気が付けば9月も半ば。このブログもすっかり放置してしまいました。

いや、(多分)結構忙しかったんですよ。

そんな中でも毎日見に来てくれている方とかがいて、感謝とともに放置していたことを申し訳ないなと思ったり。

それなりに楽しみにしてくれている人もいたりするのかなとも思ったり。


一応、記事は自分なりに厳選しているつもりで、これは共感できるな、とか、これは人に言いたいな、とかそういうものを記事にしているつもり。生活が立て込んでくると、満足に色んなアンテナを張る(この言葉って最近古そうな気がする)ことができず…仕事もコンペが中心だったりもする時期だったので、それで負けちゃう日にゃショックでかくて。入社してからはかろうじて勝ちが先行…いや、五分五分かちょっと負け越してるかもかな。まだロストしている金額のほうが若干小さい気がするのがかろうじての救いだったりもする。



さて、久しぶりに気になる記事をようやく発見。

こういう気づきが世間を楽しくしたり、見る人を高揚させたりするんだなと思う。


http://www.garbagenews.net/archives/989569.html


マンホールのフタをコーヒーに見立てて、なんてことはない、湯気が上がっていることを上手く利用しただけなんだけど、多分こういう気づきがなかなか出来ない。

前に紹介したタバコもそうだけど、まだまだ世間にはこういう工夫で簡単に表現に昇華させられる事象とかしくみとかが転がっているんだろうと思う。

必要な場所、時点…それらを満たすものを見つけ出して形にすること、それ自体はすごく細かいアイデアだったりするのかもしれないけど、それを見つけることが出来る人には正直、かなわないんだろうなと思う。

まぁ、強気に「今は」と言ってみるけど。


コーヒーを踏んでいいのか…とか、きっとそういうこと自体古かったりするんだろうね、ちっちゃいなぁ。


日経ビジネスのメルマガは、会社のメールアドレスを登録して、月~金はほぼ毎日目を通しています。

朝、時間がない時は、気になる記事を忘れないようにブックマークだけして、見れる時間にまとめて見たりとかもして。


このメルマガの「20代の心模様の変化は、消費模様を変化させるか?」という記事を今日は紹介。

自分が考えていた(偏見)とかなり違う状況に、新鮮な印象を持った記事です。


何か勝手なことばかりして、周囲を困らせるとかそういう印象を若者に対しては抱きがちですが、文部省統計数理研究所が5年ごとに実施している国民性調査では、以下のような結果が出たそうです。


■仕事以外で上司とつきあいがあったほうがいい→20代で65%(10年前は50%)・30代で63%(10年前は45%)

■人のためになることがしたい→20代で43%・30代で52%

■あの世を信じますか?→20代で49%(50年前は13%)

■イライラを感じる→20代で63%・30代で62%


何となく、沢山の人が持っている若者への印象とは異なるのではないでしょうか。

面倒な付き合いもあっても良いかもと思う考えとか、自分だけでなく他人も見れる視野とか、何となく目に見えない神秘的なものも信じてしまいそうな心とか、そういうものが感じられるように思います。イライラを感じるという点については、まだ高い数値のまま推移しているようですが…。


草食男子、巣ごもり、消極結婚、酒嫌い、付き合い嫌い、弁当持参など、若者は何か否定的なワードで多く語られる時代となってきましたが、不況のあおりで物質的な不安を覚え、自己実現や自分中心の生き方が難しくなり、その反発として、他人と調和して生きること、人とつながって、人と何かをシェアすることによって、体験や喜びを共有するということに若いながらも目が向くようになってきた…記事と自分の意見が混じってますが、若者の間ではそういうことが起こっているのでしょうか。



巷は総選挙。最近は少しですが、興味が持てるようになってきました。


どうやら世の中の不況はそろそろどうにかなっていくような気配のようですが、選挙も終わって世の中が変わった時、次の時代には何が世の中を席巻していくんでしょう。



うーん、人の書いた記事を紹介するのは難しい。

最近はあまりちゃんと本を読む時間が取れなくて、移動の合間に読むなら文字が大きくて時間かからず読めるほうがいいなぁとか、ちゃんと本を選ぶにはあまり好ましくない観点から本を選んだり。

そんな中、Twitterでもつぶやいてみたんだけど、自分の状況はさておき、前向きになれた一冊。


the universe

実はAmazonで買い物をしたことってないんだけど、本の画像を借用。こっちのほうが分かりやすいのかなと。勝手に使ってごめんなさい、でも宣伝ってことで。


こういう本を見てると、今の時代のコピーライターさんってのは苦労するんだろうなぁと思う。秀逸な表現なんてのは誰かの手によって結構世間に出てしまっていて、何を考えても「それって○〇さんっぽいですね」とか平気で言われちゃいそうなイメージ。あくまでイメージですけど。それを回避するために妙に饒舌なコピーになっちゃうとか、そういう悩みの中に居たりするのかなって。まあそれも勝手なイメージですけど。



広告は社会を明るくするもんだ、っていう自論があり、それは多分間違ってないんだろうなぁと思う自分がいて、それに関わる仕事ができていることはきっと幸せなんだとか、そんなことを考えることがあるんだけど、そういう思い込みで毎日が乗り切れちゃう気の力ってあったりするんだと思う。



号泣する映画の広告だって、それに感じる人が居て、泣きに観に行く人が居て、なんか泣いた後はすっきりしたりして、それも幸福な一面。人は感動を買いたいもん、と思う。