嗅覚障害者の団体を作りたい。 I want to create an organization for people with smell disorders. -44ページ目

嗅覚障害者の団体を作りたい。 I want to create an organization for people with smell disorders.

リトル・ミックスのペリー・エドワーズも同じ嗅覚障害らしいですね。"Perrie Edwards from Little Mix also seems to have the same smell disorder as me, doesn't she?"

(2019年[平成31年]1月5日、豊洲市場の初競りで278kgの大間産クロマグロが史上最高値3億3360万円[120万円/kg]で落札された。ANN公式動画) 

 

 

第72代天皇 白河(しらかわ)天皇㉞ 在位期間1073年1月(旧暦12月)~1087年1月(旧暦11月) なお、「㉞」は「今上天皇の直系のご先祖様で、直系34代遡る」という意味です。

貞仁(さだひと)親王。後三条天皇㉟の子。堀河天皇㉝の父。

1053年生まれ。19歳(旧暦での数え20歳)で即位。

33歳(旧暦での数え34歳)で7歳(数え8歳)の子・堀河天皇㉝に譲位し、後見して院政を開始した。

1096年出家し法皇となる。

堀河天皇は成人すると関白・藤原師通(ふじわらのもろみち)と協力し白河院政からの自立を目指すが、師通は急死し堀河天皇も20代で崩御する。

結局、堀河・鳥羽・崇徳と幼帝の擁立が3代続き、院政は43年間続いた。

『平家物語』白河法皇が「賀茂河の水、双六の賽、山法師(比叡山延暦寺の僧兵)」、この3つだけはどうしても思うようにならないと嘆いたというエピソードがある(天下三不如意)。

のちに京都五山第五位となる万寿寺(まんじゅじ)の創立者でもある。

後拾遺和歌集金葉和歌集の下命者でもある。

2012年(平成24年)の大河ドラマ『平清盛』では平清盛や崇徳天皇の実父として描かれた。

1129年、76歳(数え77歳)で崩御。

 

1083年~1087年後三年の役。

勝者・清原清衡(きよはらのきよひら)は名を藤原清衡(ふじわらのきよひら)と改め、奥州藤原氏三代の時代(清衡基衡秀衡)が始まる。中尊寺金色堂などの平泉文化が花開き、2011年(平成23年)に世界遺産となった。

(岩手県西磐井郡平泉町にある中尊寺の、金色堂覆堂[こんじきどうふくどう]。1965年[昭和40年]に鉄筋コンクリート造りで建てられた。内部に大型ガラスケースで保護された国宝の中尊寺金色堂がある。中尊寺金色堂は、1124年に藤原清衡が自らの葬堂として建立した、黒漆塗りの上に金箔を押した阿弥陀堂。堂内には清衡・基衡・秀衡3代のミイラ化した遺体と泰衡の首級を安置し、当時の工芸の粋を集めている。)

 

(世界遺産に平泉[岩手県] ANNニュースチャンネル公式動画)

 

もう一人の勝者・源義家も「武家の棟梁」という地位を確立した。源頼朝はもちろん、足利尊氏も徳川家康も、「自分は清和源氏・源義家の子孫であり、かつ、『武家の棟梁』であるのだから、征夷大将軍になる資格がある。」と主張することとなる。

 

 

第73代天皇 堀河(ほりかわ)天皇㉝ 在位期間1087年1月(旧暦11月)~1107年

善仁(たるひと)親王。白河法皇㉞の第2皇子。鳥羽天皇㉜の父。

1079年生まれ。7歳(旧暦での数え8歳)で即位。父の院政下にあった。

成人すると関白・藤原師通(ふじわらのもろみち)と協力して白河院政からの自立を目指すが、師通の急死により頓挫する。

その後は芸術方面に取り組み、特に笛の名手だったという。

在位のまま28歳(数え29歳)で崩御。

1095年クレルモン公会議、1096年第1回十字軍。

1096年永長地震(えいちょうじしん)が発生。東海&東南海巨大地震。南海も含むという説もある。

1098年源義家が白河法皇から昇殿を許される。

1099年康和地震(こうわじしん)が発生。南海巨大地震(反対説あり)。

1101年源義家の次男・義親(よしちか)の乱行が問題化、1106年義家没。

 

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(雑感)

 

今日のお題は「マグロ」です。3億円のマグロ、凄いですね。もちろん世界遺産・奥州平泉文化も凄いんですけど、いま東北の話題で一番「凄い」話題と言えばやはり大間のマグロ

当初は「後三年の役があった、これは大事、お題は平泉文化」の予定だったんですが、大間のマグロ3億と聞いて変更です。

以前書いたように、魚型ロボット、と言いますか、ルアー型ロボット、これを使って釣りをすることが、嗅覚障害者としてやってみたいことです。「魚の臭いにおいなんて全く平気。魚を釣りまくって、売れるものは売り、食べれるものは食べ、あとは堆肥製造機で堆肥にする」ということをやりたいのです。

マグロなんて大きすぎてまず無理でしょうけど、釣れるものなら、もちろん、釣りたいですね。

冷凍マグロって、マイナス60℃くらいの超低温冷凍なんだそうですね。普通の冷凍倉庫はマイナス25℃くらいですから、凄いです。

嗅覚がないのでグルメ趣味は不向きです。もちろんマグロも微妙。こういう自覚が強くなって以降、自ら好んでマグロを食べることはありません。

とは言え、何かとマグロを食べる機会は多いので、そういうときは食べてます。家族が好きで買ってきちゃうんですよね。

それにしても、マグロ一匹3億円とは、景気が良いです。夢がありますよね。

ルアーが自分から突進してくれて魚が釣れるルアー型ロボット、早く開発・実用化されてほしいものです。

 

第70代天皇 後冷泉(ごれいぜい)天皇 在位期間1045年~1068年 なお、「㊱」は「今上天皇の直系のご先祖様で、直系36代遡る」という意味です。

親仁(ちかひと)親王。後朱雀天皇㊱の第1皇子。母は藤原道長の六女・喜子(よしこorきし。親仁親王を産んだ二日後に薨去、当時の位は東宮妃)。後三条天皇㉟の異母兄。乳母は、紫式部の娘、大弐三位(だいにのさんみ。藤原賢子[ふじわらのかたいこorけんし]。父は藤原宣孝[ふじわらののぶたか])。

1025年生まれ。19歳(数え21歳)で即位。

道長の子・頼通(よりみち。世界遺産・宇治平等院鳳凰堂の造営者)の一人娘を皇后にしたが皇子が生まれず、藤原摂関家の全盛期は終わった。

1045年&1055年荘園整理令に着手。

1051年~1062年前九年の役。

在位のまま42歳(数え44歳)で崩御。

 

大弐三位の百人一首の第58(後拾遺集)

有馬山猪名の笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする

ありまやまいなのささはらかぜふけば、いでそよひとをわすれやはする。

(口語訳)有馬山のふもとにある猪名の笹原に風が吹くと、笹の葉がそよそよと鳴りますが、そうです、その音のように、どうしてあなたを忘れたりするものでしょうか。

1060年ころ、菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)『更級日記(さらしなにっき)』成立。

『更級日記』あらすじ

作者・菅原孝標女(1008年生~没年不詳。菅原道真の5代孫。『蜻蛉日記』の作者・藤原道綱母の姪)1020年~1059年頃の約40年間を回想した日記文学。

1018年父(地方官。中流もしくは下級貴族階級)の任地・上総(現、千葉県)に下るが、姉や継母などが退屈しのぎに話題にする物語の世界に憧れ、もっとたくさんの物語を読みたいと薬師如来に祈るほどになる

1020年、3年の任期を終えた父と一緒に京に戻る。

翌年、『源氏物語』全54帖を贈られ、后になるよりも嬉しいと思い読みふける。この文学少女には物語の世界と現実の世界との区別がなくなる。『源氏物語』夕顔浮舟の境遇に憧れ、彼女たちのように、自らも高貴の人によって、山里などに隠れ住まわされ、その人の訪れを待つようになることを空想する

しかし、現実は思うようにはならず、彼女の身の上にそのような幸運が訪れることはなかった。

1039年、薦める人があって、後朱雀天皇の皇女の家で宮仕えする。

翌1040年、橘俊通(たちばなのとしみち。父と同じく地方官)と結婚する。このあたりから彼女も物語の世界が現実の世界とは異なることに気づき、仏教に心が魅かれるようになる。

1058年、夫に先立たれ、阿弥陀仏を信仰して余生を過ごす。

最後は孤独な境遇の中、人生のはかなさをかみしめる。

 

 

第71代天皇 後三条(ごさんじょう)天皇㉟ 在位期間1068年~1073年1月(旧暦12月)

尊仁(たかひと)親王。後朱雀天皇㊱の第2皇子。母は皇后・禎子内親王(さだこorよしこorていしないしんのう。三条天皇と中宮・妍子[きよこorけんし]の娘。)。後冷泉天皇の異母弟。

1034年生まれ。33歳(数え35歳)で即位。

円融流を父方、冷泉流を母方とする後三条天皇の即位で両皇統は融合されることとなった。

外祖父が三条天皇であり、宇多天皇以来171年ぶりの藤原氏を外戚としない天皇である。外戚勢力が弱く、また皇子時代に藤原頼通から冷遇された経験から、親政に乗り出し能力本位で人事を行う。

1069年延久の荘園整理令を発布し、効果を上げている。

38歳(旧暦での数え39歳)で譲位し、5か月後に崩御(数え40歳)。

 

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(雑感)

 

今回のお題は「憧れ、期待」です。第29回のお題『源氏物語』で書いた通り、『更級日記』の話題です。

『源氏物語』『更級日記』、あわせて読むと、俄然面白いですよね。

『更級日記』って、もっと評価されて良い作品だと思いませんか?私はかなり評価してます。

ややもすると「1000年前の文系オタク女子」という狭いカテゴリのレッテルを貼られがちですが、もっと普遍的な、「憧れ、期待」というテーマが感じられます。

誰だって、何かに憧れ、何かを期待すること、ありますよね。

それです、それ。普遍的なテーマ。そう思うのです。

もちろん、程度の差というものがあります。強烈な憧れ・期待から、ほんのちょっとの憧れ・期待まで。

『更級日記』の主人公(作者)の憧れ・期待は、かなり強烈。普通より2歩も3歩も先を行って、深いレベルに達してます。ここがまた面白いところです。

まず、対象が漠然とフィクションの物語一般ではなくて、特定の物語、ピンポイントであること。

次に、そのピンポイントの物語が、並みの存在ではない、日本文学史上に燦然と輝く『源氏物語』であること。

さらに、その『源氏物語』の特定の2人のキャラクターにピンポイントで憧れてること。

しかも、そのキャラクターというのが、ナンバーワン女性キャラとは違う、夕顔浮舟であること。

そして、12歳頃からスタートして32歳頃に諦めるまで、およそ20年も延々と憧れ・期待し続けていたこと。

その上、やっと諦めたと思ったら、今度は仏教・阿弥陀仏に憧れ・期待し、そのまま50過ぎまで行ってしまったことです。

特に、夕顔浮舟ってところが深い、フツーではないものを感じますよね。

「おいおい、なりたい女性キャラはフツー、紫の上明石の君花散里藤壺だろー・・・」なんて思うのですが、これは男の浅い考えで、深い考えがあるんでしょうね。

「中流ないし下級貴族階級の娘で、そんな美人ってわけでもない私じゃ、紫の上明石の君花散里藤壺のような、ナンバーワン女性キャラは無理。狙えない。でも、夕顔浮舟だったら可能性ある!狙える!他の物語のキャラ?現実世界?そんなのイヤ」

そんな妄想があったんじゃ・・・そんな気がしてきます。

「大好きな最高のグループを狙う!大好きな最高のグループじゃなきゃイヤだ!問題はピンポイントで誰を狙うかだ!私じゃナンバーワンクラスの難しいのは無理、狙えない。でも、下の方の狙いやすいのは可能性ある!狙いやすいのを狙おう!」という発想。

そして、「結局、そのような幸運が訪れることはなかった」という結末。

こういうのって、現代でもありますよね。普遍性を感じます。いや、むしろ、現代の方が多かったりして。

こうやって考えると、ホント、『源氏物語』『更級日記』をあわせて読むと面白いです。

このあとの時代の物語は、儒教や仏教のお説教っぽさが強くなります。「忠義!」とか「仏様が現れた」とか「因果応報!」とか、少々ウンザリします。

『源氏物語』『更級日記』の時代の方が、文学として良い時代だよなぁ」と思えます。

さて、もちろん、私にも「憧れ、期待」はありましたし、今も何かしらあります。

特に、「圧迫面接の一件」に気付く前は、嗅覚障害の自覚に乏しいが故の「憧れ、期待」が、ドーンと、ゴロゴロと、ありました。

そのことを思い出すと、『更級日記』が心に沁みます。

とは言え、「憧れ、期待」が全くない人生というのも、ちょっと有り得ないですからね。

ま、「幸運が訪れてくれるといいなぁ」と思うしかありませんね。

 

第67代天皇 三条(さんじょう)天皇 在位期間1011年~1016年

居貞(おきさだorいやさだ)親王。冷泉天皇の第2皇子。花山天皇の異母弟。中宮は藤原道長の次女・妍子(きよこorけんし)、2人の間に生まれた娘に禎子内親王(さだこorよしこorていし ないしんのう。後朱雀天皇㊱の皇后)。

976年生まれ。35歳(数え36歳)で即位。

道長と対立、眼病も発症し失明、40歳(数え41歳)で道長の孫・敦成親王(あつひらしんのう。後一条天皇)に譲位し、41歳(数え42歳)で崩御。

なお、約50年後に娘の禎子内親王が産んだ尊仁親王(たかひとしんのう。後三条天皇㉟)が即位し、摂関家全盛期が終わることになる。

★「三条院」名義の三条天皇の百人一首の第68(後拾遺集)

心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな

こころにもあらでうきよにながらえば、こいしかるべきよはのつきかな。

(口語訳)(もはやこの世に望みもないが)心にもなく、このつらい浮世を生きながらえたなら、さぞかしこの宮中で見た夜の月が恋しく思い出されることであろうなぁ。

 

 

第68代天皇 後一条(ごいちじょう)天皇 在位期間1016年~1036年

敦成(あつひら)親王。一条天皇㊲の第2皇子。母は中宮・彰子(あきこorしょうし)。藤原道長の孫。中宮は道長の三女・威子(たけこorいし)。後朱雀天皇㊱の同母兄。

1008年生まれ。7歳(数え9歳)で即位。道長を摂政にした。

天皇の外祖父となった上に彰子(あきこorしょうし)・妍子(きよこorけんし)・威子(たけこorいし)と3人の娘が中宮になった道長は全盛期を迎えた。そして1028年1月(旧暦12月)、道長は旧暦での数え62歳で没した。

 

1019年刀伊の入寇(といのにゅうこう)。

1028年6月平忠常の乱が起こり、1031年源頼信が平定。清和源氏が東国で勢力を広げる切っ掛けとなった。

 

在位のまま27歳(数え29歳)で崩御。

藤原道長の歌(藤原実資[ふじわらのさねすけ]の日記『小右記[しょうゆうきorおうき]』)

この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば

このよをばわがよとぞおもうもちづきの、かけたることもなしとおもえば。

(口語訳)この世は自分のためにあるようなものだ、満月のように何も足りないものはない。

 

 

第69代天皇 後朱雀(ごすざく)天皇㊱ 在位期間1036年~1045年

敦良(あつなが)親王。一条天皇㊲の第3皇子。母は中宮・彰子(あきこorしょうし)。後一条天皇の同母弟。藤原道長の孫。後冷泉天皇と後三条天皇㉟の父。後冷泉天皇の生母は藤原道長の六女・嬉子(よしこorきし。1025年に後冷泉天皇を産んだ2日後に薨去)。後三条天皇の生母は皇后・禎子内親王(さだこorよしこorていし ないしんのう。三条天皇と妍子[きよこorけんし]の娘)。

1009年生まれ。26歳(数え28歳)で即位。

1040年荘園整理令に着手。

35歳(数え37歳)で譲位し、2日後に崩御。

 

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(雑感)

 

今日のお題は「満足か?不満か?」です。「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」という有名な歌を詠んだ藤原道長、さぞ「満足」だったでしょうね。

あなたはそれで満足なのか?」「あなたが満足ならば、それでいい」なんてセリフ、さも大事なことのように言う人がいますよね。

あなたは、現状に、満足ですか?不満ですか?」というアンケートも、よくありますよね。

最後は満足して死にたい」「最後に笑って死ねる人生。そうでありたい」、そういう考えを聞くこともありますよね。

こういう「満足か、不満か」ということを一番大事なことのように考える価値観、私は懐疑的です。逆に無価値とも思ってませんが、一番大事とは思ってません。

では、私にとって一番大事なことって何か?

「意識的に取り組まなければいけないことに、取り組むこと」

これです。

取り組まなければいけないこと。ボーっとしていてもできることじゃなくて、意識的に、目的意識をもって、取り組む必要があることです。

要は、いつも言ってるように、「私の人生のテーマは、嗅覚障害に取り組むこと。嗅覚障害に取り組みたい」、これが一番大事なのです。

それで満足なのか?不満なのか?」は、一番大事なことじゃありません。

この話は長くなりそうなのでこの辺にしておきますが、とにかく、私は「満足か?不満か?」を気にし過ぎる風潮には懐疑的です。「意識的に取り組まなければいけないことに、取り組む」、こっちが一番大事だと思ってます。もちろん、私にとっての取り組むべきことは、嗅覚障害です。