第67代天皇 三条(さんじょう)天皇 在位期間1011年~1016年
居貞(おきさだorいやさだ)親王。冷泉天皇の第2皇子。花山天皇の異母弟。中宮は藤原道長の次女・妍子(きよこorけんし)、2人の間に生まれた娘に禎子内親王(さだこorよしこorていし ないしんのう。後朱雀天皇㊱の皇后)。
976年生まれ。35歳(数え36歳)で即位。
道長と対立、眼病も発症し失明、40歳(数え41歳)で道長の孫・敦成親王(あつひらしんのう。後一条天皇)に譲位し、41歳(数え42歳)で崩御。
なお、約50年後に娘の禎子内親王が産んだ尊仁親王(たかひとしんのう。後三条天皇㉟)が即位し、摂関家全盛期が終わることになる。
★「三条院」名義の三条天皇の百人一首の第68(後拾遺集)
心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな
こころにもあらでうきよにながらえば、こいしかるべきよはのつきかな。
(口語訳)(もはやこの世に望みもないが)心にもなく、このつらい浮世を生きながらえたなら、さぞかしこの宮中で見た夜の月が恋しく思い出されることであろうなぁ。
第68代天皇 後一条(ごいちじょう)天皇 在位期間1016年~1036年
敦成(あつひら)親王。一条天皇㊲の第2皇子。母は中宮・彰子(あきこorしょうし)。藤原道長の孫。中宮は道長の三女・威子(たけこorいし)。後朱雀天皇㊱の同母兄。
1008年生まれ。7歳(数え9歳)で即位。道長を摂政にした。
天皇の外祖父となった上に彰子(あきこorしょうし)・妍子(きよこorけんし)・威子(たけこorいし)と3人の娘が中宮になった道長は全盛期を迎えた。そして1028年1月(旧暦12月)、道長は旧暦での数え62歳で没した。
1019年刀伊の入寇(といのにゅうこう)。
1028年6月平忠常の乱が起こり、1031年源頼信が平定。清和源氏が東国で勢力を広げる切っ掛けとなった。
在位のまま27歳(数え29歳)で崩御。
★藤原道長の歌(藤原実資[ふじわらのさねすけ]の日記『小右記[しょうゆうきorおうき]』)
この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば
このよをばわがよとぞおもうもちづきの、かけたることもなしとおもえば。
(口語訳)この世は自分のためにあるようなものだ、満月のように何も足りないものはない。
第69代天皇 後朱雀(ごすざく)天皇㊱ 在位期間1036年~1045年
敦良(あつなが)親王。一条天皇㊲の第3皇子。母は中宮・彰子(あきこorしょうし)。後一条天皇の同母弟。藤原道長の孫。後冷泉天皇と後三条天皇㉟の父。後冷泉天皇の生母は藤原道長の六女・嬉子(よしこorきし。1025年に後冷泉天皇を産んだ2日後に薨去)。後三条天皇の生母は皇后・禎子内親王(さだこorよしこorていし ないしんのう。三条天皇と妍子[きよこorけんし]の娘)。
1009年生まれ。26歳(数え28歳)で即位。
1040年荘園整理令に着手。
35歳(数え37歳)で譲位し、2日後に崩御。
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(雑感)
今日のお題は「満足か?不満か?」です。「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」という有名な歌を詠んだ藤原道長、さぞ「満足」だったでしょうね。
「あなたはそれで満足なのか?」「あなたが満足ならば、それでいい」なんてセリフ、さも大事なことのように言う人がいますよね。
「あなたは、現状に、満足ですか?不満ですか?」というアンケートも、よくありますよね。
「最後は満足して死にたい」「最後に笑って死ねる人生。そうでありたい」、そういう考えを聞くこともありますよね。
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こういう「満足か、不満か」ということを一番大事なことのように考える価値観、私は懐疑的です。逆に無価値とも思ってませんが、一番大事とは思ってません。
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では、私にとって一番大事なことって何か?
「意識的に取り組まなければいけないことに、取り組むこと」
これです。
取り組まなければいけないこと。ボーっとしていてもできることじゃなくて、意識的に、目的意識をもって、取り組む必要があることです。
要は、いつも言ってるように、「私の人生のテーマは、嗅覚障害に取り組むこと。嗅覚障害に取り組みたい」、これが一番大事なのです。
「それで満足なのか?不満なのか?」は、一番大事なことじゃありません。
この話は長くなりそうなのでこの辺にしておきますが、とにかく、私は「満足か?不満か?」を気にし過ぎる風潮には懐疑的です。「意識的に取り組まなければいけないことに、取り組む」、こっちが一番大事だと思ってます。もちろん、私にとっての取り組むべきことは、嗅覚障害です。



