2006/1/16(月) 朝


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朝、長男に声をかけた。

「今日は、どう?幼稚園。また休む?」
「うん・・・・・・・・・。」
そしてまた寝てしまった。


仕方がない。
ため息をつきながら、幼稚園にまた欠席の電話をした。


1Fのリビングで当時3歳だった次男と過ごしていると
10時過ぎになって、トントンと階段を降りてくる足音がした。


「お兄ちゃん、やっと起きたね。」


私は長男の朝食を出してあげようとキッチンに立ちながら
「おはよう~!」
と階段の方に向かって声をかけた。

返事は聞こえない。


しばらくして


ガラガラ、ドシーン!


と派手な音がした。


「なに!?」


びっくりして見に行くと、玄関のタタキの上に洗面所にあった踏み台(まだ弟が小さかったので、常に洗面所に置いてあった)を置き、その上に椅子を積み上げて、
さらに長男がその上に乗ろうとしていた。


さっきの音は、積み上げた椅子がバランスを崩して倒れた音らしい。
長男は落ちた椅子をもう一度積み上げていた。


それにしても何とも不安定。
その上に乗るなんてとんでもない!


私は走って行って長男を抱きあげた。


「何してるの!??」


私は長男を下し、


「危ないよ、何がしたいの?なにかとりたいの?
でも、こんなことしちゃ、絶対ダメ!!」


その家には、玄関の上の方に靴収納がついていて、私はたまに椅子に上って靴の入れ替えなどをしていた。
私の真似をしたの?


私は長男の肩を掴んで、目を見て話したが、長男はただ虚ろな目で私の前の空気を見てた。

無表情。無反応。


一体なんだろう・・・と思いながら、私は踏み台の底をさっと拭いて廊下に運んだ。
椅子の脚も拭き、廊下に運ぶと、長男は踏み台を洗面所に運んでいた。

長男は廊下に出ると、私が持ってきた椅子も洗面所に運んだ。


「!?」


あっけにとられて見ている間に長男は再び、椅子を踏み台の上に乗せ、それに自分も乗ろうとしていた。
私は長男の体を支えた。


びっくりしている私を気に留める様子もなく、
長男は洗面所に向かって、立ったままズボンとパンツを下した。


まさか・・・・・・。


長男はそこでおしっこをした。
いつもトイレで立ってするように。


まぁ、洗面ボウルの中なら・・・とせめて溢さないように手を添えた。


そしてトイレが終わると、全く平然とパンツとズボンを戻した。


私は長男を床に下してからさっと洗面所を流すと長男を見た。


「どうしたの?」


と私が聞くと、長男は突然くるっと踵を返してリビングに向かった。


後を追ってリビングに行って、長男の顔を覗き込む。


「びっくりしちゃった。どうしたの?洗面所でしてみたかったの?」

と笑いながら聞いてみた。


 冗談でやっているに違いない。


そう思いたかった。


長男はニコリともせず宙を見ている。



そして突然 パタリ


と私に倒れてきた。


私は長男を抱きかかえた。


ふつう、倒れるときには手が前に出るものだ。
私に寄りかかるにしろ、私の腕でも掴むものではないか?


だが長男は本当にただパタリと倒れて、手はぶらーんとしたまま。


肩越しに長男の顔を確かめると相変わらず目を見開き宙を見ている。


なかなか起き上がらない長男。


「どうしたの?甘えてるの?」


その問いかけに長男は体をむっくりと起こした。


そうかと思うと踵を返し、今度は階段の方に向かった。


「○○ちゃん!?」


私が名前を呼ぶと私の方を向き、
またパタリと私に倒れてきた。


「具合悪い?甘えてるだけ??」


しばらくするとまた起き上がり、洗面所に向かう。


後を追うと私の方を向き、私の問いかけには答えず、しばらくすると突然に今度はまたリビングに行く。


私が顔を近づけて話すと、私にもたれる。

でも、少しするとまた踵を返し、別の部屋に行く・・・・・・・。



私はさすがに、絶対におかしい、と思った。


よくふざける子だ。大人を騙すのも案外うまい。
でもそれとて所詮は子供。こんなに長時間”わざとおかしなふるまい”はできない。
ニコリともしないなんて考えられない。


ねぼけているのか
とも最初思ったけど、もう絶対に違うと確信した。




私は震えていた。

こんなことは初めて。

一体長男に何が起きているのか??




私は電話を取り、震える指で「119」を押した。




【つづく】

これまで生きてきた中で、一番忘れられない日はあるか、と聞かれれば私は即答できる。


結婚した日

子供を産んだ日

父が死んだ日


そのいずれも私にとっては忘れられない日だけれど、

それよりももっと、つき刺さるような強烈な一日があった。




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2006年1月16日月曜日


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その一週間前から予兆があった。


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1月9日月曜日 朝


幼稚園の年長だった長男。

この日は冬休み明けの最初の登園日だったが、具合が悪いという。

熱を計ると38度を少し越えていたので、園を休み、小児科を受診した。


医師はサッと診て「喉は腫れてませんがね。風邪でしょう。」と抗生剤と風邪薬を処方してくれた。


昔からよく熱を出す子で、赤ん坊のころは41℃を出したこともある。

40℃に到達することもしばしばで、

38℃くらいなら、普段なら「幼稚園に行く!」と言い張るくらいの熱だ。

とにかく元気が良くて、幼稚園が大好きだった。


その長男が、すごく元気がない。

珍しいな、と思いながらその日は家で休んだ。


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火曜日


熱は37℃くらいになっていた。

「幼稚園どうする?」と聞くと

「行きたいけど…苦しくなりそうだから休む。

なんだか気分が悪そうだ。

この日も一日元気がない。


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水曜日


やはり熱は37℃くらい。

元気がなく、今日も休むという。

こんなに元気のない長男は見たことがない。

私はもう一度小児科を受診した。


「熱はないし(37℃前後では発熱とは言えない)、のどもはれてない。

具合が悪く頭が痛いならば、胃腸薬と頭痛薬を処方しましょう。

熱は無いから抗生剤はもういいでしょう。

具合がよくなったら、幼稚園に行っていいからね。」


医師はなんでこの程度で受診するのか?と言いたげにも見えた。



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木曜日


やはりぼんやりしてる。

うえっとなりそう(吐き気)だから幼稚園には行かないという。


幼稚園で何かあったというはずはない。

冬休みからずっと幼稚園に行きたい!と楽しみにしていた。


この日も一日家で過ごした。


だいたいこの子が一日家にいられるなんて、これまでなかった。

熱があっても幼稚園に行きたい!外で遊びたい!と駄々をこねていた子なのに。



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金曜日


熱は37℃前後が続いている。

やはり元気なく、幼稚園には行かないという。

私はまた小児科を受診した。いつもと違うものを感じていた。


「別に悪いところはないよ。」


医師はあきれているように見えた。


少し体調を崩してるんだろう。土日まで休めば、来週からはまた元気になるだろう、

と私は自分に言い聞かせた。



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土曜日


長男が珍しく外で遊ばないので、家族でポンジャン(麻雀の子供版のようなもの)をしていた。

点数を集計していくのだが、この計算はいつも長男の役目だ。

夫が熱心で、早くから桁数の大きい足し算・引き算、挙句は鶴亀算まで教えていた。

その計算が遅い。その上間違える。・・・どうしたんだろう?

普段なら夫の叱責が飛ぶところだが、この日は夫も流石に

「お前、大丈夫か。具合悪いのか・・。」という程度にしていた。


長男は

「あれ・・・。なんだろうな。なんだかぼーっとして、計算ができない。」

とはにかんで言い訳するように言った。



ゲームの途中。

長男の番が来たのに、長男はぼーっと前を見たまま動かない。


「お前の番だぞ」

「○○(長男の名前)?」

私たち夫婦は顔を見合わせた。

長男は私たちの問いかけにもまったく動かない。


なんで動かないの??


どういうこと?ふざけてる?? いや・・・ちがう?


「オイ!○○!!」


「○○ちゃん!?」


どのくらいの時間だったか・・・多分1分もたってないだろう。15秒くらいだったのかもしれない。

だけど、その時の私にはとても長い時間に感じた。

何を言っても長男は蝋人形のように固まっているのだ。


その動かなかった長男が突然動き出した。

そして何事もなかったかのように、

「オレの番ね。」

と言って牌を取った。



また私たち夫婦は顔を見合わせた。


「○○、今、どうした?」


「?・・・何が?」


「何がって、今動かなかったろ?」


「どういうこと?」


「名前読んでも返事もしなかったし」


「え?オレが?」


長男は何変なこと言ってんの、という感じでさっと流し、普通にゲームを楽しみだした。


それは不思議な感じだった。

まるで、長男の中でだけ時間が止まっていたみたいだった…。


私たち夫婦は何か釈然としないものを感じながらも、

長男は機嫌よく遊んでいたので、まあいいか、と流してしまった。


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そして週明けの月曜日。1月16日。


この日が私にとって、おそらく生涯忘れえぬ日となる。





【つづく】