熱闘! 政治家への道 ~元高校球児の夢~ -170ページ目

被災地再訪記録(石巻市内~女川駅周辺~石巻市雄勝地区~新北上川大橋)

今日、被災地・石巻市と女川町を訪れました。

約半年振りの訪問です。


あの時(3月28日)は、県議選告示日を3日後に控えながらも、気持ちを抑えられずに向かいました。

この選択は間違っていなかったと、今でも思っています。


そして今回。

「3.11」からの半年後の現場を直接目にするためにやってきました。百聞は一見に如かず...「3.11」を我が身の血肉とするため、私には必要な行動だと思っています。

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石巻にはいわき市から、JRを乗り継ぎやってきました。


石巻駅には、人が戻っており、駅前には路線バスが乗り入れ、タクシーも列をなしていました。

駅からレンタカー屋まで市街地を歩きましたが、歩道の亀裂の段差、閉ざされた商店などところどころに爪痕が残っていましたが、車や人が行き交い生活感が感じられました。


*コンビニの様子:上段が3月28日、下段が今日(9月5日)。以下の写真も同じです。

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そして、車に乗り込み石巻市街と抜け、国道398号線(女川街道)を走り、女川町を目指しました。

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“復旧”が進む市街地に比べ、郊外のその歩みは遅いようで、前回と同じ様な景色が広がっていました。

傾いた家屋がそのままの姿で残り、鉄骨がむき出しのままの店舗も複数ありました。

大手スーパー・ヨークベニマルは閉じられたままで、生活者の息吹が感じられません。

そんな中、国道沿いのほとんどのコンビニが再開しており、買い物客で賑わっていました。改めて、コンビニが“社会インフラ”として重要な位置にあると痛感しました。



石巻市から女川町までは、未だ復旧の見通しが立っていない、赤錆びたJR石巻線(石巻~女川)添いを走り、途中、女川原発から伸びる送電線を右手に見ることもありました。


女川町に入ると、当時両側に残った瓦礫や倒壊した家屋はきれいに片付けられ、跡地には雑草が伸びていました。

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女川駅周辺は、瓦礫は取り除かれていたものの、横倒しになった建物が複数残り、全く人気はなく、曇り空とあいまって、言い知れぬ寂しさを感じました。

*女川駅:レールは取り除かれ、ホームであったコンクリート塊と車両止めが、名残として残っています。
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*女川魚市場周辺:瓦礫の持ち込み場となっていました。 *上段:3月28日、下段:9月5日
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女川を抜け、右手に女川湾、御前湾、雄勝湾を臨みながら、国道398号線を北上し、石巻市雄勝地区を目指しました。


雄勝地区は、鋭角な雄勝湾の頂点に位置しているため、津波が川を遡上し、壊滅的な被害を受けました。

半年を経てもなお、図書館に乗り上げる観光バスの姿がありました。

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*雄勝小学校前の国道398線:瓦礫は除かれ、コンクリートの基礎が沿道に取り残されていました。*上段:3月28日、下段:9月5日
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再び、国道398号線を北上し、新北上大橋を目指しました。この橋は、74名の死者・行方不明者を出した大川小学校の直ぐそばにあります。

この東北屈指の大河である北上川にも津波は遡上し、河口から4Kmほど離れたこの付近をのみ込みました。

現場の水は引き、雑草が生い茂り、破壊された堤防と側道も復旧していましたが、車だけが行き交う人の温もりが感じられない“荒野”でした。


*浸水被害を受けた針岡、小谷地付近 *上段:3月28日、下段:9月5日

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*復旧した北上川堤防と県道30号線 *上段:3月28日、下段:9月5日
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ここで被害を受けた現場を離れ、私は仙台市内に向かいました。

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今日、半年後の被災地を見て回り、私は「3.11」災害(特に津波)の広範におよぶ被害の甚大さを改めて痛感し、復旧さえままならない現場の実態を突きつけられました。


復興までの道のりは、間違いなく長くなります。


“同じ津波被害を受けないため”の、新たな街づくり計画が各地で作られていますが、強制移住など一筋縄でいかない問題があり、完成には時間が掛かっているようです。

*参考:熱論・復興計画(12)石巻市/骨子案、8月中にも集約 (河北新報 2011年8月11日)



街にはそれぞれの顔があり、3.11被害の状況も、復旧させる優先順位も自治体毎に異なります。


従って、復興のカギは「権限と財源」をどれだけ基礎自治体である市町村に落とせるかだと思います。


間違いなく、国(霞が関)主導でこの復興事業を推し進めるのであれば、いつまでたっても終わらない、(住民が)満足できない、不幸な結果になってしまうと私は考えています。

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3.11は終わっていません。



*参考

◆石巻市 「石巻市震災復興基本計画の策定に向けて」 http://www.city.ishinomaki.lg.jp/reconst/re_const.jsp

◆女川町・復興計画ホームページ http://www.town.onagawa.miyagi.jp/hukkou/index.html

◆宮城県 企画部 震災復興政策課 http://www.pref.miyagi.jp/seisaku/index.htm

◆ 「東日本大震災による鉄道災害の復旧・復興に関する緊急要望」(PDF)

 (仙台市・石巻市・塩竈市・多賀城市・東松島市・松島町・女川町/2011年8月25日)

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以上



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*追記(2012年2月7日)

共同通信石巻市が公民館屋上のバス撤去へ (2012年2月7日)
 宮城県石巻市は7日、東日本大震災の津波で同市雄勝町の公民館の屋上に流され、そのままになっている大型バスを3月10日に撤去すると明らかにした。
 バスを所有する「南三陸観光バス」によると、バスは雄勝町内の駐車場で被災し、約200メートル離れた公民館の屋上(高さ約10メートル)に流された。...(以下、省略)

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*追記(2013年9月18日)

福島民報 紙面より

・2013年8月26日付け

石巻市長面・尾崎両地区で復旧。福島県内の旧警戒区域以外、管内の停電が解消したとのこと。
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・2013年9月18日付け

...石巻市の私立日和幼稚園の送迎バスに乗っていた園児5人が津波の犠牲になった問題で、犠牲者遺族が賠償を求めた訴訟で、初めて判決が下された事を伝える記事。

判決理由「最大震度6弱の揺れが3分間も続いており、巨大な津波に襲わるかもしれないと容易に予想できた」
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*追記(2014年1月14日)

福島民報 2014年1月14日付け 紙面より

...2012年9月から毎日運行し、岩手・宮城両県の18万4千トンものガレキを運搬したとの事(鉄道運搬合計)。このコンテナ車のおかげもあって、両県のガレキ処理は3月末までに終了予定。しかし、福島県のガレキ処理は予定よりも遅れていると伝える。



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*追記(2014年2月27日)  女川町 「七十七銀行」

毎日新聞 2012年3月29日付け 紙面より

...12人が犠牲(死者、行方不明者)。遺族と銀行側のやりとりを伝える記事。


朝日新聞 2013年6月7日付け 紙面より

...担当裁判官の現地視察。多くの人が助かった高台までは歩いて「3分10秒」。


福島民報 2014年2月26日付け 紙面より

...遺族が起こした損害賠償訴訟の一審判決。『余震が頻発する緊張した状況で、屋上に避難するとの支店長の判断が不適切だったとは言えない』(高木裁判長)。



野田内閣 発足

1993年、大学2年の時に“日本新党ブーム”が起こりました。

6月に東京都議会選挙、7月に衆議院議員選挙があり、私は二つの選挙で日本新党から公認と受けた学生寮の先輩と、学生寮を運営する団体の職員の選挙応援をしました。


あれから18年。


この時、日本新党から立候補し衆議院議員に当選した政治家が、内閣総理大臣になりました。

そして、この日本新党の中心となった松下政経塾出身者が、初めて日本の政治のトップに登りました。

時事通信社 「野田内閣発足」 (2011年9月2日)


感慨深い出来事です。


日本新党・細川党首を首班とする連立内閣発足から、村山内閣、自公連立政権、そして民主党単独政権という流れの中、この野田内閣の発足で“戦後初の政権交代”の歴史がようやく完結した感があります。



野田首相と閣僚。どんな政治をするのか、期待したいと思います。



ちなみに、前述の「職員」とは、今回官房長官になった藤村修さんです。

広島大学自動車部で交通遺児の支援活動に奔走された藤村さん。政治を志した時の初心を忘れることなく、内閣の要として、奮起してもらいたいと思います。

また、同時に代議士となった(故)山本孝史さんの意志を継いでほしいと願います。


*参考記事

◆毎日新聞

・ 「野田内閣:発足 政策難題、どう解決(その1)」 (2011年9月3日)

・ 「野田内閣:融和に配慮、調整型 国対委員長経験6人」 (2011年9月3日)

・ 「藤村次期官房長官:日本新党「三羽ガラス」の論客」  (2011年9月1日)

以上

去るもの来るもの...テスコとリッツ・カールトン

去るもの

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英テスコ、日本市場から撤退 他のアジア地域に力 (2011年9月1日 朝日新聞
英スーパー最大手のテスコは31日、日本市場から撤退すると発表した。首都圏で129店を運営していた事業を売却する。...(以下、省略)

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来るもの

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外資系ホテル続々 顧客争奪戦激化 リッツは沖縄で来年4月開業 (SankeiBiz 2011年9月1日)
外資系高級ホテルの日本進出が加速している。米ザ・リッツ・カールトン・ホテルカンパニーが来年4月、沖縄で開業するほか、...(以下、省略)

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一時期、怒涛のように日本に進出した外資系スーパー。

世界第二位のカルフール(仏)は「食品など細やかな品揃えが求められる日本の“特殊性”に苦しんで利益が出ず」(朝日新聞)、2005年に撤退。

世界首位のウォルマート(米)も西友を子会社化したものの、苦戦を強いられている状況です。

そして、今回世界三位のテスコ(英)が撤退します。


この“外資の攻め”は、日本の小売各社に多くを学ばせ、終焉した感があります。



方や、外資系ホテルの攻めは、日本の顧客に受け入れられ成功しているようです。日本を訪れるアジアからの観光客までをも取り込む戦略で、勢いは増すばかりのようです。



失敗したスーパーと成功しているホテルのこの事例は、このグローバル社会にあって、グローバルな価値観とローカルな価値観を持ち合わせることの必要性を再確認させてくれました。


以上