先ほど病院の定期受診を受けてきました。


いつもならば、長男に大した変化もないので、

私のみが受診し、長男の近況を知らせて、

薬を処方してもらうだけでした。


今日は長男は鎌倉へ遠足に行ったのですが、

疲れたのか、帰宅後は具合が悪い、と。

スイミングスクールも休む、というので、

ならば一緒に病院行こう!となりました。


先月の長男の異変のこともあり、

連れて行ったほうがいい、とも思っていたので、ちょうど良かったです。



6/15の症状について、ざっくりと話しました。

痙攣したところを見たわけではないので…

「『ねぼけ』かもしれないし、微妙ですね……。」

と言われました。


今回は夜の薬(痙攣止め)はちゃんと飲んでいたのですが、

薬の量が足りないのかもしれません。

異変が起きたのが朝ですから、ちょうど薬の効果がきれ始めるころだったかも。


体も大きくなってきたので、

薬の量を増やす必要があるかもしれない、とのことでした。


今日は採血をしました。

その結果次第で、

薬を増やすかどうかの判断をするそうです。


今月末にまた受診して、結果を聞きます。


夏休みに脳波をとろうか、という話になったのですが、

長男のマリンスクールの日程とかぶってしまい、

予約がとれませんでした。

病院側が他の日はもう予約でいっぱいだそうです。

9月以降、平日に休みをとるしかないかも。



長男が楽しみにしているマリンスクールですが、

夏休みに4泊5日の合宿があります。


遠泳がネックになっています。


マリンスクールの事務局に電話して問い合わせたところ、

沖に向かって一直線に泳ぐのではなく、

杭を2点打って、その周りを回る、というものだそう。

もちろん、スタッフの方が要所要所に立ってずっと子どもたちを見ているとのことで、

安心できそうでした。


医師にそのことを話すと、それならば(参加しても)大丈夫じゃないか、と。


ほっとしました。


このまま痙攣など起こさずにいてくれれば良いですが……。



今日は具合が悪い(と言ってスイミングスクールを休んだ)、と言いながら、

さっき、また外に出かけていきました。

ゲンキンなものです。


今週末は、マリンスクールで一泊宿泊での訓練があります。

船上とはいえ、停泊している船の中なので、もし何かあっても大丈夫です。


出来る間にいろんな体験をさせてあげたいです。


これから先も。ずっと。

2011/6/15(水) 7:10am 

(健忘録として。やや話が長いけど、なるだけ詳細に書き留めておきたい。)


長男12歳。小学6年生。


この日、長男は部屋で一人で寝ていた。

最近ベッドがうちに着たこともあり、それまで4人で同じ部屋に寝ていたのが、

バラバラに寝ることが多くなっている。

昨夜は「一人で寝たい。いいでしょ?」と、子供部屋に布団を敷いて寝ていた。


先週の土日、修学旅行に行ったため、月・火と代休だった。

水曜日だが、長男にとっては週の最初の登校日。


朝、私自身が少し寝坊をした。

「もう、7時過ぎてるよ!」

慌てて長男に声をかけた。


長男は仰向けで、目は閉じているか薄目を開けているのか、じっとしている。

近くまで寄って声をかけたが反応がない。


何度も名前を呼んだ。

ゆっくりと目を開けた。


「大丈夫!?」

うなずく長男。


でも、表情が変。

起きてはっとしてる様子じゃない。


「もう7時過ぎてるんだよ、学校遅れるよ?早く起きて用意しよう?」


でも、長男ぼーっとしてる。

でもただぼーっとしてるって感じじゃない。

なんだろう?うまく説明出来ないけど、目が違う。


尋常じゃないって私には分かった。


私が大きな声で長男に呼びかけるから、夫が心配して見に来た。


「どうした?」


「長男が変…」


「オイ、長男。おはよう!」


「…おはよう…。」


「大丈夫だよ、変じゃないよ。」


「でも、ちょっと変だよ…。」


「大丈夫だよな、長男?」


「うん」


「ほら、オマエ(私)いいから早く行って朝の用意してこいよ。」


「うん…」


夫は1Fに降りて行った。

次男もいるし、朝御飯の準備とか、急いでやらないといけない時間。

私も1Fのキッチンに降りて、朝の支度を始めた。


夫は私が降りてくると入れ替わりに2Fの子供部屋に様子を見に行った。

次男は昨夜は1Fの和室に寝ていたのだが、学校の準備をしに、一緒に2Fの子供部屋に上がった。


10分くらいたち、朝食の準備がだいたい終わる頃、夫が一人で1Fに降りてきた。


「どう?長男?」


「あれがふざけてるんじゃないとしたら…おかしいね。」


私は矢も盾もたまらず2Fに駆け上がった。

夫は

「おい、慌てんなよ。大丈夫だよ。」

と言ったけど、この目で見ないと心配で。


長男は布団の上にぼーっとした表情で座っている。

次男が可笑しそうにくすくす笑っている。


「長男?大丈夫?」


「うん。」


「もう7:30近いよ?今日から学校でしょ?体操服とか給食エプロン、下にあるよ。

学校…行ける?」


「あー。うん。行ける。」


「降りておいで。ご飯できたから。次男も。」


「分かった。」


その後しばらくして兄弟二人で騒がしく話しながら階段を降りてきた。


次男が

「お兄ちゃん、コワイ夢みたんだよ~スゴイんだよ~」

2Fで二人でいたときに長男がみた夢の話をしていたらしい。


長男が話しだした。

「あのさぁ、夢で、家族でスーパーで買い物してたんだけど、

試食をしたら『それ、試食じゃないぞ』ってお父さんに怒られてさ。

そのうちお母さんも怒りだしてさ、

オレが『もう苦しい、死にたい』って言ったら、じゃあ、死ねって言って

二人が俺を刺したの」


「刺されたのか?」


「そう。うーってなった。」


「痛かった?」


「いや…痛くはなかった。

でも、とにかく怖かった。」


「オマエ、さっきのこと覚えてる?」


「何が?」


「オマエ、起きたとき、どんな状態だった?そこに誰がいた?」


「え…?次男がいた。」


「お父さんやお母さんは?」


「下にいたよ。部屋にはいなかった。」


「長男最初に起こしたのお母さんだよ?」


「えっ!? ……知らない」


「さっきも声かけたでしょ?」


「……ぜんっぜん知らない」



おでこを触っても熱は無い。至って平熱。

昨日の夜の痙攣止めの薬もちゃんと飲んでる。


この時話してる様子はいつもの長男。

学校も…いけそうな感じ。


「じゃあさ、『前にならえ!』は?」


「は!?」


「お前さ、前にならえしてたぞ。」


夫は立って前にならえをした。


「そして、泣いてたぞ。

コワイ、コワイって…。」


「…なにそれ…」


「覚えてない?」


「……覚えてない。」


もう時間がなかったので、話はそのくらいにして、長男も次男も学校に行った。

長男は隣に住んでいる一年生と毎朝一緒に登校してあげているので、待たせては悪い。


「何か具合悪くなったら、すぐ休んで。保健室行って。」


「分かった~!行ってきま~す!」



━─━─━─━─━─


長男が家を出たあと、私が1Fで朝食を作っていたとき、2Fで長男がどんな様子だったのか夫に聞いた。


━─━─━─━─━─


(夫の話)


「おい起きろ。立て。」


夫の呼びかけに長男は立ち上がった。

でもただ、立ってるだけ。


「歩け」


長男はゆっくり歩く。


「とまれ」


長男は止まった。


「気をつけ!」


しゃんとしてはいない。ただぼーっと立ってる。


「前にならえ!」


長男は前にならえをした。


そして、「うー。うー。」


と言いながら涙を流して泣き出したと言う。


「こわい、こわい」


と繰り返した。


かと思えば、突然前方をゆっくりと指さしてみたり。


そしてあちこちにふらふら歩いたりしだした。


━─━─━─━─━─


それって!


2006年1月16日。


長男が最初におかしくなったあの時 とそっくりじゃないの!


6歳のあの日と……。



長男が最後に痙攣を起こしたのは去年、2010年10月だった。

1年半ぶりの痙攣だった。

あの時は、夜、痙攣止めの薬を飲み忘れてて…明け方の痙攣だった。

その後医師との相談で痙攣止めの薬の量を増やした。

最近は、本当に真面目に毎日薬を飲んでいた。

もう二度と痙攣を起こさせたくなかったし、本人も痙攣が無くなる日を本当に切望しているから。


今日は長男が痙攣している様子をみたわけじゃない。

痙攣後は唇が紫になるが、私が見たときは、それほどではなかった。

顔色は決してよくはなかったけど…。


唇の色が青くなるのは痙攣直後で、しばらくすると戻るから、

私がたまたま見てなかっただけかも…。

やっぱり痙攣したあとだったのかも。


ここ数年起きる痙攣は、だいたい寝入りばなや明け方ばかりだった。

だからその後は寝てしまう。

痙攣している時や前後は、本人はまったく記憶がない。


今回は無理やり起こしてしまったから……。

半分起きてるような、寝ぼけてるような、変な感じになったのか。



今朝、「こわい、こわい」と泣いた。


その時の長男にはもちろん記憶はないが、


「昔(6歳の時)、入院していたときと同じ、すごく怖い感じがした。」と言っていた。


あの時も怖い夢を見る、こわい、こわいと泣いていた。

本人はその感覚を今でも忘れられないでいる。



夫は


「脳に血液がうまく流れてないんじゃないか?」

「酸欠になりやすいというかさ。鼻が悪いのも影響あるんじゃないか」

「あいつよく寝ぼけたり寝言いうけど、それと関係あるかも」


等々言ってたけど…私にはよく分からない。


「やっぱりマリンスクールはかわいそうだけど、無理じゃないか?」


今年の夏、4泊5日で南伊豆にキャンプに行く予定。

長男はものすごく楽しみにしているのだけど……。


もう、すっかり普通に生活できていると思っていたのに……。


病院の受診は今は2~3ヶ月に一回。年に1、2回検査をしている。

次の受診は7月。

様子を報告するだけなので、私一人で受診している。

「特に変わりはないですね?」

と聞かれて、はい、と頷く。

そうして、ただ、薬を処方してもらうだけのことが多いし、そんな日々が続けばいいと思ってたけど。


7月に何を相談すればいいのか。

何を聞いたって、結局分からないんだもの。

これからどうなるのかなんて、先生にも分からないって……。

「治っていけばいいですけどね。様子を見ましょう。」

多分、きっとそう言われるだけ……。

薬の量や種類を替えるくらいかな。

私の咳は一向に収まらなかった。


家族とは違う部屋で、一人で寝た。

咳は一晩中止まらず、また体中に響くような酷い咳だった。

とても眠れるものではない。

呼吸することすら苦しく、

これまで感じたことがないほどの胸の痛みがあった。


こんなに酷い咳をしているのに、小児科の病室に行くのはやっぱり気がひけた。

考えた末、翌朝早く、私は再び大学病院の内科受付に並んだ。

やはり3時間くらい待たされて、受診した。

昨日とは違う医師だった。


「昨日なんともないと言われたが、やっぱり咳が酷い」

と訴えると、医師は私の痰と血液の採取とレントゲンを撮るように手配してくれた。


レントゲンが現像されるとすぐに呼ばれた。


「完全に肺炎ですね。」


レントゲンの私の肺は真っ白に写っていた。


「入院した方がいい。」


そんなに進行していたなんて、昨日の医師の診断は何だったのかと腹が立ったが、

そんなこと考えても仕方ない。


息子が小児病棟に入院しているから、私自身の入院は難しいことを話すと、


「では、毎日点滴に通えますか?」


と、外来で治療することにしてくれた。


それで、私はその日から数日間、内科外来で2時間の点滴を受けてから、長男の病室に通うことになった。


医師はこんなふうに言った。


「ほんの数十年前はね、薬がなくて、この病気でたくさんの人が亡くなったよ。

でも、今はいい薬があるから、必ず治るよ。安心してくださいね。

良かったね。薬がある時代で。」



そうなんだ…。

時代が違えば私はこれで死んでいたのね。



長男は───

どうやら命は助かりそうだけど、これからどうなるか全くわからない。

もしかしたら、もう何十年か、いや何年かしたら、薬があって、容易に治るかもしれないのに、今は薬がない。


あるウイルスが、私は肺に入って、長男は脳に入っただけの違いだけど、

全然違う…。

複雑な気持ちだった。



長男が肺炎で、私が脳炎だったら良かったのに……。



【つづく】