あまりにも更新してなく、

たまにあっても気まぐれな日々のつぶやきで、

「冬の日」のつづきが気になってる方もいらっしゃる中、申し訳なく思っています。


そこで、とりあえず、「冬の日」とその他のブログを分けることにしました。


(ブログを閉鎖することも考えたのですが…

もうちょっと頑張ってみますあせる



見て下さる方がいるかどうかわかりませんが、

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よろしくお願いしますおじぎ

2006年1月22日(日)


前夜から私は酷い咳をし、発熱した。


家族に伝染らないように、前夜から、一人だけ部屋を分けた。

母は子供部屋に寝泊まりしてもらっていたが、

その夜から私ひとりが寝室で、

夫と次男はリビングに寝た。


朝になっても咳と熱は相変わらずで、

この状態では病院の面会に行けない。


日曜で夫がいるので、病院の方は任せた。

家のことも次男の世話も母に任せて、

私は一日、寝室にこもって休むことにした。



夜になり、夫が帰宅して、病院での様子を聞いた。


ヘルペス脳炎のウイルスチェックの結果が出たそうだ。



結果は…


ヘルペス脳炎ではなかった。

なんのウイルスかは結局分からないらしい。

分かったところで薬もない…。



この夜からヘルペス脳炎の治療薬の点滴を止めたそうだ。


「ヘルペス脳炎の薬、止めて良かったんだよな?

別のウイルスかもしれないけど、その薬が長男のウイルスにも効くってことはないんだよな…?」


素人考えかもしれないけど…、と前置きして夫が言った。

実際医師にも訪ねたそうだ。

それはないときっぱり言われたらしい。


夫はくだんの友人の脳外科医にも電話で尋ねた。

やはり病院の医師と同じ意見だった。


「だよな…。」


夫の気持ちはわかる。

私だって、不安で仕方ない。


今、長男の頭のなかにあるウイルスの正体もわからず、

退治する薬もないなんて。

何か…ひとつでも前向きに考えられる材料が欲しい。




2006年1月23日(月)

私は、熱は下がったものの相変わらず酷い咳をしていた。


私は風邪をひくと喉が駄目になることが多く、声が出なくなることも何度かあった。

でも、大袈裟じゃなく、こんなに酷い咳は生まれて初めてだった。


朝、長男が入院している大学病院の内科を受診した。

朝8時前から行って、受診は3時間近く待たされた。


その日担当したのは研修医らしき若い医師で、その後ろで別の医師が控えて様子を見ていた。


忙しいからだろうが、私の話をせかせかと聞き

(言葉を最後まで聞かずに「ふん、ふん」とせかすように相槌を入れる感じ)

「咳が酷くて」

という一言を聞くと、

「じゃぁ喉診るから口あけて」

とすぐに喉を見た。



「全然荒れてませんけどね。。」


「そうですか?」


「熱も下がっているし、大丈夫でしょう。」


「面会行けますか?」


「良いんじゃないですか?」



こんなに酷い咳なのに、なんともないなんて、ちょっと釈然としない気がしたが、

大学病院の医師がOKを出したのだから、大手を振って面会に行ける、とほっとした。


私はマスクをあて、極力咳をしないように我慢しながら、小児病棟の面会に行った。

受付で看護師に内科を受診したこと、面会は大丈夫と言われたことを伝えた。


この日、長男は痙攣を数回起こした。

MRIには異常は見られなかった。

血流は、右側がゆっくりしていると言われた。

それが何を表しているのか。。

医師の説明を受けたが結局「良く分からない」、ということが分かった。



治療薬はない。


何もかもが手探りだ。

長男の頭の中で、何かが暴れて、長男の細胞が本能で戦っている。

何の手助けもできない。



【つづく】


入院から、長男の様子は日々変わっていて、正直驚かされたり、ショックを受けたりの連続だった。

けれども表情には出さない。

「殺された」とか「死ぬ」とか騒ぐ長男にも

「死なないよ」「治るよ」とただ穏やかに対応した。

毎日面会に訪れて、看護師さんにも明るくあいさつした。

そんな私たちに看護師さんがこう話しかけたことがある。


「すごいですね。お母様もお父様も。いつも落ち着いて対応されてて。

私だったら…とてもそんな落ち着いてはいられないですよ。」


確かに、今の状態って親なら落ち着いては居られないかもしれない。

私だって、落ち着いてるわけじゃないけど…取り乱しても仕方がないし。

今起きてしまったことは仕方ない、大事なのはこれからだもの。。


とにかく気が張ってた。

取り乱して、的確な判断が出来なくなることは避けたかった。

病院の先生とも看護師さんともいつも最善を尽くしてもらえるよう、

感情的にならずに冷静に話し合って行きたかった。



「急性脳炎」と分かってからの数日は長男の様子はあまり変わらなかった。


「いつも、おいしいごはんをいつもありがとうございます。

ごはん、ぜんぶ好きで、本当においしい。力がつく。

作った人にありがとうと伝えて下さい。」


と何度も頭を下げてお礼を言う長男に、食事を運んで下さる方は苦笑していた。


看護師さんにも


「体温を測りに来てくれてありがとうございます。」

「点滴を変えてくれてありがとうございます。」

「お薬を飲ませてくれてありがとうございます。」


と必ずいつも何度も頭を下げてお礼を言った。


いつも情緒不安定だったが、

「みんな良い人…」

とつぶやいて、自分に何かしてくれる人には心から感謝していた。


そして、相変わらず、見えない何かに脅えている。

悪魔だったり、オオカミだったり。


痙攣も幾度となく起こした。


白目をむいて、泡を吹いて、小刻みに揺れる長男の姿は何度見ても見慣れることはなかった。



もうずっとこのままなのかな・・・・・・。


私と夫のこと、弟のことを分かってくれているのは嬉しかったが、

それ以外のことは何も考えられないようだった。

近所の友達、幼稚園のこと…。何にも話さなかった。


長男は「家に帰って、四人でお布団を並べて寝たい」と言っていた。

私や夫が帰ろうとすると泣き叫び「俺も帰りたい」と言った。


家に帰してあげたい…。

でも、こんな状態で、いずれ退院したとしても、やっていけるんだろうか。


仲のよかった近所の友達は、これまでのように遊んでくれるかな…。


お互いに「親友」と呼び合うほど、気の合う男の子がいた。

二人とも体を動かすことが大好きで、いつも誘いあって走りまわって遊んでいた。

彼はこんな長男を受け止めるだろうか?

子供は正直だから、

訳の分からないことを言ったりしたりしてしまう長男と遊んだってつまらない

なんて、思うんじゃないかな

……と考えると悲しくなった。



1月21日(土) 入院6日目


とても寒い日だった。

雪が降った。たくさん降って降り積もった。横浜では珍しいことだった。

普通のタイヤしかはめてない車では通えず、夫と歩いて病院に向かった。

普通の靴では危なくて、登山用のトレッキングシューズを履いて用心深く歩いた。


踏みしめる雪の感覚…雪を踏む音、足先から伝わる冷たい感覚…今でも覚えている。


病棟に着くと、長男のベッドのサイドテーブルの上に銀のトレイがあり、

その上には雪が入っていた。

病棟の保健婦さんが持ってきてくれたものだった。


長男はその雪を手のひらで触り、目線はどこか宙を見ていた。


冷たい雪の感触を…楽しんでいたのかどうかはわからないけれど、

無心で弄んでいた。


「外に出れないでしょう。きっとストレス溜まってると思うんですよね。

ちょっとでも外の空気に触れさせてあげたくて。」

保健婦さんが笑った。


私たちはお礼を言った。

やがて雪は溶けて水っぽくなり、保健婦さんが下げてくれた。


長男はまだぼーっとしていた。


「どう?冷たくて、気持ちよかった?」


長男は無反応だった。



以前の長男なら…こんなに雪が降ったら大興奮で、一日中遊びまわったことだろう、と思った。


「お外はたくさん雪が積もってるんだよ。雪遊びとかできるくらい。」


と話しかけると


「△△(次男)と雪遊びしたい」

と言った。


2年前、お正月に夫の実家(熊本)に帰省した時にたまたま雪が降り積もった。

その時、弟や、従兄弟たちと雪遊びをした。

もともと九州、四国、そしてこの横浜でしか暮らしてないから、雪遊びの経験なんて少ない。

でも、弟と雪で遊んだことを覚えていたのだろう。


「…△△に会いたい。

……会いたい!!」


また長男が泣きだした。

一度こうなるとしばらくは泣きっぱなしになる。


私も会わせてあげたいよ。

でも、今はまだどうすることもできない…。



とても寒い一日だった。

病院の中に居る時はいいのだけど、行き帰りや、昼食を摂りに外に出た時にはとても寒くて悪寒がした。


(前日まで、私たちが面会に来ている間中私たちを離さず、

薬を点滴されていても決して眠らなかった長男が、眠るようにもなった。

だから私たちは寝ている間に昼食をとった。)



夜、家に帰ってからも私の悪寒は止まらなかった。

ひどい咳が出て、

その夜から朝にかけては高熱が出た。



【つづく】