熱闘! 政治家への道 ~元高校球児の夢~ -198ページ目

仙台市若林区、南相馬市、二本松市

東北の“首都”・仙台も被災地です。

新幹線、ほとんどのJR線が不通で、出張者や観光客で賑わう仙台駅、一番街、国分町も、今日は人がまばらでした。コンビニにはほとんど品物が無く、全棚の2割程度で営業しており、ガソリンスタンドも前日から車を置いて並び、\4,000分(レギュラー25L)だけの給油でした。


東北人にとって仙台はリーダーです。リーダーに元気がなければ、東北の復興の歩みは遅くなります。

新幹線(鉄道)と空港の復旧で、人の流れが活発となり、仙台が一日でも早く元気になる事を願うばかりです。


・ ・ ・

仙台市若林区。市の中心から車で20分、風景が一変します。

区の入口にあるコンビニは、商品棚の9割以上が空で、雑誌と僅かな飲料しか売られていませんでした。


荒浜地区。津波の被害が内陸に及んだ場所です。

友人の工場の従業員の方が、津波の被害に遭われました。

田園風景の面影はなく、多くの泥と壊れ重なった車が放置されていました。





・ ・ ・

福島に移動。市の南部が福島第一原子力発電所の30km圏内にかかる南相馬市を訪れました。

街中は原発事故の影響で、出歩く人影はなく、全ての商店が店を閉ざしていました。浜側は津波で広い範囲が荒らされており、遠く原町火力発電所まで、何も遺されていない状況でした。

市の避難所は二箇所。そのうちの原町第一小学校を訪れ、救援物資を届けました。

市の職員の状況を聞くと、家が残った市民の状況が厳しく、ほとんど物資が届かず苦しい状況になっているとのことでした。原発事故と重なり、物流の状況は思ったほど改善されていない状況です。

この「避難所よりも自宅が困窮」という状況は、全ての避難所に聞かれることで、“家が残ったから”と避難所に物資を分けてもらう事を自重し、苦しい思いをしています。





・ ・ ・

南相馬から、二本松市を目指しました。

二本松市には、原発近くにある浪江町(Wiki )が、廃校となった針道小学校に集団避難していました。

町役場機能は二本松市役所にあり、今日の避難所には数名の町職員と二本松市から1名の保育士がいました。




.

*追記(2014年4月28日)

福島民報 2014年4月28日付け 紙面より

...『満開を迎えた菜の花畑の迷路づくり』。約3年後の南相馬市原町・萱浜地区の様子を伝える記事。

津波で家族を亡くした地元の方とボランティア団体「福興浜団」の約30人が、このゴールデンウィークに多くの子ども達を迎えるために作業。『花を見て笑顔にならない人はいない』。この三年の時間とこの菜の花の美しさ、そしてこの言葉。考え想うことが多いです。

石巻、女川

被災地、石巻市(Wiki )に入りました。

友人が、間一髪難を逃れた街です。


街の中心部は泥に覆われ、土煙りが舞っていました。

あちこちに車の残骸が放置され、瓦礫とゴミの山が道の脇に連なっていました。

市民は、リュックサックを背負い、長靴をはき、マスク姿で街中を行き交っていました。断水のため自衛隊の給水車に並ぶ多くの姿も見られました。

熱闘! 政治家への道 ~元高校球児の夢~
熱闘! 政治家への道 ~元高校球児の夢~
・ ・ ・

女川町(Wiki )。町の経済を支える港では主要な施設が破壊されており、JR女川駅は跡かたもなく無くなっていました。列車も遠く内陸に流されており、町一面が瓦礫の山となっていました。町の両脇にある崖には、ビル5階の高さにゴミがまとわりついており、津波の威力を見せ付けていました。


360度の津波の爪痕、私は経験した事のない絶望感を感じました。優雅に啼き続けるウミネコを恨めしくさえ思いました。2年前に訪れた、のどかな女川の町は“消滅”してしまったと言わざるを得ないほどの姿になっていました。

熱闘! 政治家への道 ~元高校球児の夢~

熱闘! 政治家への道 ~元高校球児の夢~
熱闘! 政治家への道 ~元高校球児の夢~
・ ・ ・

石巻市雄勝地区(Wiki )。残っているのは中学校と小学校、ありとあらゆる建物が津波にのみ込まれ、はるか山の方まで瓦礫の山が続いていました。自衛隊をはじめ、重機は少なく、復興の道のりが遠く感じられました。

避難所からこられたであろう住民の方が、瓦礫の前に佇んでいる姿を見て、私は、はからずも頭を深々と下げていました。

熱闘! 政治家への道 ~元高校球児の夢~
熱闘! 政治家への道 ~元高校球児の夢~

・ ・ ・

北上川の河口付近(石巻市針岡)では、堤防沿いの県道30号線が壊され、延々と鉄板が敷き詰められていました。

内陸の海水は引かず、家が水の中に、ぽつんと残っていました。

海に注ぐ川沿いの被害も甚大です。川を逆流した津波の威力を、まざまざと見せつけられました。

熱闘! 政治家への道 ~元高校球児の夢~
熱闘! 政治家への道 ~元高校球児の夢~

.

以上


.

.

.

*追記(2012年3月10日)

毎日新聞公民館屋上乗り上げのバス撤去 石巻 (2012年3月10日)
 宮城県石巻市雄勝(おがつ)町で、高さ約7メートルの公民館屋上に乗り上げた大型観光バスが10日、撤去された。東日本大震災の津波で押し流され、そのままになっていたが、震災1年を前にクレーンでつり下ろした。公民館とともに解体する。地元の震災復興まちづくり協議会副会長、高橋頼雄さん(44)は「あれで震災を思い出す人が多く、早い撤去を望んでいた。区切りになった」と話した。
 雄勝は入り組んだ細長い湾沿いの町。威力を増した津波は市街地を壊滅させた。2階建ての公民館屋上に乗り上げたバスは震災当時は無人で、約500メートル離れたバス会社の車庫に止まっていた。
 市には津波の恐ろしさを後世に伝える「モニュメント」として保存を求める意見も寄せられた。しかし維持には相当な費用がかかる。住民の多くも「心の重しを早く取り除いてほしい」と望んだ。
 震災の記憶をとどめる建造物の扱いを巡っては県内の近隣自治体も頭を悩ませてきた。
 南三陸町では多くの人が亡くなった防災対策庁舎の保存論が浮上したが、遺族が反対し解体に決まった。女川町では、横倒しになった三つの鉄筋コンクリート造りの建物を候補に保存のための寄付を呼びかけるが、町は「もう見たくないという町民の声も無視できない」。保存か解体か、結論は出ていない。(西浦久雄)

熱闘! 政治家への道 ~元高校球児の夢~















.

*追記(2013年8月26日)

福島民報 2013年8月26日付紙面より

熱闘! 政治家への道 ~元高校球児の夢~
.

*追記(2013年12月7日)

毎日新聞 2013年12月7日付け紙面より

...女川中学校が「ぼうさい甲子園(1.17防災未来賞) 」のグランプリに。

町内21カ所に「女川いのちの石碑 」を建立し、教訓を後世に伝えようとしています。

先日、クローズアップ現代でも取り上げられた。『自分の悲しみは癒えないが、震災の教訓を伝え残したい』と真摯に語る中学生の姿が印象的でした。
熱闘! 政治家への道 ~元高校球児の夢~


.

*追記(2014年2月26日)

福島民報 2014年2月26日付け 紙面より

...「いのちの碑」は既に三基されているようです。確実な歩みが素晴らしい! この記事はユニセフのアンソニー事務局長が石碑建立を主導している女川中学校の生徒を訪問した様子を伝えています。



被災地へ

私は、明日から被災地に行く事を決めました。


福島県二本松市にある実家が被災し、県の浜通りは津波で大きな被害を受け、原発事故では放射線の恐怖に多くの県民が怯えています。


宮城や岩手にも友人・知人が多く、報道を通じて目に耳にする惨状は、我が身に起こっている事のように感じています。



私は「3.11」以降、政治家の行動を注視し、この大震災で政治に何ができるかを考えてきました。


4月10日に、選挙が予定通り行われる以上、ここで考えた事を有権者に訴えなければならないと思いましたが、何か足りないものを感じていました。


“現場を知らない”


これは、私にとって致命的でした。



だから、私は被災地に行く事を決めました。


埼玉県議会議員選挙の告示まで1週間を切り、地元を離れる事に周囲は反対しています。

1日2日で現場の何が分かる、との意見もありました。


しかし、私は現場でしか体感できない感覚がある、有権者に伝えなければならない何かがある、と確信しています。



いってきます。