農地除染
郡山市では農地除染も行っている。ほぼ100%休耕地だ。
担当(落札)した地域を回り、所有者に“営業”をかけ除染したいと言えば段取りをして作業をする、というものだ。
この現場は斜面に田んぼが並んでいたと思わせる休耕地。
「トンボ」をたて、鋤取り前の地表からの距離(レベル)を確定させてから、パワーショベルで表土を50mm削り取る作業をひたすら繰り返す。
途中、除去土が山になったら、別の作業員がフレコンパックを広げ、重機で除去土を入れてもらう。
フレコンはたまってきたら、仮置き場となっている一番下の旧田たんぼまでトラックなどで持って行き、別の重機で積み上げてゆく。
この作業の効率は重機のオペレーターの腕に掛かっている。
現場のオペは腕が確かなようで、、作業は順調のようだった。
御巣鷹尾根へ...日航機事故から29年
いずれ行こうと思っていたが、29年経ってしまった。
今日、1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故の現場である御巣鷹の尾根に行ってきた。
午前中は慰霊登山があるということで、午後に登ろうと思った。
レンタカーで高崎駅を出る時には曇りで、目指す西の空には濃いねずみ色の雲が広がっていた。
出発から5時間で、旧登山道の入り口に到着。弱い雨が降っていた。
車を降りて、連絡バスに乗り込み、登山道入り口に到着。
一礼してから登り始める。右手に沢がある整備された道を上る。
途中、慰霊登山者用の休憩所となっている小屋が見え、スタッフらしき若者が10名ほど見られた。
登山道はこの雨の影響か、一部崩落していたが、応急処置されていて進む事に支障はなかった。
やがて、当時遺体があった斜面に到着する。
真新しい花が、急斜面に点在していた。私は茫然とした。
周囲一帯の花々を見て、事故の凄まじさを実感した。
12歳の時、テレビ画面を見続けた現場がこれほどのものだったのかと絶句した。
斜面にはこのような標識がある。遺体があった場所に振られた番号が書かれていて、これを頼りに向かうことになる。
全長約70m、全幅約60mの巨大なジェット機が激突し、520名もの命が奪われた現場、とは思えないほど現場は整備されて、29年を経て草木の状態も自然な状態だった。
しかし、奥深い山の中の開かれた空間には違和感があり、点在する墓標はここが特別な場所であることを示していた。
私は時間の許す限り遺体の発見された場所に行き、手を合わせた。
そこで彼彼女達の姿を思いやり、この場所に遺体があったと知った遺族の心中を想像した。
胸が締め付けられ、涙が出た。
決して、このような事故は起こしてはならない。
また、生活を便利にし豊かにする技術が人命を損ねないよう、その技術を管理できる技術を持たなければならないと思った。
御巣鷹の尾根。また登りに来ようと思う。
~みちのり~
JR高崎駅を出て南下し、上信電鉄線沿いに西に進路を取り、甘楽町、富岡市、下仁田町を抜け、南牧村
に。
国道299号線にぶつかり、左折。上野村
役場に向かう。
役場周辺は山々に囲まれていた。
役場を後にして、上野中学校の南側にある「慰霊の園
」へ。
ここから国道299号線を引き換えし、楢原郵便局を左折。県道124号線を南下すると、「慰霊登山」に関する看板が立てかけられていた。
『この先に本当にあるのか?』と不安になりながら進むと、車の姿が見えた。
小さな小屋もあり、10名ほどの人の姿もあった。ここが登山道入り口かと思い、車を止める。
聞けば、ここは昔の登山道入り口で、今はまだ上になるということだった。
連絡バスに乗り、現在の登山道入り口に。車が20台ほと駐車できるスペースがある。
ここまでは、かなり急な傾斜で、事故後から2006年までは約2km、1時間かけて現場まで登っていたが、この場所ができることで距離は約700mに縮まり、30分程度で行けるようになったという。
日本航空社員などの手によって整備されているという登山道は、この急斜面にも関わらず歩きやすく、手すりも取り付けられている。
途中、遺族の方々の休憩所となている山小屋がある。
この付近にはブルーシートがかけられていた。今日の雨をしのぐためのものだと思った。
しばらく上ると水場が。ここまで整備されている事に驚いた。
登山道が整備できない急斜面には鉄製の通路が。
縦横の道を使い、全ての墓標にたどり着けるのだろう。
登山開始から30分ほどで、視界が開ける。
登りきると、「昇魂之碑」がある整備された平坦なスペースに出る。
真新しい花が手向けられていた。
私は碑の前で合掌し祈った。
周辺を見渡し、ここに向かってジャンボ機が墜落した様を想像した。
周囲には当時を思い起こさせるものもあった。
黒く焼け焦げた巨大な幹。29年経っているとは思えない姿だった。
「昇魂之碑」の裏の斜面を登ると“×”印が。
視界を向けた方向に目を凝らすと花が見え、そこの墓標があることがわかった。
私は、特に若い世代にこの場所に訪れ、祈りを捧げ、ここで起こった事を想像し、その背景を勉強して欲しいと思う。





