熱闘! 政治家への道 ~元高校球児の夢~ -98ページ目

トレイルランニング...山の稜線を見て思う

昨日から新しい工区(地区)に入った。

元請けが変わったため、少々作業の手順が変わった。

直ぐに慣れると思うが、同じ須賀川市なのだから、完全に同じにして欲しいと思う。


さて、今作業をしている住宅から三森を含む、奥羽山脈南部の山々が一望できる。

熱闘! 政治家への道 ~元高校球児の夢~

昼休み、この光景を眺めながら思った。


この山並みは、トレイルランニングコースにもってこいではないか、と。


高くても1,010m程度で同じような高さの山々が続く。


山の実際の様子(登山道など)は分からないが、稜線をみるとそう思ってしまう。


福島県はこの奥羽山脈の南部と阿武隈高地が南北に走り、風土の異なる「はま・なか・あいづ」を作り出している。

双方とも急峻な山は無く、小学生でも登山できりような山々が多い。


この特徴を活かせるのが、トレイルランニングではないだろうか、と稜線をぼんやりと見ながら思った。



現実は大変だろう。新たな道(コース)をつくらなければならないだろう。登山者との共存も考えなければならない。


ただし、福島県は自然を活かした集客のコンテンツを創らなければならないし、その素地もある。



また、自然を眺めながら、何かを考えたい。

「せせらぎこみち」と“水辺の都”

今日も、作業は休み。次の物件の準備が済んでいないためだ。


私は、自転車で“せせらぎこみち”を目指した。

*参考:郡山市 「人と自然の共生を感じる水空間「せせらぎこみち」


ここは自転車通行禁止。私は自転車を押して歩いた。

この台新の「せせらぎこみち」。住宅地の間、通常の土地区画では作られないような憩いの空間が広がっている。


郡山女子大学附属高校付近。白い建物と調和している。

休めるスペースが少ないのが気になるが、散歩コースには最高の空間だと思う。


この「せせらぎこみち」は安積疏水の用水路を改修し、下に雨水が流れる上下二段構造になっている。「せせらぎこみち」を流れる水はその雨水を浄化しポンプでくみ上げたもの。

末尾に掲載した環境省の資料内の写真を見ると驚くが、これほど変わってしまうのかと思うような変わりっぷりだ。


「せせらぎこみち」はこの台新~開成(第二期、2.1km)と西ノ内~若葉町(第一期、1km)の二箇所ある。


この「せせらぎこみち」の先には豊田貯水池がある。


今年3月に廃止されたが、その後の新市長下での活用方針が示され、安積疎水の水を引き込み調整池として利用することとなった。


*出処:福島民報 2013年8月24日付け 紙面より


この旧豊田貯水池の立地が良い。郡山市役所とJR郡山駅の間にある。

西面以外を商業・住宅地に囲まれている。


この立地を考え、日常人々が集える場所にならないものか。開成山公園の五十鈴湖とは違った、水辺の空間を作れないものかと思う。



...郡山市は“東北のウィーン”を掲げ「楽都・こおりやま」と称している。

小学校から高校まで、合唱と合奏で数々の賞を受賞し実も伴っている。

日ごろから街なかに音楽が流れる、とまではゆかないが音楽文化は根付いている。


私は、上に挙げた「せせらぎこみち」と豊田貯水池、五十鈴湖。それに酒蓋池と荒池、麓山公園を加えた市中心部一体の水辺は誇れるものだと思う。


この水辺空間に活かし、“東北のヴェネチア”「水辺の都・こおりやま」を標榜してもよいのではないだろうか。


安積疎水という国家事業がもたらしたこれらの水辺は、それぞれに物語があり趣もある。市民ばかりでなく、多くの人が「水辺の都」と納得できる材料は十分だ。


是非、市には検討してもらいたいと思う。


*参考:環境省 水・大気環境局 水環境課 「環境用水の導入」事例集(2007(平成19)年3月)  「No.34 福島県郡山市 雨水幹線(せせらぎこみち)


“八重”後...福島民報社説より

今日の現場は中島村。


震災で屋根の支柱が折れた蔵の修理を行うため瓦をひたすら下し続けた。


今日の福島民報の社説にあたる「論説」では「大河後の復興策」が論じられていた。

熱闘! 政治家への道 ~元高校球児の夢~

『...放送終了まで約三カ月。大河ドラマの追い風を長期的な観光振興の推進力にしなければならない』


NHK大河ドラマ「八重の桜」は、舞台を京都に移しているため、会津の露出が減っている。


もうすでに“大河後”は始まっている。


会津の歴史上の役割を確立させ、会津松の歴史上のブランド力を高めなければならないと私は思う。

特に、明治維新での会津松の役割を強調し、『今の日本があるのは会津のおかげ』と言ってしまってもよいのではないだろうか。


決して悲劇のヒーローとして演出することなく、明治維新という革命に必要な存在だったことを政治・血統・軍事などの面から解説し、会津の重みを演出する。


これは、海外に向けても発信し、『日本に来るなら京都もそうだが、会津にも』と思わせる必要があると思う。


それだけの価値を「会津」は持つと思う。



そして、この“会津は武家の最後”ブランドに似合う街並みも作らなければならない。


駅に降り立ち、鶴ヶ城を一歩出て、すぐに“今”を感じさせる看板や建物があってはならない。

ここは徹底すべきだと思う。


他にも私案はあるが、とにかく、会津は日本観光のキラーコンテンツであることには間違いない。



“八重”後について地元・会津若松市は様々な策を練っているが、是非、会津の価値が存分に生かされるような振興策を考え、実践してほしいと思う。


*参考:会津若松観光ビューロー 「会津の歴史