まちなかの賑わい
日曜日。郡山駅周辺に出かけた。
うすい通りか駅前まで歩き、人通りがなく、寂しいなぁと感じた。
どうも、私の頭の中には高校時代の郡山の賑わいがイメージが強い。
高校卒業と同時に上京したため、その印象が強く残っている。
例えば「なかまち夢通り」。私が高校生の時は「第一うすい」、「第二うすい」がありにぎわっていた。
郡山商工会議所の「通行量調査
」データでは、当時(1991(平成3)年)のこの通りの交通量は以下の通り。
・休日:25,548人
・平日:15,110人
現在のデータはないが、6年前(2007(平成19)年)の交通量は以下の通り。
・休日:6,537人 *19,011人減
・平日:4,087人 *11,023人減
通行人が1万人以上減っていれば、風景は一変する。
ちなみに、小学校の頃、毎年5月5日の子どもの日に母と兄弟4人で第二うすいでおもちゃを買ってもらっていたが、その頃は4万人(休日)の通行量があったという。
私にとって、郡山駅からうすい百貨店を結ぶ導線周辺は“人がいっぱいいた”という印象しかない。
私は今、浦島太郎状態で、まちなかを歩いている。
各地点の通行量の比較を、上で引用した「通行量調査」の1991年と2007年で比較してみたい。
駅前大通り北側。
[休日] 1991年:12,433人 2007年:3,761人
[平日] 1991年:10,746人 2007年:3,477人
駅前アーケード商店街。通行量調査はこの奥の旧東北書店前。
[休日] 1991年:12,031人 2007年:2,756人
[平日] 1991年: 6,855人 2007年:2,044人
駅前大通り南側、なままち夢通り付近。
[休日] 1991年:7,817人 2007年:3,059人
[平日] 1991年:6,164人 2007年:2,389人
なかまち夢通り(うすい通り)の通行量が激減が目立つが、郡山駅を除き、「ほぼ全調査箇所で半減以下となっている。
この減少の原因の一つは郊外のショッピングセンターだ。
1991年から2007年の間にオープンした郊外店は以下の通り。*出処:日本SC協会
・フェスタ(日和田) 1996(平成8)年4月 42,106㎡
・イオンタウン(郡山駅北)) 1998(平成10)年12月 37,523㎡
・ザ・モール(長者) 2000(平成12)年11月 18,364㎡
*西部プラザ(イトーヨーカ堂)は1989(平成1)年6月オープン。 11,978㎡
大型の郊外店が3つのできれば買い物客が分散するのは止むを得ないかも知れないが、駅前周辺の“まちなか”が閑散とするのは寂しくもあり、街の機能を考えると放ってはおけない事態だとも思う。
周辺の商店街は様々なイベントを開き、多くの市民が訪れる機会を作っている。
郡山市は、9月6日に周辺11商店街の代表者を集め中心市街地商店街代表者意見交換会(第二回)で来年度からの中心市街地活性化基本計画(5か年)を示したという。基本方針(案)は「まちの魅力を高める」「居住者を増やす」「来街者を増やす」。
これらが成果を出し、徐々にまちなかに繰り出す人が増え、昔とまではゆかないが、平日休日を問わず、賑わいを取り戻して欲しいと思う。
*参考
◇福島県:「商業まちづくり推進条例 」(2006(平成18)年10月施行)
→「歩いて暮らせるまちづくり-郡山地区社会実験- 」(2006年9月23日~11月5日)
東北六県売上高ランキング(平成24年度)
冷え込みが和らぎ、日中、陽が差すと心地よく作業ができた。
今日の新聞には東京商工リサーチが発表した昨年度の東北六県の企業売上高ランキングについての記事があった。
*出処:福島民報 本日付け 紙面より
ヨークベニマルが3,638億6,200万円で第三位という。
第一位が東北電力(1兆5,919億3,800万円)、第二位がトヨタ自動車東日本(8,614億200万円)ということで、流通ではヨークベニマルが第一位ということになる。
地元の企業、しかも日ごろから買い物に利用するスーパーがこのような位置にいるというのは誇らしい。
これからも地域に根差し、商品を安定して供給し住民の生活を守り続けて欲しいと思う。
その他、記事に掲載されている福島県の企業は以下の通り。
第七位 ニラク (2,407億5,400万円)
第十位 ゼビオ (1,379億9,100万円)
第十三位 佐藤 (1,168億6,600万円)
第十四位 相馬共同火力発電 (1,138億9,200万円)
第十七位 恒和薬品 (1,067億3,900万円)
第十九位 ソニーエナジーデバイス (1,050億1,500万円)
4号機 燃料取り出し開始
家に帰り、NHKのニュースを見ると福島第一原子力発電所で4号機の核燃料の取り出しが始まった事が報じられていた。
燃料プールがしっかりとカメラにとらえられていた。歴史的な瞬間だ。
このボロボロになった建屋からどうやって燃料を取り出すんだ、と思い暗澹とした。
隣りの3号機は建屋上部が吹き飛び、鉄骨がひしゃげている。燃料は融け、線量が高い。
4号機が一番環境が良い(燃料が融けていない、オペフロが損傷を受けていない等)と言われるが、予定通りに進むのか心配していた。
あれから2年。予定より少し時間はかかったが、廃炉作業に欠かせない燃料取り出しが始まった。
作業員をはじめとする、関係者の尽力に感謝申し上げたい。
これから、1,533本(未使用202本、使用済み1,331本)の核燃料棒を約1年かけて取り出す。
訓練を受けているとはいえ、誰も経験したことのない初めての作業員なる。
安全第一で、健康を管理し、作業を進めて欲しいと思う。
*追記 翌日、地元紙紙面
◆福島民報 2013年11月19日付け 一面より
一面だけでなく、二面と第一社会面、第二社会面で「4号機燃料取り出し開始」を伝えていた。
*追記(2014年12月20日)
◆福島民報 2014年12月20日付け 紙面より
燃料取り出しが無事終了したことを一面で取り上げていた。二面では『1~3号機は困難 対策の効果不透明』と今後の廃炉作業の難しさを伝えていた。





