スカイツリー 開業 - 尾瀬 山開き - 東京電力
さきほど、東京スカイツリーが開業した。
東日本大震災での工事一時中断など、様々な困難を乗り越えて今日を迎えた事業者・東武鉄道、施工者・大林組をはじめ多くの関係者に敬意を表したいと思う。
一方、このスカイツリーから北へ約140km離れた「尾瀬国立公園」でも、山開きが行われた。
*詳細→尾瀬瀬桧枝岐村環境協会http://www.oze-info.jp/2012/052311.html
福島、新潟、群馬、栃木の4県にまたがる、2007年に日光国立公園から分離したもっとも若い国立公園だ。
電波塔(送信所)として、主にデジタル放送の電波を送るため安定した電力が必要な「東京スカイツリー」。その電力は東京電力から得る。
そして、敷地の4割が東京電力の所有物であるという「尾瀬国立公園」。
奇しくも、東京電力に関わる二つの施設が、今日“オープン”した。
デジタル放送本格時代突入を象徴する「スカイツリー」と、日本の電源開発史の一部を物語る「尾瀬」。
私達の生活を便利にし、これからもその生活の質を維持・向上させてゆく電力について、またまた考えさせられる日となった。
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*「スカイツリー」資料
◆東京スカイツリー(http://www.tokyo-skytree.jp/ )
(抜粋)
東京スカイツリーの大きな役割は地上デジタル放送の送信です。(中略)災害時には防災機能のタワーとしての役割も期待されています。
◆朝日新聞:首都圏で600M級の新タワー構想に合意 在京6局
(2003年12月17日)
NHKと在京民放5社は17日、地上デジタル放送の機能をより有効活用するため、現在電波を送信している東京タワーに代わる600メートル級の新タワー構想を推進することで合意したと発表した。...(以下、リンク参照)
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*「尾瀬」資料
◆東京電力(http://www.tepco.co.jp/oze/index-j.html )
・「尾瀬と東京電力の出会い 」
(抜粋)
(前略)尾瀬の豊富な水を発電に生かそうと(中略)1922年(大正11年)には関東水電が水利権(河川や湖沼の水を利用する権利)を取得しました。(中略)計画が実現しないまま、尾瀬は1951年(昭和26年)の東京電力設立時に、前身の会社から引き継がれたのです。(中略)現在、尾瀬国立公園全体の約4割、特別保護地区の約7割の土地を所有しています。
・「尾瀬をまもる取り組み 」
(抜粋)
東京電力では、群馬県内の所有地を中心に、約20kmの木道を敷設、維持管理しています。材料には、折れにくく水に強い国産のカラマツ材を使用していますが、湿原の中では10年前後で架け替えが必要となるため、毎年計画的に整備しています。
片づけボランティア参加・・・旧警戒区域・小高地区(南相馬市)
南相馬市小高地区。
先月16日、東京電力福島第一原子力発電所事故で設定された警戒区域が解除され、出入りが自由になった場所だ。
.ここには人手が必要だが、不足している。
.方々に散らばったゴミ、倒れたブロック壁、住居の床上・床下問わずあたり一面を覆い尽くした泥。
地震・津波と原発事故避難による放置で、現場は3.11直後に被災地で見られた風景が広がっていた。
人手がなければ、地域の復旧の前に、毎日仮設住宅から通われている多くの住民の方の心が折れてしまいそうなほどの状態だった。
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...今日私は、南相馬市の個人宅に「泥出し」ボランティアに行ってきた。
いわき市から国道399号線のう回路を利用。川内村、飯館村を抜けて行った。
約140km、3時間20分かけて南相馬市の仲町ボランティアセンターに到着した。
その後、手続きを済ませ、現場である小高地区のある地域に向かった。
現場の自宅脇の納屋の床には、一面に泥が堆積しており、厚さは約20cm。しかも、1年以上経っているせいか、泥は固まっていた。
さらに、泥の中には、茶碗や窓ガラスの破片などのゴミも混じっており、さらにさらに、“堆肥”のような発酵した臭いが鼻をついた。
この家のご主人を含め、男5名。3人が泥をスコップで一輪車に盛り、2人がそれを敷地の一角に捨てるという作業分担をし、15時には終わった。
(空間放射線量は0.22μSv/h)
ご主人は、区域再編(解除)後、同市鹿島区にある仮設住宅から一人で通い、家の中の片づけと周辺の泥出していたというが、一人では気が滅入ってしまう作業だ。
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この地区をはじめ、旧警戒区域で海側のエリアには、このような家屋がまだまた沢山あるという事だ。
*参考:国土地理院 「浸水範囲概況図(PDF) 」
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しかし、特に平日のボランティアの数は極端に少なく、今日も仲町ボランティアセンターは10名を下回る人員だった。
報道では、300名が必要だということだが...。
また、被災住民からの“ニーズ”も、全てひろいきれておらず、必要な人手は増えるものと思われる。
これから梅雨の季節、その後の猛暑が伴う夏。津波で海水やその他汚物を含んだゴミや泥は衛生面の問題を引き起こす可能性がある。
一日でも早い撤去が求められる。
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*資料
◆ボランティアセンター◆
①南相馬市仲町ボランティアセンター(ブログ )
〒975-0016
福島県南相馬市原町区仲町2-165
受付直通:0244-22-1803
携帯電話:090-6046-5976 (不在時・センター長 松本光雄)
ウェブサイト:http://v-home.net/
Twitter :V_HomE_NeT
*ご注意* 5月末日で閉鎖、6月1日から移転先(未定)で業務継続
②南相馬市生活復興ボランティアセンター(ブログ )
〒979-2334
福島県南相馬市鹿島区西町2-117
℡ :0244-46-1058
fax:0244-46-1550
時間:午前9時~午後5時
Mail:minamisoma.svc@gmail.com
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◆南相馬市へのアクセス◆
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◆ご注意◆
・ボランティア活動保険 :加入必須です。お近くの社会保険協議会などのご加入をお勧めします。
・上下水道:小高区など旧警戒区域では復旧していません。トイレは仮設があります。飲み水はご用意ください。
・作業着・軍手:ガラスの破片などゴミや泥に混在しているので、厚手のものをお勧めします。
・マスク:泥が多く残っているので、密着性・機密性の高いものが良いと思います。
・その他道具・装備:仲町ボランティアセンターには一通りそろっていました。長靴やヘルメットの貸出もありました。当該センターに事前にお問い合わせください。
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◆受付の流れ(今日の仲町ボランティアセンター)◆
①玄関正面にある受付で、名簿に「氏名」「住所」「電話番号」「日数」を記入
②ボランティア活動保健加入有無の確認を受ける
③ガムテープの“名札”に姓をカナで記入
④ヘルメットを借りる
⑥通行板(災害救援活動車両と表記)を受け取る。
⑤(途中参加なので)事前調査票のコピーを係員からもらい、自家用車で現場に移動(20分)
⑥現場到着。リーダーに挨拶をして、すぐ作業に加わる。
⑦作業終了。ボランティアセンターに戻り、通行板とヘルメットを返却し、リーダーに帰宅を告げ、終了。
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*参考記事
◆福島民報 2012年5月2日付け 紙面より
南相馬市小高地区に全国からボランティアが集まり、ガレキ撤去を行っていることを伝える記事。
◆毎日新聞 2012年5月11日付け 紙面より
南相馬市でガレキ撤去などをしてくれるボランティアが不足していることを伝える記事
*追記(2013年5月25日)
◆福島民報 2013年5月25日付け 紙面より
...「帰還」に必要なゴミの処理。大きな一歩。
『(住民側は)排ガス中のばいじん濃度を監視する濃度計の設置や焼却灰の放射性濃度の定期的な測定、施設周辺へのモニタリングポスト設置などを条件に認めた』
2006年「津波対策指摘」...政治家の責任
やはり、というべき記事だが、記事の枠がそれほど大きく無かった事は以外だった。
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◆福島民報:東電、福島原発の津波対策取らず 06年に保安院指摘後も(2012年5月16日)
東京電力は15日、経済産業省原子力安全・保安院から06年10月に、福島第1原発の津波対策を取るように指摘を受けながら「技術的な検討が必要」などとして、対策を取っていなかったことを明らかにした。 東電が昨年12月に公表した社内調査の中間報告では、この問題に言及していなかった。...(以下、省略)
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以下、記事の概要。
[福島民報 5月16日記事 概要]
契 機:2004年スマトラ沖地震(海外の原発に被害)
場 所:勉強会
時 期:2006年1月~7月
参加者:経済産業省原子力安全・保安院、東京電力など電力会社数社
内 容
・電源喪失・・・敷地より1m高い津波で全国ほとんどの原発で陥る恐れ
・福島第一・・・14mの津波で電源施設が機能喪失する可能性
結 果
・保安院・・・電源喪失への対応は求めず/福島第一に冷却用海水ポンプの追加対策要請
・東京電力・・・放置/2007年4月に対策を取ると保安院に回答するがメーカーと協議で終わる
その他(保安院からの指摘について)
・5月14日勝俣会長『(指摘文書は)社内の伝達ミスで経営陣に伝わらず』
→翌15日東電『指摘は口頭で、当時の原子力・立地本部長(武藤一郎氏)に伝わっていた』と訂正
これで、巨大津波により電源喪失は、一時は考えられた“想定内”の事態だったという事になる。
新たな費用負担を強いる対策を電力会社に求めなかった保安院のこの姿勢は、原子力発電を推進する経済産業省の傘下にあった弊害が出ている。
冷却用海水ポンプの追加設置対策要請を放置した東京電力の責任も重い。
何より、この重篤な結果(原発事故)に対して政治家の責任は一層重い。
“政治は結果責任”とは政治家ならば誰もが心得ているものだと思う。
原発事故という結果は責任を取る明確な理由だ。
政治家の出処進退は周りがどうこういう問題ではない。
2006年にこの問題に関わった、知りえた政治家は、潔く議員バッジを外して欲しい。


