2006/1/16


家の近くまで来ると、近所の人たちが数人集まってきた。
今朝の救急車のことで話題がもちきりらしい。
でも、どうしたと尋ねられても答えられることはなかった。
なんと説明していいかわからないし、大丈夫、とも言えない。


「ん。・・・・そう。・・・・長男。
・・・・今はまだよくわからない。とりあえず入院するから。」


短く返答すると、みんなは気を使って深く聞いてくることはなかった。


「何か力になれることがあったら何でも言ってよ!」


心配そうに声をかけて終りにしてくれた。
ありがとう。
みんなが野次馬的な気持ちではなく、本当に心配してくれてることは分かっているけど、今の私には周りに気を使う余裕はあまりない。



*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*


家に入ると、私は病院からもらった入院準備品リストを手に準備を始めた。


洗面具、タオル、テッィシュと揃えていき、次に寝間着や下着を取ろうと、2階の子供部屋に入った。
まだ手をつけていないピカピカのランドセルが目に入る。

そしたら、急に涙が出てきた。


あの子は、小学校に入れるんだろうか……。


朝からの緊張の糸がプツンと切れた気がした。


そうなるともう、涙が止まらなかった。
少し声をあげて泣きながら、入院準備した。


”もういい。泣いてしまおう”


と思った。

またすぐに病院に戻る。これから、どんな展開になるのか分からない。
私は何があっても取り乱さずに対応しなくては。
それなら、今ひとりでいる間にしっかり泣いておこう。


かわいそうな長男。
ほんの数時間前まで普通の生活だったのに、どうしてこうなっちゃったの?



 ゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。


私は故郷福岡で養護学校の教員をしている姉の話を思い出していた。


「登校させるだけでも、教師2人がかりで抱えてね。

急に暴れられることもあるから、大変。

体は中学生だから大きいし、力もあるのよ。

でも知能は4歳くらいだから、わからないのね。」


姉は白い腕に痛々しいたくさんの青あざがある。子供にかみつかれるのだそうだ。大変ね、というと


「ううん。教師よりも、親御さんの方が百倍大変。
親御さんたちとの親睦会もあるんだけど、お母さんたちの話を聞いてると頭が下がるよ。

教師が見るのは昼間だけだけど、お母さんは朝と夜と土日と、そしてこれから先もずっとかかりきりなのよ。

本当に偉い、凄いと思う。
家庭訪問したらね、包丁とかハサミとか刃物は全部高い所にしまってるの。

それでも、体が大きいからイスとかに上ってとっちゃうこともあるらしい。
骨折とか大けがした人も少なくないよ。
それでも、明るくて、前向きで、子供のために一生懸命、そんなお母さんが多いのよ。」


「でも、気の毒だったのは…。
自殺した人がいたの。
母子家庭でね。子供を巻き添えにしようとしたんだけど、できなかったみたい。ひとりで死んでいった。
子供は普段疎遠にしてる県外の祖父母が引き取ることになったけど、喜んでというわけではなさそうだし…心配で仕方ないけど、こちらが口出しできることではないのよね。
そのお母さんもひとりで抱えて行き詰ってしまったのね。

どうしてもっと私たちや周りに甘えてくれなかったのか…と思うけど、できなかったのね。病気だったのかも。

でも、子供のことを思ったら、やっぱり相談して欲しかった。
本当に悔しくて悲しいことだった。」


 ゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。


私は想像してみた。

10歳になっても20歳になっても、訳のわからない行動をする長男。
家の中でも外でも危険がないかいつもハラハラして見守らなくてはならなくなる?


たやすいことではないと分かっている。私にできる自信もあまりない。
でも、やらなければならないとなれば、やる。
どんな状態でも、その中で、長男の幸せはみつけられるはず。
分からないけど、やってみてないのに偉そうにいえないけど、頑張るよ。


死んでしまったら、何にもない。
どうしようもない。

だから、それだけは。


もしも、私の命が換えられるなら、私の命をあげてもいい。
私は30数年生きてきて、
たくさん遊んで、学んで、仕事して、恋をして、結婚して、2人の子供にも会えた。
だから、もし命がなくなるなら、諦めるよ。
でも、長男はまだ、小学校にも行ってない。
楽しいことも、つらいことも、まだまだこれからなのに。
ここで人生が終わるならあんまりだ。


もしも、サッカーができなくなっても、普通の生活ができなくなっても、普通の小学校に通えなくても
・・・それでもいい。
命だけは助けて!
どんな形でもいい。
長男の命を助けてくれるなら、私はどんな犠牲も払うから。
私も長男と運命を共にするから。



そんなことまで考えてしまった。


泣きながら入院準備をしていたら、ほんの少し、気持ちのモヤモヤが治まった気がした。

私の気持ちは固まった。


命さえあればいい。


私は顔を洗い、涙をぬぐい去ると、足早に荷物を持って家を出た。





【つづく】

2006/1/16

<救急診察室前>


私は診察室の前の長椅子に座り、しばらく診察室のドアを凝視した。
スライド式のドアはピッタリと閉ざされており、密閉性は高いらしく、中の音はあまり聞こえない。


私はずっと次男を抱いていた、と思う。


どのくらいの時間だったか…。
退屈した次男が何か本はないかというから、本が数冊置いてある場所まで少し移動した。
絵本を手に取り、また診察室の前に戻るが、本を読めるような気分じゃない。
でも、次男がぐずるので、仕方なく、心ここにあらずのまま、器械的に絵本を読む。


一体、長男に何が起こってるの??


・・・この一週間、おかしかった。
私、おかしいって思ってたのに。


私はこの一週間の間に自分にできたことがあったのではないかと懸命に思いを巡らせた。
いくら考えても・・・
今現在、長男に起きていることが何なのかすらわからないのだから、何もわかるはずがなかった。
もどかしかった。


けれども、原因も彼の病名も今は重要じゃない。
もとの長男に戻ってくれればそれでいい。
無事でいてくれたら、それでいい。


神様、お願い!


相当長い間待っていたと思う。
30分か1時間か・・・?


会社に出ていた夫がやってきた。
救急車の中から私が連絡していた。
勤務地は東京。1時間くらいはかかるはずだが、すぐに駆けつけたのだろう。


やってきた夫にこれまでのことを話した。


それにしてもあまり長いこと待たされるので、私は受付に尋ねた。


さらにしばらく待っていると、外来とはすこし違う制服を着た看護士が声をかけてきた。


「息子さんは、4階の小児病棟にいます。」


私たちは看護士に案内され、地下の救急外来から、医局内部専用のエレベーターで4階に上がった。


「一体どういう状況なのですか?」

夫が尋ねた。


「痙攣を抑えるための処置をしました。今は治まっています。
これから様々な検査をすることになります。
詳しくは担当の医師が来ますので、聞いてください。
・・・ところで、弟さんなのですが。」


次男?


小児病棟には両親以外は入れないらしい。
セキュリティとウイルスの流入や感染を防ぐためで、特に子供は入れないとのこと。たとえ兄弟でも。


「わかりました。」
夫が言った。
「俺が次男を見ておく。お前長男の所に行って。
お前の方がこれまでの状況分かってるから。」


私は次男を夫に預け、
どこをどう歩いているのかよくわからないまま、
いつの間にか、小児の入院病棟の中に案内されていた。



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<小児病棟・PICU(小児集中治療室)>


とても綺麗な病院だ。ドラマのロケによく使われることで有名。
美しく、機能的な、現代的な病院。


これはドラマじゃない。


でも、錯覚しそうなくらい、目の前の風景は私の知ってる現実とは遠い気がした。


ナースステーションが真ん中にある。
丸みを帯びたカウンターの内部には数人の看護士が、忙しそうに立ちまわっていた。


そのナースステーションから一番近い少し広めの病室。6人分のベッドスペースがある。
ドアは開け放されていて、いつでもナースステーションから見え、すばやく駆けつけられる位置にあった。


部屋はほの暗く、窓にはカーテンがかかっていた。


その部屋の中の、左手、一番手前に長男がいる。


長男は口に酸素マスクをあて、点滴をしており、腕や胸のさまざまなところにパッドをあてられていた。


ピッピッピッピッ


計器の音がする。


上部に取り付けられたモニターに心拍数などのグラフが動いている。


長男は・・・眠っているのか・・・・。



計器の音は長男のものだけではなかった。
いくつかの異なる電子音が部屋のあちこちから聞こえる。


同室の患者の中には、まだ数ヶ月くらいの赤ん坊もいた。
それぞれに様々な計器や機械がついていて、医師や看護士の出入りが半端ではない。
機械音に交じって、緊迫した様子の医師・看護士のやり取りが聞こえる。


この部屋が、少し特殊な病室だということはすぐにわかった。
いわゆるPICU、小児集中治療室と呼ばれる部屋だった。



隣の部屋との壁の一部はガラス張りになっていて、隣の部屋には、まだ生まれてすぐくらいの赤ん坊が、やはりいろんな機械に囲まれて寝ている。
隣は、新生児集中治療室のようだ。
どちらの部屋にいても、すばやく異変に気付けるようになっているらしい。


ピリピリと緊張した空気が流れていた。


この風景の中に、私の息子がいる。


担当の医師と看護士がほどなく来て、挨拶をした。
そして、これからの検査スケジュールなどについて説明を受けた。


注射と点滴で、なんとか痙攣が治まったこと。
これから頭部のMRIとCTのスキャン、血流の検査等をすること。
検査結果が出なければ、今の時点では何の病気かもわからないということ。


治療に際して、いくつかの書類に記入や署名が必要だった。
別室で手続きをすることになった。


入院に際しての問診票、治療の同意書、”身体拘束”の同意書・・・。
長男の今の精神状態では、どんな動きをするかわからない。
危険な動きをする場合、拘束もありうる。
やむを得ないと思った。
私はそれらの書類に記入と、サインをした。



いったん小児病棟を出ると、ガラスの扉の向こうに、夫と次男が待っていた。
夫は看護士からだいたいの様子を聞いていたようだ。
入れ違いに今度は夫が小児病棟に入り、長男の様子を見に行った。


この病院の小児病棟への立ち入りは厳格だった。
病棟の入り口にはガラスの自動ドアがあり、モニター付きインターホンで名前を名乗った後、決まった暗証番号を入力しなければ開かない仕組みになっている。

出る時も内部からまた違う数字のキーを入力しなければならない。
暗証番号は毎月変わった。
番号を知らされるのは、入院している子供の両親のみ。
他の人は同伴であっても、中へは一歩も入ることを許されていなかった。


一般の人が使えるエレベーターは一ヶ所にまとめられてあり、エレベーターから、すぐ右手が小児病棟である。
エレベーターの前にソファが置いてあった。中に入れない人はここで待つことになる。
私はそこに次男と座り、夫を待った。

次男がおなかがすいた、と言った。

もうお昼をとっくに回っていた。


夫は意外と早く出てきた。


長男は相変わらず眠っており、痙攣もしばらくは治まっているようだ。

これからMRIを撮るとのことで、投影室に移動になったらしい。


夫と次男は売店で昼食を買って、小児病棟の前のソファで(何か変化があった時のために)待機し、

私は入院荷物や印鑑を取りに自宅に戻ることになった。



私は、歩いて15分ほどのこの病院に決まったのは小さな幸いかも、と思いながら、

ずっと丸めて持っていたダウンジャケットを着て、自宅へ急いだ。


 早く、歩こう。急いで歩こう。


歩くことに意識を集中した。


口から泡を吹いて大きく体をくねらせた長男と、

PICUで酸素マスクをあてて眠る長男の顔がフラッシュバックしてくるのをかき消した。


感情の波に飲み込まれてはいけない。

冷静に、善処していくことが一番大事だと自分に言い聞かせ、黙々と歩いた。




【つづく】

2006/1/16 朝 <自宅>



「消防です。火事ですか?救急ですか?」


「…救急です。」


私は問われるままに今の状況について答えた。


6歳の息子が、一週間前から調子が悪く、今日になっておかしな行動をすること・・・。


朝から起きてるこの異常な感じを、どうしたら簡潔に、正確に伝えることができるか・・・悩みながら、懸命に説明したが、なんと言ったか、実はあまり覚えてない。


「こんな息子は、初めてで。どうしたらいいのかわからないんです。。」


と少し震える声で言ったのは覚えている。
私の感じている違和感や不安を伝えたかった。
あるいは119番してしまったことへの動機づけか。



「お母さん、病院には連絡しますから、自分でお子さんを病院に連れて行けますか?」


もちろん、普段なら私が子供を病院まで連れていく。車の運転もできる。
でも、今は。
自信がなかった。


長男が気を失ったら?車を乗り降りするのに暴れたら?運転中突然暴れたら?

今の私の精神状態で運転することも、そもそもどうかと思った。


「あの、小さい弟もいるんです。
今の状況で運転できる自信がありません。」


私は正直に言った。


3歳の次男を自宅に置き去りにするわけにはいかない。


「分かりました。救急車が向います。10分ほどで到着します。」




電話を切って、ほんの束の間放心状態になった。


どうなっていくのだろ・・・・・。


でも、呆けている暇はなかった。混乱する頭で保険証と財布をとった。
次男におしっこに行っておくように言い、長男の着替えを一式タンスから出しバッグに詰め、次男の外出準備、私の・・・外出準備・・・もちろん化粧なんてできない。どんな服でどんな髪でどんな顔でなんて二の次。自分のことはどうでも良い。
寒い季節だったから、3人分の厚手のジャケットもとった。
行きが救急車なら帰りは歩いて帰らねばならない。


帰れるのか?


その時は帰れると信じてた。信じたかった。



その間長男は2階の布団の上に倒れてた。
眠っている?
準備してる間は大人しくしてもらえるに越したことはなく、私は声をかけずにいた。


準備がなんとかできた。
遠くでサイレンの音が聞こえる気がする。


2階の長男に声をかけようと近寄ると、声をかけるより早く、長男はむっくりと起き上がり、トントンと階段を降りた。


私も後を追うように階段を降りた。


私は階段を降りたところで長男を追い越して、玄関を出た。


救急車を誘導するために。


私は玄関の戸を開けたまま、近くまで来た救急車に手を振った。


玄関の中を覗き込み、そこに長男がいるのを確認しながら。


救急隊員が私の家を確認できたのを見て、私は家の中にもどり、長男の肩を抱いた。


長男はまたフワリと倒れるように私にもたれた。


そこに救急隊員が入ってきた。


「この子ですか?」


「はい。」


「移動できますか?」


私は長男を立って歩くように促してみた。


すると長男は導かれるままとことこと自分で歩いた。


私が用意したサンダルもちゃんと穿いた。




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<救急車の中>


救急隊員は運転手も合わせて、3人…くらいだったろうか?
長男と私と次男、3人が乗り込んだ。
乗り込む時、近所の人が心配そうに出てきていたが、もちろん話している余裕なんかない。



救急車の中で、救急隊員は私が渡した保険証などを確認しながら、長男に質問した。


「ぼく、名前は?」


長男は相変わらず宙を見るような目をして前を向いていたが、その姿勢のまま


「・・・○○○○。」


小さな声だがフルネームで答えた。
私はちょっと驚いた。まともなの?


「そうか。歳はいくつ?」


「・・・・・・・・・・・・。」


長男は何も答えない。完全に固まっている。


「えっと。今何歳かな?」


「・・・・・・・・・・・。」


私は固唾をのんで、そのやりとりを見守っている。


「お名前は?」


隊員はさっきと同じ質問をした。


「・・・?」


長男はすこし小首をかしげるようにして、・・・・・・無言だった。


そこから先は何を聞いても反応がなかった。


隊員は私に向き直り

「普段から、言えない?内気な子?」と聞いた。


そんなわけない!


もう6歳。4月には7歳になる。そのくらい言える。

それに人一倍おしゃべりで、元気な子だった。

(でも、そんなことこの隊員さんは知らないよね。)


「いえ。もう6歳ですから。ちゃんと答えられるはずです。」


「そうですか。いつからこんな状況ですか?過去に疾病がありますか?」

私は問われるままにこれまでのことを話した。



もう一人の隊員は病院に電話していた。
なかなかつながらないし、つながっても電話に出ないらしく、何度も、何十回もコールをしていた。
(後に経験するのだが、この大学病院の代表番号は一つしかなく、いつもつながらなかった。担当医師や看護婦は「連絡をくれ」と気軽に言うが、これが簡単ではなかった。)


やっとつながり、幸いにも受け入れてくれたようで、搬送先の病院が決まった。
自宅にほど近いS大学病院だ。


ようやく車が動き出した。



*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*


<病院・救急診察室>


病院に到着すると、長男は移動式のベッドに寝かされ、そのまま救急診察室に運ばれた。

私と次男、救急隊員のひとりが一緒に従った。


医師は比較的すぐに来てくれ、救急隊員はこれまでのいきさつを医師に簡単に説明して去って行った。


医師はあらためて
「どうしたのですか?」
と私に聞いた。


私は、長男が一週間前に熱を出して以来、ずっと元気がなかったこと、今朝になって様子がおかしいことなど、さっき救急隊員に話したのと同じようなことをまた繰り返した。


そう、話している途中・・・


「!!」


なにかガタン!と衝撃がした。


長男の様子を見ていた看護婦が大きな声を出した。


「ケイレンです!」


長男の体が大きく波打った。ベッドが揺れる。
医師が慌てて長男に近寄る。
他の看護婦も来た。


その何人かの手や顔の隙間から、口から泡を吹いている長男を見た。


「お母さん、ちょっと出て下さい!後で呼びますから!」


私は診察室を追い出された・・・・・・・。





【つづく】