですね。中央部に一番高い塔ができるはずで、楽しみです。
サグラダ・ファミリアの内部。なんという素晴らしさ、アントニオ・ガウディ(Antonio Gaudí)天才としか言いようがありません。作ってる最中なのに世界遺産でスペインでナンバーワンの観光名所なのも納得です。
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ギリシャのサントリーニ島。
エーゲ海に浮かぶ島で、断崖の上にびっしり並んだ真っ白な建物が綺麗です。
大昔は火山島だったのが紀元前17世紀~紀元前15世紀に山体崩壊、カルデラの外輪山だけの島になりました。島全体の地図や写真を見ると「山体崩壊ってこんなに凄いのか!?」とビビります。プラトンが記したアトランティスのモデルではないかという説でも有名ですよね。
そう言えば、去年の12月22日、インドネシアでも火山の山体崩壊と津波のニュースがありました。「山体崩壊おそるべし。日本人は油断してるかもしれない」と心配になります。
(「インドネシアの津波 火山の山体崩壊で発生か」 ANN公式動画)
同じくサントリーニ島の夕焼け。素晴らしい絶景ですよね。ポール・モーリアの「エーゲ海の真珠」を聴きたくなります。あの曲ってホント、エーゲ海にピッタリですよね。
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中国(ちゅうごく ヂョン・グオ)の万里の長城(ばんりのちょうじょう ワン・リー・チャン・チョン)。
やはり、ここは外せませんね。ピラミッド同様、多くを語る必要なしの絶景です。
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とまあ、ごく普通の観光地です。あんまり、大陸で一番高い山とか奥地とか大自然とか好きじゃないんですよね。あと、小さいのも微妙。でっかくて綺麗な建造物が好きです。
例外はウユニ塩湖です。「天空の鏡」は格別ですね。