熱闘! 政治家への道 ~元高校球児の夢~ -43ページ目

いわき市久之浜漁港「魚まつり」

5:30郡山駅発の磐越東線の列車に乗り、いわきに向かいました。

 

6番線に停車していた列車には「ふくしまディスティネーションキャンペーン」に向けて、「リカちゃん」「フラガール」「アクアマリンの魚たち」などが華やかにラッピングされていました

 

まず向ったのは、いわき市久之浜漁港。いわき市漁協久之浜支所が主催する「魚まつり」会場に行きました。


久之浜は先日11日に訪れたばかりでした、久之浜漁港は3年ぶりです。

 

会場には、きれいな大量旗がなびいていました。

 


会場に着くと、矢吹町出身の演歌歌手が持ち歌を歌っおり、開会までには多くの来場者が会場を埋めました。

  

開会式ではいわき漁協久之浜支所長など多くの方がいらしており、漁業の復活を誓っていました。この祭りは、震災前に行われていた「海竜祭り」の復活版のような位置付けだということが分かりました。

 

 

開会式の後、試験操業で水揚げされた魚の販売や、惣菜販売、そして会場シラス汁の振る舞い行われました。

 

 

シラス汁は一つの釜(60杯程度)が終わると、カニ汁変わり、このシラスとカニを3セット回転させるという大判振る舞いでした。

 

 

私はシラス汁をいただきました、水菜とシラスの組み合わせに磯の香りが重なり、とても美味しかったです。

 

魚の販売では、多くの方々が発砲スチロールのケースに詰め込まれた商品を次から次へと買っていて、人気の高さが分かりました。


 

私は、「メヒカリの唐揚げ」と「タラの唐揚げ」を購入し、その場でいただきました。
どちらも、揚げたてで、身も新鮮で、今まで味わった事のない旨さでした。特にメヒカリは、いわき在住時食べた事がありましたが、それをはるかに上回っていました。



 

いわき市漁協をはじめ、浜通りの漁業は本格操業ができず、魚種や水揚げ量を絞った試験操業 を続けていまする。

 

目の前に海がありながら、思う存分漁ができない漁師の方々の姿を見て、複雑な気持ちになりました。

 

 

...久之浜の海岸には、嵩上げした防波堤が完成していました。現在は、防災緑地の整備等、復興土地区画整理事業が進められています。

国連防災世界会議(仙台)...福島大学「ふつくしまふくしま未来支援センター」

国連防災世界会議のパブリック・フォーラムを聴講するために仙台に向かいました。

 

仙台駅は、世界中から集まる参加者を歓迎する装いとなっていました。

今回、仙台に来る事を決めたのは福島大学「うつくしまふくしま未来支援センター(FURE)」が原発事故後の取り組みを発表するということを知ったためです。

 

事後後4年、地元の大学が取り組んだ成果が、どのように発表され、聴講者(特に外国人)にどのように受け入れられるかを見たいと思いました。
 

 

会場は地下鉄・勾当台公園駅近くのTKPガーデンシティ仙台勾当台。

 

室内は、世界会議らしく、各国からの聴講者の姿が見られ、開始の9時30分には日本人と合わせ7割程度席が埋められていました。

 

 

演題は「For the Building Back Better -Challenge and Contribution by Fukushima University-」(より良い復興に向けて–福島大学の挑戦と貢献–)。

 

 

 

まず、センター長の中田教授(人間発達文化学類)から始まり、センターの三部門の研究者がそれぞれ発表しました。

 

 

 

1.こども若者支援部門

 

こども・若者支援の現状」 “若者”担当:森氏、“こども”担当:本多氏

2.地域復興支援部門

生活環境の再建と創造 ~産業・街づくりの取り組み~」 高木氏

原発避難の実態と復興政策の現実」 佐藤氏

県民が主役の再生可能エネルギー事業の福島モデルの提唱」 大平氏

3.農・環境復興支援部門

風評被害払拭に向けた取り組み」 石井氏

警戒区域における取組み」 大瀬氏

 

 

 

限られた時間の中で、FURE発足後からの取り組みと「現状と課題」について分かりやすくまとめていました。

 

各発表について、福島に住んでいながら改めて知る事、理解を深めた事もありました。

 

 

そして、“海外”からの質問は、貴重なものでした。

 

・フランス人(放射線防護の研究者)

Q1:政府が避難指示を解除したのにも関わらず、なぜ住民は戻らないのか?

→A1:福島第一原子力発電所は、汚染水問題などがあり、住民が『何かあるかわからない』という意識がある。

Q2:追加被ばく線量(1mSv)はどのように受け入れられているか?

→A2:自然科学の基準より、社会科学の基準として考えなければならない状況。

Q3:.除染は帰還にどうのように関わるか?

→A3:効果などの疑問の声もあるが、その必要性は感じている。

 

(私見)Q1は“政府が安全と言っているのになぜ”という素直な疑問であり、そのように思っている海外の方が多いだろうという事は容易に想像できた。

Q3は“無駄な事業”と言われている全面除染への関心が高い事がうかがえた。

 

・フランスの大学で研究している日本人

Q1:復興計画を策定する時に頻繁に上がっていた「仮の町」が、今ではまったく耳にしなくなった。どうなってしまったのか?

→A1:今現在は復興住宅が“仮の町”となっている。

Q2:それに関連して、福島大学の今井教授が「二重の住民票」という制度を提案していたが、これも耳にしない。どうなってしまったのか?

→A2:総務省が一時『必要なし』としてが、今再び議論にあがろうとしている。地方制度調査会で取り上げられている。

 

(私見)確かに「仮の町」「二重の住民票」ともいつの間にか聞かなくなってしまった。しかし、帰還に対する住民の意識の変化や避難先での根付きなどを知っていると、その話が無くなってしまう事は理解できる。

デリケートな問題ではあるが、世界的な問題として、このあたりの情報も海外に向けて発信する必要があると思った。

 

・アメリカ人(学生)

Q:再生可能エネルギーの普及はコミュニティのエンパワーメントに役立つと思うが、その実現のために中央政府が何をすればよいか。規制緩和か? 税制優遇か?

→A:現在県内の再生可能エネルギープラントを持つ企業の8割が県外。政府の力よりもまず、県内自治体がモチベーションを持ち、自主的積極的に再生可能エネルギーを普及させてゆく事が必要。

 

(私見)ここでも“政府”という言葉がでてきた。つまりは、この原発事故は日本政府が中心となり復旧・復興をすべきという考え方が海外では浸透していると実感した。

 

 

 

その他、この講演で印象深かったのが“コミュニティーの全てを失った喪失感”と“失ったものが多いが故の“肯定感の喪失”。

 

 

 

 

家族の喪失。三世代同居が多かった避難区域では、、家族の分断が起こった。また、核家族でも仕事で離れる事ができない父親と避難を強いられた母子で分断がありました。

 

地域の喪失。地域がまとまった避難はほとんどなく、避難によって地域のつながりは失われました。

 

そして、子供たちはこの二つに加えて、学校の喪失を体験しているといいます。学習内容は学校が変わっても同じではありません。教科書も変わります。さらに、友達も失います。

 

このような体験をした、特に子供たちは『これでいいんだ』と自分の言動や考えを肯定する事に委縮して、『自分が悪い』と思ってしまう、と担当者の研究者は言っていたのが印象的でした。

 

 

復興が人間にかかっている事を考えれば、この状態を放置してはいけない、と私は思います。

 

復興計画は各自治体とも仕上がってきています。今後は、避難されている方々の心の癒し、心の復活に注力していく必要があります。

 

 

福島大学「うつくしまふくしま未来支援センター」の今後の活動に注目してゆきたいと思います。

(以上)

 

福島空港活用セミナー...於:郡山市商工会議所

春を通り越して、初夏を思わせる天候となりました。


私は郡山市商工会議所で行われた「福島空港活用セミナー」に参加しました。新築してから、初めて訪れましたが、外観同様落ち着いた空間となっていました。

 

 

セミナーの主催は福島県と郡山市福島空港活用促進協議会。

 


 

県からは商工労働部の空港交流課 課長、市からは協議会会長(商工会議所会頭)の代理として商工会議所の副会頭が出席し、挨拶をしていました。

 

 

セミナーは日本大学経済学部教授の加藤一誠氏の講演とそれに関する質疑応答で、約2時間30分を要しました。

 

 

演題は「福島空港と地域の将来 ~防災・安全・公共の視点から~」。

 

 

東日本大震災で見直された福島空港の“生きる道”について、全国の空港の現状や利活用の事例にとどまらず海外(アメリカ)の地方空港の奮闘も交えて、関西弁で熱く語られていました。

 

 

 

加藤教授は福島空港の存在意義として、次の3点を挙げました。
1.交流拠点として
・・・地域間競争のカギ握るグローバル化に必要なインフラ
2.防災拠点として
・・・災害に強く(内陸空港)、首都圏等での広域的大規模災害における支援拠点となる
3.可能性
・・・小型機(MRJ等)によるLtoL(地方から地方へ)拠点

 

しかし、現在、毎年5億円程度の赤字を出している福島空港は、何もしなければ廃港議論がいつ再燃してもおかしくない状況にあると言います。

 

1999年の年間75.7万人をピークに、2000年以降搭乗者数は減り続け、震災の前年2010年には28.6万人。震災後、増えていますが、昨(平成25)年度は24.3万人と回復はしていません。

 

*参考:福島空港利用状況(PDF)  [福島県空港交流課]

 

 

ここで加藤教授は、福島空港が生き残る術は、東日本大震災で露わになった“防災・減災ための空港”としての役割、だと主張しました。

 

 

震災当時、福島空港は“過去最大の利用者”があったと言います。
開港以来初めて羽田便が運航され、自衛隊機も頻繁に離発着し、救援物資のターミナル(ハブ)となりました。

 

 

この“防災・減災”拠点とは公共の施設であり、経営健全化を云々する「効率性基準」ではなく、「公平性基準」を適用し、その存続を判断すべきとも教授は提言しました。

 

*参考:「東日本大震災の記録」(PDF)  [福島空港事務所]

 

 

このほか、他の地方空港でもいえることでありますが、
・訪日(インバウンド)旅客の誘致
・地方ネットワーク維持
・地域間連携
の必要性も説かれました。

 

 

この3つを組み合わせについて教授は次のような提案をされました。
京都観光の外国人旅行客(インバウンド)を、伊丹から福島空港経由(地方ネットワーク)で栃木・日光に誘う(地域間連携)

 

なるほど。現実的で、今からでもできるプランではないでしょうか。

 

 

福島空港 の利用者は郡山市民や郡山からの移動客が圧倒的に多いと言います。

 

 

立地や人口比からいえば当然かもしれませんが、郡山市が福島空港の浮沈を握っていると、私は考えました。

 

 

空港の立地自治体は須賀川市と玉川村ですが、郡山市も積極的に係わり、市民の利用者増やチャーター便の誘致、伊丹空港を利用した「乗り継ぎツアー」の企画など、今以上に発信して欲しいと思います。

(以上)