熱闘! 政治家への道 ~元高校球児の夢~ -31ページ目

【通学路26】鬼生田小学校

未明から雨が降る事はなかったが、ねずみ色の雲が空を覆っていた。


今朝は西田町の鬼生田(おにうだ)小学校の通学路の状況を見るためにペダルをこいだ。

内環状線から国道288号線、阿武隈川を渡ったのち堤防上の道を経由して県道73号(二本松金屋)線に入った。

左側を流れる阿武隈川はおだやかで、透明感があった。

出発から約1時間で現地に到着。

鬼生田小学校は登り坂の途上、うっそうと茂る森の中にたたずんでいた。

校舎は二階建て。


県道73号線の喧噪が嘘のように、静寂に包まれている。

校長先生は、全ての児童が通る校門前に立ち、全ての子ども達と“ハイタッチ”をし言葉を掛けていた。心温まる光景だった。また、校長先生は情報発信にも熱心で、さっそく今朝の登校風景をホームページにアップしていた。

*参考:鬼生田小学校HP 学校日記「曇り空 6/3


鬼生田小学校のホームページのアクセス数は、市内他の同規模校にに比べ多く、校長先生をはじめ関わっている先生方の取り組みが学校への関心を高めていると思った。


校舎の北、学区でもある大網地区には東北新幹線が走り、郡山には停車しない「はやて・こまち号」が猛スピード駆け抜けていった。

鬼生田小学校。

まず、その名前の由来が気になる。

諸説あるようだが、郡山市のホームページ(西田町行政区)をのぞくと、つぎのような記述がある。

(引用)“ ...鬼生田(おにうだ)」の地名は、田村麻呂に追いつめられた鬼が田の中に鬼の子を捨てて逃げたので、村人が育てると、毎日庭先で大石と遊んだ。この石を鬼石と呼び、鬼の子が捨てられていたので、「鬼生田」の地名がついたという。 ”*出処:郡山市HP 西田町行政区「地名の由来


開校は1873(明治6)年で校舎の南西にある広度寺に設けられ、1921(大正10)年に現在地に新校舎の完成を機に移ったという。

今年5名の一年生を迎え、全校児童は48名。一昨日訪れた高野小学校同様、2018(平成30)年に「西田小中学校」への統合を控えている小学校だ。*出処:鬼生田小学校HP 「学校長より挨拶 」 「沿革史


市による通学路の合同点検は2回行われており、3箇所の危険箇所が指摘され、全て対策済みとなっている。*参考:郡山市HP 「通学路の合同点検(2013年8月9日 )(2014年10月30日 )」 「危険箇所図」 「対応一覧表」


...危険箇所は3箇所と、他の学校に比べ少なくなっているが、3箇所全て危険度はかなり高いと、今朝現況して思った。

3箇所は全て県道73号(二本松金谷)線で、「通学時間帯の激しい交通量」 「車両の過度なスピード」 「狭く保護柵(ガードレール)が無い歩行地帯」という悪条件が重なっている。

この場所を、子ども達は無言で列を乱すことなく通り抜けていた。県の事業として3か所の対策は済んでいることになっているが、この場所に立つと新たな対応が必要だと思わずにはいられなかった。それほど通学路としての危険度は高いと思った。


...通学路の状況。

県道73号線を南から北上(登校時の順路)。

危険箇所(番号3)。変則十字路。

『見通しが悪い』との指摘で、減速路面標示(破線)などの対策がなされている。路側帯の幅はほとんどないが、ここを子ども達は歩くようだ。

スピードを出しカーブに進入し、左折し鬼生田橋を渡る車両が多い。

まだ、右の市道から県道出て、すぐに左折、鬼生田橋に向かう車両も多い。


上の写真の先にある危険箇所(番号2)。

『歩道がない』との指摘で、区画線と減速の路面標示の対策がなされている。

子ども達は右側を歩いて登校する。

鬼生田橋を渡ってきた車両が左から県道に合流している。



上の写真の先にある危険箇所(番号1)付近。

『朝夕の交通量が多い』との指摘で、こちらも区画線と減速の路面標示の対策がなされている。

子ども達は右側を一列に、区画線の上を歩いて登校していた。

この班は、先頭と最後尾に二人の保護者の付き添いがあった。


しかし、次の班は、子ども達だけで登校。一年生の姿もあった。

表情は固く、黙々と歩いていた。

(反対側から撮影)

*前方に見えるガードレールが鬼生田橋に通じる道のもの。


子ども達は下の写真の右側を歩き、先の交差点(T字路)を目指す。

*通学時間帯前の県道73号線の様子。車両は少ない。


下校時には、反対側を歩くが、状況は変わらないという。


上の写真で子ども達の付き添いをされた保護者の方が帰る様子だが、下校時は同じ様に子ども達も通る。

保護者の方に話を聞くと、下校時は学年毎にまとまり、保護者の迎えを待ってこの道を通るという。

また冬場、雪が降っても基本的に徒歩通学で、車道にはみ出すことは常態化しているという。

雨の日の傘や風の日の帽子など、子ども達が車両と接触する可能性が高まる場合もあり、非常に危険な箇所となっている。



...県道と学校の前を通る市道がつながるT字路の様子。

子ども達は消えている横断歩道を渡ってから右折し、坂を上ってゆく。


右折後、歩いて行く道(市道)の歩道は広く、ここからは安全に歩くことができる。



...危険箇所には指摘されていないが、大網地区からやってくる子ども達も、危険な場所を登校する。

大網地区から坂を上り、頂上付近で歩道がなくなり、しばらく狭い路側帯が続く。


坂を下りきった場所にある金沢橋では、車道を歩くことになる。

交通量は多く、危険な箇所だ。

金沢橋を渡ると縁石のある歩道が整備されている。

ここまで来ると安全だ。この先は、上の写真にあるT字路になる。


...校舎の東側の通学路は、様相が一変する。

西田町を南北に貫く広域農道と県道73号線を結ぶ市道の交通量は多いが歩道は広く、その他の通学路も農道で安全であるように思えた。


【通学路25】高倉小学校

朝から強い日差し。まだ、ひんやりする空気を感じながら、今日は北の日和田町に向けてペダルをこいだ。今朝の現場は高倉小学校。


内環状線から冨久山の交差点を左折、旧4号線(奥州街道、県道355号線)を北上。


松尾芭蕉も通ったといわれる歴史ある道。立派な松の木がそれを知らせてくれる。

途中、安達太良の峰がうっすら見えた。

芭蕉も見たであろう、昔から変わらぬ眺め。偉人と同じ景色を共有できることは素晴らしい。

高倉地区に入ると、左手に福島県農業総業センターがある。

広大な農地を持った、立派な施設だ。

これから訪れる高倉小学校の子ども達も、ここを訪れる事があるという。

*参考:福島県農業総業センターHP(http://www.pref.fukushima.lg.jp/w4/nougyou-centre/


出発から約1時間、小高い山に抱かれた高倉小学校に到着。

一番高い場所にあるが、木々に囲まれて全容は見えない。

この山の南側に戦国時代に伊達政宗軍の軍事拠点となった高倉(松峰)城があったという事を考えると、要衝名に相応しい光景に思える。

校門に向かうと樹木に囲まれ、歴史ある学校学という印象を受けた。

高倉小学校は、1875(明治8)年に開校し、今年創立140周年を迎える。

市内の他の学校の多くが寺院の一角に設置されているが、高倉小学校は個人(高森氏)の家屋を借り受けて開かれたという。

現在の位置に校舎が移ったのが1995(明治28)年。以来120年間、この場所で高倉の子ども達は学び続けている。*出処:高倉小学校HP 「学校長からご挨拶 」 「沿革史


市による通学路の合同点検は2回行われており、4箇所の危険箇所が指摘されており、全て対策が施されている。*参考:郡山市HP 「通学路の合同点検(2013年12月24日 )(2014年10月23日 )」 「危険箇所図 」 「対策一覧表


通学路の現況をしてみて、驚いたのが奥州街道(県道355号(須賀川二本松)線)の交通量、車両スピード、そして歩道の狭さだ。

*県道355号線。子ども達は右側の歩道を通って学校に向かう。


反対側(本宮方面を背にして)の様子。

学校までの約300m区間は、歩道にガードレールが敷設されている。

この区間は危険箇所(番号1)に指摘されている。


上の写真の手前(児童が歩いて行く方向)にある信号の無い横断歩道。

危険箇所(番号4)に指摘されている。

市営住宅方面からやってくる子ども達の横断の安全を確保するため、校長先生と交通安全員が立哨・誘導されていた。

この道を往来する大型車両は少なくない。

左の路側帯を歩く児童もいるため、、ドライバーの思いやり(減速や徐行)が求められるが、現在対策されている減速標示以外の対策が求められる。

この横断歩道を全ての子ども達が通過すると、校長先生は集団登校の一番後ろに付き、次の立哨場所に移動。


校舎の北に位置する木の下交差点。危険箇所(番号2)に指摘されている。

矢印下が高倉小学校で、奥州街道(車両が見える)と市道(土棚高倉線)が交差する。

子ども達は二つ横断歩道を渡って学校に向かう。

校長先生は奥州街道側の横断歩道で立哨誘導していた。

縁石のある歩道が途絶え、路側帯を子ども達は歩くことになる。

危険箇所(番号3)に指摘されている。路面に減速標示の対策が施されている。

この場所を校長先生は車道側を歩き、子ども達と共に学校へと向かっていった。


上の交差点。奥州街道側の歩行者用信号に問題があった。

登校時の信号(左の赤丸)は見えるのだが、下校時には信号(右の赤丸)がほとんど見えないのだ。

矢印の先に、上記“右側”の信号があるが、生い茂った枝に阻まれ横断歩道からは見えない。

この件については、後日、警察で確認したいと思う。


他方、南側の通学路は農道になる。

子ども達の登校時間に来ることはできなかったが、通学路には標識が見られた。

校舎(矢印下)を目指し、この道を歩くことになる。田んぼに囲まれた通学路。私も同じような道を歩き小学校に通っていたため、懐かしさを感じ、気持ちが落ち着いた。


【通学路24】高野小学校

今日から6月。朝から青空が広がり、少し冷気を含んだ空気が気持ち良かった。梅雨の足音は聞こえてこない。


今朝は、内環状線を西へ、国道288号線に入り、西田町に向けペダルをこいだ。叔母の住む、なじみある町だ。

今日は町の最北に位置する高野小学校。


改正道路交通法が施工され、自転車の危険運転の取り締まりが今日から強化される。より、安全な運転を心掛けた。


国道288号線から広域農道に入り、今度は北上。磐越自動車道の“眼鏡橋”を潜り抜けた。


三町目の交差点を左折し県道三春日和田線に入り、出発から約1時間、ようやく高野小学校の学区に入る。

高野小学校に到着。三春町に抜ける市道(万才光内大関線)の脇に校舎はある。

高野小学校は1873(明治6)年に開校、創立142年を迎える歴史ある学校だ。

学区は校舎のある丹伊田、デコ屋敷のある高柴、そして板橋と土棚となっている。今年7名の一年生を迎え、全校児童は48名。*出処:高野小学校 「学校長よりご挨拶 」 「沿革史


市による通学路の合同点検は2回行われ、5箇所の危険箇所が指摘されている。*参考:郡山市HP 「通学路の合同点検(2013年12月19日 ) (2014年10月30日 )」 「危険箇所図 」 「対策一覧表 写真 )」


現場を見て、一番の特徴と感じたのが「保護者による送り届けと集団登校」。


主に学校より西側に住む子ども達が保護者の車で送られてきて、そこから集団登校している。

集合場所は西田公民館高野分館の脇の空き地。保護者の方々は比較的広い分館の駐車スペースで子ども達を次々と降ろしていった。

子ども達は、下の写真の砂利(100㎡を超える広い空地)から、前方にある学校(矢印)に向かう。

この交差点は、危険箇所(番号1)と指摘されている。

信号は交差する県道28号(本宮三春)線にだけ設置されており、歩行者用の押しボタンで信号が変わるようになっている。「歩行者溜り」の整備が対策として検討されている。

この県道を三春方面から歩いてくる子もいる。大型車両が通過する狭い路側帯を歩くこの県道側の対策も対策が必要だと思った。


子ども達は緩やかな坂道となっている市道を500mほど歩くが、縁石は途中までで、後半からは樹脂製のポールが車道と路側帯を区分している。



校舎前の横断歩道は危険箇所(番号5)として指摘されている。

今朝は校長先生と保護者の方(2名)が立哨誘導されていた。

この道路は市道ではあるが、三春町との往来というこもあり登校時間の交通量は多かった。

また、この横断歩道が緩やかな坂道の途上にあるため、東西のカーブとも合わせ、危険な場所で3名の方が誘導される事に納得した。

市の資料(危険箇所図)では『冬場雪のため歩道の確保が難しい』とあるため、次は雪の時期に訪れて、現況を確認したいと思う。


上の写真の、学校を超えた三春寄りの場所の様子。

市道であるが道幅が広くスピードを出してしまうのだろう。

この500m先、ゆるやかなカーブを抜けた所に、学校前の横断歩道がある。


...学区西側と異なり、北側は広くはない。子ども達は集団登校していた。

細い道で、坂道となっている。この先の見通しの悪いカーブが危険箇所(番号4)に指摘されている。

路面には“交差点注意”という標示が昨年施されたという。交通量はさほど多くないが、道の規模の割には多いと感じた。地元の方が通勤で利用されるのだろう。


上の写真の先、急カーブの頂にある交差点。

右側の路側帯を歩いてきた子ども達は、この交差点を渡り、左に鋭角に曲がり、坂を下ってゆく。

ここには保護者の方が立哨誘導するようになっており、横断歩道の無い道の横断をサポートしていた。


上の交差点を渡った後に歩く道は、学校までほとんど車が通らない。子ども達は左側を元気に歩いていた。


その他の危険箇所。

危険箇所(番号2)。高野郵便局付近、県道28号線の交差点だ。
見通しの全くない路地(矢印の方向)から『車が飛び出す』と危険が指摘されている。

県の事業により「(減速)路面標示」などの対策がされている。

子ども達を送迎する車両が危険に合わぬよう、路地目の前にカーブミラーが設置が必要ではないかと感じた。


危険箇所(番号3)。石田の市道と市道の交差点。

現在この付近から歩いて登校する高野小学校生はいないという事だが、すぐそばにある西田中学校の通学路でも危険箇所として指摘されている。

市の事業により「交差点のカラー舗装」が対策として施されている。


...土棚字中野の坂の上、ほぼ中央に駅前のビッグアイが見えた。

ここまではっきりしたランドマークは、なかなか見られない。




*参考

◆福島民報 2014年11月26日付け紙面より

今日、訪れた高野小学校は、西田町の他の小学校と同じく、2018(平成30)年に閉校され、市内二校目の小中一貫校「西田小・中学校」として生まれ変わる予定になっている。

現在の小学3年生は、“西田小・中学校”の第一回卒業生となるため、各校では統合や一貫教育に向けた具体的な準備が進んでいると聞く。

先行する湖南小・中学校の事例を参考に、子ども達の「知力・体力・胆力」が磨かれる素晴らしい学校になってほしいと強く願う。


...西田中学校全景。この敷地内で小学校が併設される予定だ。

中学校のそばの丘からは安達太良の峰々が見えた。