熱闘! 政治家への道 ~元高校球児の夢~ -89ページ目

深田調整池

深田調整池。農林水産省所管の農業用のダム湖。


安積疎水 を経て、郡山市内のみならず、須賀川市に農業用水を供給している。


初めて訪れたが、美しい“湖”だと思った。


国の管轄で、農業用水貯水池であることを考えると容易ではないかもしれないが、この景観が利用されてないのはもったいないと思った。


フィルダム のアース型としては国内有数の高さがあるという。

見栄えがある堰。麓の三穂田町山口、県道29号線から見ると山と一体化してその大きさは実感できないが、そばで見ると圧巻。一見の価値はあると思う。



堰(堤)の上からの光景。山が抜ける角度が悪く、市内を見渡すことはできないが、田園風景が見え自然を堪能できる。

郡山と須賀川の農業者にとって、気が進まないかもしれないが、許容点を探り、市民が集う場としての利用法を、関係者には是非検討してもらいたいと思った。

三森峠

昨夜、『自転車で湖南町へ!』と思い、100kmにもおよぶ旅程を覚悟して床についた。


しかし、今朝目覚めると強い風が壁や窓にたたきつける音が。最悪の西風。しかも、目指す猪苗代湖のある西には濃い灰色の雲に覆われていた。


迷ったが、湖南行きは断念し、「三森峠」まで行くことにした。

県道郡山湖南線を西へ向いペダルを漕いだ。

休石温泉を超え、しばらく進むと“バイパス”となる三森1号橋(61m)が完成しているのが見える。

また、しばらく進み、上を見上げると多田野大橋(144.5m)。

この、多田野大橋からは郡山市内が見える。

多田野大橋の先には多田野トンネル(293m)、その先に三森トンネル(1,370m)が続き、湖南町舟津に入る。

「三森道路 早期整備促進を!! (三森道路整備促進期成同盟会 *会長:郡山市長)」の看板が。

県道6号線の三森峠を越える逢瀬町多田野~湖南町舘間を“三森道路”と称しているようだが、現在、残りはⅠ工区とⅣ工区の残りとなっている。


Ⅰ工区は、上に挙げた三森1号橋の先の工事(トンネル2、橋梁1)が行われ、Ⅳ工区 は残りの道路改良が行われている。完成は2016(平成28)年度中という。


完成すれば、湖南町の方々の市内への通勤、とくに冬場の安心・安全が高まる。また、市内から湖南町へ向かう心の抵抗(あの細い、急カーブの道を通るのかぁ)が小さくなり猪苗代湖や布引高原などへの観光客が増えるのではないだろうか。


一日でも早い開通が待たれる。


...峠を下り、休石温泉の大田屋に。

温泉につかった。



露天風呂からは山の緑が見え、多田野川の強い流れの音が聞こえた。

また来たいと思える温泉だった。




大田屋を後にして、深田調整池に向かう。
秋も深まり、柿も色づいていた。


熊っ!! と一瞬背筋が凍ったが、近づくと、毛むくじゃらの犬。つぶらな瞳がかわいかった。



これからほどなくして、深田調整池に到着した。

「避難弱者」相川祐里奈著

11月3日、福島県男女共生センターで開催されれる「介護の日 記念フォーラムに参加するため、基調報告をする相川氏の著書を購入。

熱闘! 政治家への道 ~元高校球児の夢~
「「避難弱者」~あの日、原発間近の老人ホームで何が起きたのか?~」(相川祐里奈著)


著者は国会事故調査委員会の事務局に在籍し、『住民の避難状況など、原発事故後の被害について実態を調べるチーム』(著書引用)に参加していた。




一気に読み進める。


第一原発から10km以内、富岡町の養護老人ホームから始まり、

原発から3km、双葉町の特別養護老人ホーム、

同じく10km、浪江町の特別老人ホーム、

同じく2km、大熊町の特別養護老人ホーム、

さらには、20~30km圏内の南相馬福祉会の特別養護老人ホーム3施設、

そして、第一原発の原子炉建屋水蒸気爆発から約40日後に避難指示が出た飯館村にある特別養護老人ホーム、

等の施設を取り上げ、当事者からの聞き取りを元に当時の状況が克明に描かれていた。

『国会事故調査報告書で取り上げた病院以外にも、全患者や全利用者を避難させた病院や高齢者福祉施設が多々あった。しかし、時間や分量の制約から取り上げることができなかった。特に高齢者福祉施設の避難については報告書でまったく触れることができなかった。』

『ここで誰かがこの事実を掘り下げなければ、永遠にこれらの教訓は語り継がれることなく、忘却の彼方へ葬られるかもしれない。』

『・・・介護関係の仕事にかかわる人たちだけではなく、介護が必要な家族を持つ多くの方々が防災について考えるきっかけとなり、今後の災害へ備えるために役立てればと願っている。』(以上、本書「プロローグ」より引用)


著者はこのような考えで執筆している。


政府の混乱が現場に及んでいたという事実は重く、『あの時間の中でこんなことがあったのか』と胸が詰まらされた。


取り残された。

誰を残し、誰が行くのか。


この絶望感と究極ともいえる葛藤を一度ならずとも味わった施設の関係者が数多くいた現実を知った。


また、“施設が施設を受け入れる”という事態に際して、同業者が故の期待と逡巡が交錯した様を知った。


当時、関係者は最善を尽くしたが、避難をしたが故に死期を早めた方は少なくない。

この教訓は今後に生かさなければならないと思った。


原子力発電所の過酷事故を想定した避難計画を策定が、立地自治体に求められているが、この著作で取り上げられたような介護施設や病院などの利用者・患者の避難で、避けられるべき困難が起きないようにして欲しいと思う。



*資料:11月3日開催の講演会について

福島民報 2013年10月18日付け 紙面より

基調報告後のシンポジウムでは、本書にも登場する飯館村「特養いいたてホーム」の三瓶氏と、三島町の特養「桐寿苑」の秦氏と相川氏が"語り合う"とある。

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