第70代天皇 後冷泉(ごれいぜい)天皇 在位期間1045年~1068年 なお、「㊱」は「今上天皇の直系のご先祖様で、直系36代遡る」という意味です。
親仁(ちかひと)親王。後朱雀天皇㊱の第1皇子。母は藤原道長の六女・喜子(よしこorきし。親仁親王を産んだ二日後に薨去、当時の位は東宮妃)。後三条天皇㉟の異母兄。乳母は、紫式部の娘、大弐三位(だいにのさんみ。藤原賢子[ふじわらのかたいこorけんし])。父は藤原宣孝[ふじわらののぶたか])。
1025年生まれ。19歳(数え21歳)で即位。
道長の子・頼通(よりみち。世界遺産・宇治平等院鳳凰堂の造営者)の一人娘を皇后にしたが皇子が生まれず、藤原摂関家の全盛期は終わった。
1045年&1055年荘園整理令に着手。
1051年~1062年前九年の役。
在位のまま42歳(数え44歳)で崩御。
★大弐三位の百人一首の第58(後拾遺集)
有馬山猪名の笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする
ありまやまいなのささはらかぜふけば、いでそよひとをわすれやはする。
(口語訳)有馬山のふもとにある猪名の笹原に風が吹くと、笹の葉がそよそよと鳴りますが、そうです、その音のように、どうしてあなたを忘れたりするものでしょうか。
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1060年ころ、菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)作『更級日記(さらしなにっき)』成立。
★『更級日記』あらすじ
作者・菅原孝標女(1008年生~没年不詳。菅原道真の5代孫。『蜻蛉日記』の作者・藤原道綱母の姪)が1020年~1059年頃の約40年間を回想した日記文学。
1018年、父(地方官。中流もしくは下級貴族階級)の任地・上総(現、千葉県)に下るが、姉や継母などが退屈しのぎに話題にする物語の世界に憧れ、もっとたくさんの物語を読みたいと薬師如来に祈るほどになる。
1020年、3年の任期を終えた父と一緒に京に戻る。
翌年、『源氏物語』全54帖を贈られ、后になるよりも嬉しいと思い読みふける。この文学少女には物語の世界と現実の世界との区別がなくなる。『源氏物語』の夕顔や浮舟の境遇に憧れ、彼女たちのように、自らも高貴の人によって、山里などに隠れ住まわされ、その人の訪れを待つようになることを空想する。
しかし、現実は思うようにはならず、彼女の身の上にそのような幸運が訪れることはなかった。
1039年、薦める人があって、後朱雀天皇の皇女の家で宮仕えする。
翌1040年、橘俊通(たちばなのとしみち。父と同じく地方官)と結婚する。このあたりから彼女も物語の世界が現実の世界とは異なることに気づき、仏教に心が魅かれるようになる。
1058年、夫に先立たれ、阿弥陀仏を信仰して余生を過ごす。
最後は孤独な境遇の中、人生のはかなさをかみしめる。
第71代天皇 後三条(ごさんじょう)天皇㉟ 在位期間1068年~1073年1月(旧暦12月)
尊仁(たかひと)親王。後朱雀天皇㊱の第2皇子。母は皇后・禎子内親王(さだこorよしこorていしないしんのう。三条天皇と中宮・妍子[きよこorけんし]の娘。)。後冷泉天皇の異母弟。
1034年生まれ。33歳(数え35歳)で即位。
円融流を父方、冷泉流を母方とする後三条天皇の即位で両皇統は融合されることとなった。
外祖父が三条天皇であり、宇多天皇以来171年ぶりの藤原氏を外戚としない天皇である。外戚勢力が弱く、また皇子時代に藤原頼通から冷遇された経験から、親政に乗り出し能力本位で人事を行う。
1069年延久の荘園整理令を発布し、効果を上げている。
38歳(旧暦での数え39歳)で譲位し、5か月後に崩御(数え40歳)。
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(雑感)
今回のお題は「憧れ、期待」です。第29回のお題『源氏物語』で書いた通り、『更級日記』の話題です。
『源氏物語』と『更級日記』、あわせて読むと、俄然面白いですよね。
『更級日記』って、もっと評価されて良い作品だと思いませんか?私はかなり評価してます。
ややもすると「1000年前の文系オタク女子」という狭いカテゴリのレッテルを貼られがちですが、もっと普遍的な、「憧れ、期待」というテーマが感じられます。
誰だって、何かに憧れ、何かを期待すること、ありますよね。
それです、それ。普遍的なテーマ。そう思うのです。
もちろん、程度の差というものがあります。強烈な憧れ・期待から、ほんのちょっとの憧れ・期待まで。
『更級日記』の主人公(作者)の憧れ・期待は、かなり強烈。普通より2歩も3歩も先を行って、深いレベルに達してます。ここがまた面白いところです。
まず、対象が漠然とフィクションの物語一般ではなくて、特定の物語、ピンポイントであること。
次に、そのピンポイントの物語が、並みの存在ではない、日本文学史上に燦然と輝く『源氏物語』であること。
さらに、その『源氏物語』の特定の2人のキャラクターにピンポイントで憧れてること。
しかも、そのキャラクターというのが、ナンバーワン女性キャラとは違う、夕顔と浮舟であること。
そして、12歳頃からスタートして32歳頃に諦めるまで、およそ20年も延々と憧れ・期待し続けていたこと。
その上、やっと諦めたと思ったら、今度は仏教・阿弥陀仏に憧れ・期待し、そのまま50過ぎまで行ってしまったことです。
特に、夕顔と浮舟ってところが深い、フツーではないものを感じますよね。
「おいおい、なりたい女性キャラはフツー、紫の上か明石の君か花散里か藤壺だろー・・・」なんて思うのですが、これは男の浅い考えで、深い考えがあるんでしょうね。
「中流ないし下級貴族階級の娘で、そんな美人ってわけでもない私じゃ、紫の上や明石の君や花散里や藤壺のような、ナンバーワン女性キャラは無理。狙えない。でも、夕顔や浮舟だったら可能性ある!狙える!他の物語のキャラ?現実世界?そんなのイヤ」
そんな妄想があったんじゃ・・・そんな気がしてきます。
「大好きな最高のグループを狙う!大好きな最高のグループじゃなきゃイヤだ!問題はピンポイントで誰を狙うかだ!私じゃナンバーワンクラスの難しいのは無理、狙えない。でも、下の方の狙いやすいのは可能性ある!狙いやすいのを狙おう!」という発想。
そして、「結局、そのような幸運が訪れることはなかった」という結末。
こういうのって、現代でもありますよね。普遍性を感じます。いや、むしろ、現代の方が多かったりして。
こうやって考えると、ホント、『源氏物語』と『更級日記』をあわせて読むと面白いです。
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このあとの時代の物語は、儒教や仏教のお説教っぽさが強くなります。「忠義!」とか「仏様が現れた」とか「因果応報!」とか、少々ウンザリします。
「『源氏物語』や『更級日記』の時代の方が、文学として良い時代だよなぁ」と思えます。
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さて、もちろん、私にも「憧れ、期待」はありましたし、今も何かしらあります。
特に、「圧迫面接の一件」に気付く前は、嗅覚障害の自覚に乏しいが故の「憧れ、期待」が、ドーンと、ゴロゴロと、ありました。
そのことを思い出すと、『更級日記』が心に沁みます。
とは言え、「憧れ、期待」が全くない人生というのも、ちょっと有り得ないですからね。
ま、「幸運が訪れてくれるといいなぁ」と思うしかありませんね。