選挙区より福島県民・県土のために動く福島県議
福島県議は“はま・なか・あいづ”全域の住民生活の安定と県土の発展を考え、議会・政治活動をすべきだと思います。選挙区だけを周り、選挙区だけの有権者に会っているような議員や候補者は適任ではなく、県土全域を回る体力の無い方や全域から情報を得られるような仕組みの無い方は失格だと思います。
県土が広大で横に長く、“はま・なか・あいづの個性的な地域性を持つ福島県民は、どかか他地域を他人事にようにとらえ、私が住む中通りからは『会津の事』『浜(通り)の事』と考えがちです。震災後は“同じ福島県民”という意識が増えたようですが、住民が多い郡山・福島、いわき、会津若松の距離も遠く、震災から時間が経つにつれて一体感は薄れ元に戻っているような気がします。
この一体感の欠如は、住民レベルでは止むを得ないと思いますが、福島県議はそうであってはなりません。郡山市選出の県議でも、会津の事、浜の事に関心を持ち、福島県のプレゼンスを向上させなければならないと私は考えてます。
東日本大震災で原子力災害を被り、福島県は、国内外から“福島県”という括りで見られる傾向が強くなりました。人口の急激な減少や、若者の流出という問題を抱える福島県の行政と政治は、特にこの“外からの見方”に対してしっかりと対応してゆかなければなりません。
“福島県の復興”と銘打って多大な交付金・補助金を搬出し続ける政府や、そのお金を税で支える国民、そして起業する街・工場を進出させる土地を探すビジネスパーソンに対して、『福島県は効果的にお金を使い、復旧・再生・復興を着実に進めている』『福島県で仕事をしても何ら問題はなく、むしろ利益になる』と思わせるためには、政治家である福島県議は、県全体の利益と未来の姿を考え動く必要があると私は思います。この動きは、福島県内の若者にも好影響を与え、地元に留まったり、大学卒業後のUターンにつながってゆくと私は考えています。私は福島県に戻り、福島第一原子力発電所で働きながら福島県議の動きを見ていた時、県全体は県知事に任せて各県議は選挙区中心の思惑で動いているという感覚を持ちました。2015年の県議選後は、郡山市選挙区選出の9人の県議を中心に議会質問やホームページを見てきましたが、その感覚は変わっていません。私は埼玉県議会議員選挙にも立候補した事があり、埼玉県議の動きを注視していたこともありますが、その時と同じ感覚、つまり県全体ではなく選挙区中心の言動が繰り返されていると感じました。このような昔ながらの動きでは、福島県議は務まらないと私は思います。
例えば、郡山市選挙区選出の議員ならば、経済や交通の中心として、市内に経済基盤や交通インフラを整備・強化することは福島県全体の利益になると議会で発言し、県内各都市に出向き政策の説明をするという動きが必要になっています。また、原子力災害による風評を払拭するために福島第一原子力発電所を訪れ現状を把握して情報発信する、郡山を経路とする観光客の流れを太く持続的なものにするため会津の観光強化に努めると言った動きも考えられます。
選挙区の事は市町村議に任せて、福島県民と県土全体のより良き生活・より良き姿を求め“はま・なか・あいづ”を駆け回り、議会活動を含めた政治活動をするのが、原子力災害を経た福島県議の姿だと私は考えています。
私は、その動きができるよう知見を蓄え、体力をつけてゆきます。
(以上)
私は、その動きができるよう知見を蓄え、体力をつけてゆきます。
(以上)
→根本潤ホームページ「30年の仕事」
URL: https://nemo-jun.amebaownd.com/
福島県の観光産業を牽引する「会津」の潜在力
会津若松市の鶴ヶ城を中心に行われた「絵ろうそくまつり」を見に行ってきました。
私は福島県の観光業は「会津」に観光産業を確立することによって、全体の底上げが図れると考えています。
会津地方は、福島県の西部にあり、新潟市や新潟県中越地方(魚沼市)、日光方面からもアクセスが可能ですが、大半の観光客は東北新幹線が通り、福島空港が位置する中通り、特に福島県の中心地である郡山市を経由しています。会津の観光産業が確立すれば、中通り→会津への観光客の大きな流れが生まれます。この“大動脈”に、創意工夫したアクションを起こす事で、県北・相双・いわき・県南の各地区へ人の流れが拡散し、“動脈”が生まれるのではないかと私は考えています。
高度情報時代下の観光地跋の現状では持続的な観光客の流れを作る事は容易ではなく、県内外の観光地は苦心しています。観光地の定番となり“大動脈”を作るというのは容易な事ではありませんが、会津地方にはその可能性があると私は考えています。その根拠が「保科正之公」「僧・徳一」「伝統工芸品」「水力エネルギー」「JR只見線」です。
(1)保科正之公
彼が居なかったら、江戸時代の徳川250年は無かった可能性があるほどの名臣であり、葦名-蒲生両氏によって基礎が作られた会津を大きく発展させた名君です。
正之公は徳川2代将軍・秀忠のご落胤で、3代家光を輔佐し、4代家綱の後見人として江戸幕府の草創期を陰で支えました。
彼は信濃高遠藩主から山形藩主を経て、“奥州の抑え”として会津に配され、江戸末期の革命である戊辰役で西郷隆盛が革命成就の標的を江戸から変更しても差し支えないと判断するほどの強藩となる礎を固めました。
これだけの功績を残しながら、正之公が幕府内で自らの存在を消す事を徹底したこともあり、その存在は周知されていません。彼の出自から政治家・行政官としての功績が世に広く知られれば、江戸(東京)と会津の関わり合いを含め、多くの人が関心を持ち会津を訪れる事になるだろうと私は思います。
彼が居なかったら、江戸時代の徳川250年は無かった可能性があるほどの名臣であり、葦名-蒲生両氏によって基礎が作られた会津を大きく発展させた名君です。
正之公は徳川2代将軍・秀忠のご落胤で、3代家光を輔佐し、4代家綱の後見人として江戸幕府の草創期を陰で支えました。
彼は信濃高遠藩主から山形藩主を経て、“奥州の抑え”として会津に配され、江戸末期の革命である戊辰役で西郷隆盛が革命成就の標的を江戸から変更しても差し支えないと判断するほどの強藩となる礎を固めました。
これだけの功績を残しながら、正之公が幕府内で自らの存在を消す事を徹底したこともあり、その存在は周知されていません。彼の出自から政治家・行政官としての功績が世に広く知られれば、江戸(東京)と会津の関わり合いを含め、多くの人が関心を持ち会津を訪れる事になるだろうと私は思います。
*参考:会津若松市戊辰150周年記念事業「保科正之」
(2)僧・徳一
南都六宗(奈良仏教)の法相宗の高僧で、興福寺や東大寺で学び名を上げた後に会津に赴き、仏教文化を東北地方で最も早く開いたと言われています。彼は、磐梯山の麓に築いた「慧日寺」を本拠とし、会津地方各地に寺を建立。徳一亡きあとも仏教文化は広がり、保科正之公が「三十三観音巡り」を国内(会津藩・御蔵入領内)に限定したことから仏教文化は成熟しました。このことから、会津地方には平安初期から中世、近世の寺院や仏像が数多く残り、2016(平成28)年に「会津の三十三観音めぐり~巡礼を通して観た往時の 会津の文化~」として日本遺産に登録されました。
また徳一は、平安仏教の雄である最澄(天台宗)と空海(真言宗)に本格的な論戦(往復書簡・書籍)を挑んだ僧としても有名で、この論戦で空海には認められ、最澄の命を削ったとも言われるほどの、知性と情熱を持った人でした。司馬遼太郎氏は彼を『論争べたな日本人のなかで、かれは奇蹟のような存在として歴史のなかで光芒を放ちつづけている』(「街道をゆく33」より)と評しています。
会津には、日本仏教史上でも指折りの高僧により開かれ、地元住民により受け継がれてきた仏教文化があります。もし、戊辰役で朝敵にならず、明治期に“会津”が抑え続けられなければ、奈良や京都、鎌倉と並び仏都として正当に評価され多くの参拝者や観光客を惹きつけていただろうと思わずにはいられません。
現存する著作が少ないと言われる徳一の功績を、福島県が中心となり公的にまとめ上げ、国内有数の仏都として国内外にアピールすれば、観光客の増加は間違いないと私は思います。
南都六宗(奈良仏教)の法相宗の高僧で、興福寺や東大寺で学び名を上げた後に会津に赴き、仏教文化を東北地方で最も早く開いたと言われています。彼は、磐梯山の麓に築いた「慧日寺」を本拠とし、会津地方各地に寺を建立。徳一亡きあとも仏教文化は広がり、保科正之公が「三十三観音巡り」を国内(会津藩・御蔵入領内)に限定したことから仏教文化は成熟しました。このことから、会津地方には平安初期から中世、近世の寺院や仏像が数多く残り、2016(平成28)年に「会津の三十三観音めぐり~巡礼を通して観た往時の 会津の文化~」として日本遺産に登録されました。
また徳一は、平安仏教の雄である最澄(天台宗)と空海(真言宗)に本格的な論戦(往復書簡・書籍)を挑んだ僧としても有名で、この論戦で空海には認められ、最澄の命を削ったとも言われるほどの、知性と情熱を持った人でした。司馬遼太郎氏は彼を『論争べたな日本人のなかで、かれは奇蹟のような存在として歴史のなかで光芒を放ちつづけている』(「街道をゆく33」より)と評しています。
会津には、日本仏教史上でも指折りの高僧により開かれ、地元住民により受け継がれてきた仏教文化があります。もし、戊辰役で朝敵にならず、明治期に“会津”が抑え続けられなければ、奈良や京都、鎌倉と並び仏都として正当に評価され多くの参拝者や観光客を惹きつけていただろうと思わずにはいられません。
現存する著作が少ないと言われる徳一の功績を、福島県が中心となり公的にまとめ上げ、国内有数の仏都として国内外にアピールすれば、観光客の増加は間違いないと私は思います。
(3)国(経済産業省)指定伝統工芸品
①会津塗は“四大漆器”の一つで、指定は2番目(現在は232品目)と早い。葦名時代に漆の植樹が奨励され、蒲生時代に産業として確立し、藩政(会津松平)時代に発展した。
②会津本郷焼は、東北で唯一、陶器(土)と磁器(石)両方を製造し、最古の焼き物でもある。蒲生時代に黒川城(現 鶴ヶ城)の屋根瓦に持ちられたのが始まりで、旧会津本郷町の瀬戸町通りを中心に窯が広がっている。
③奥会津編み組細工は、雪深くなる地域の冬の仕事として受け継がれてきた。ヒロロ細工、山ブドウ細工、マタタビ細工の3種類があり、材料の採取から製造まで全て手作業で行われている。 これら伝統工芸品は観光客が見て・触れて・実演でき、好評を得ています。もし、この工芸品が一箇所で楽しめる施設があれば、観光客は会津地方全体の文化の深さを実感し、生産地へ足を向ける動機が生まれる可能性が高まります。工芸品には土地と気候と人々の物語が詰まっています。観光客が、その物語に触れることで滞在時間やリピート率が上昇すると私は思います。
会津地方には、国指定の伝統工芸品が4種が集中しています。会津塗(会津若松市ほか)、会津本郷焼(会津美里町)、奥会津編み組細工(三島町)、奥会津昭和からむし織(昭和村)で、これは後述するJR只見線の沿線にも重なります。
②会津本郷焼は、東北で唯一、陶器(土)と磁器(石)両方を製造し、最古の焼き物でもある。蒲生時代に黒川城(現 鶴ヶ城)の屋根瓦に持ちられたのが始まりで、旧会津本郷町の瀬戸町通りを中心に窯が広がっている。
③奥会津編み組細工は、雪深くなる地域の冬の仕事として受け継がれてきた。ヒロロ細工、山ブドウ細工、マタタビ細工の3種類があり、材料の採取から製造まで全て手作業で行われている。
④奥会津昭和からむし織は2017(平成29)年に指定。本州唯一のからむし(苧麻、青苧)の生産地で、先に指定されていた小千谷縮・越後上布の原料となっていたが、昭和村でも織物の生産を目指した取り組みが行われている。
(4)水力エネルギー
戦後の電力需要の高まりで、首都圏に電気を送るために、只見川の電源開発が進められました。尾瀬に水源をもつ只見川は豊富な水量と水力発電に適した勾配があり、水量が国内第2位の奥只見ダム(電源開発㈱)、同3位の田子倉ダム(同)、ダム式水力発電出力(単体)で国内第1位の奥只見発電所、同2位の田子倉発電所を上流に抱えています。ここで作られた電力が戦後から高度成長期の首都圏を支えました。
只見川上には発電所は合計10基(電源開発㈱、東北電力㈱ともに5基)設置されています。他支流などには、最大46万kW出力の第二沼沢発電所(揚水式)や長大水路を持つ伊南川発電所、世界一のゴム堰ダムを持つ黒谷発電所などもあります。只見川を含む阿賀野川水系は国内第3位の包蔵水力を持ち、その能力を発揮しています(阿賀川に合流する日橋川には猪苗代第一~四までに発電所有り)。これらダム(発電所)ではツアーも企画されている所もあり、観光資源となっています。 *参考:会津若松市産業資産利活用推進協議会
今後、小水力発電の普及で、会津が水力発電をベースにエネルギー需要を“自給”できる地域になる可能性があります。この点は、観光というより教育・行政の価値があり、教育旅行や視察で交流人口を増やせます。
福島県には震災前まで10基の原子炉があったことで、会津からの水力エネルギーの存在は影に隠れていましたが、第二原発廃炉と「福島県再生可能エネルギー推進ビジョン」の推進で主役になり、その関連施設を“見たい・知りたい”と思う方が増えてくると私は思います。(5)JR只見線
会津若松と小出(新潟県魚沼市)を結ぶJR只見線は、国内屈指の沿線景観を持つ鉄道ですが、多くの“撮り鉄”に認められていたものの、観光路線というより生活路線として位置付けられ、利用客低迷と赤字ばかりがクローズアップされていました。「平成23年7月新潟福島豪雨」で鉄橋が破断されるなど一部区間(27.6km)が運休となった際、JR東日本は復旧を断念しバス路線転換を関係者に提案し続けました。ここで、福島県や沿線自治体は只見線を観光路線として積極的にPRすることを前提に復旧の交渉を勧め、JRを翻意させ、2021年度の全線再開通に向けて合意しました。
只見線は東北新幹線と上越新幹線の間に挟まれ、東京圏からの観光客が経路を組みやすい場所にあります。会津平野の田園と奥会津の大自然、上記ダムが作り出すダム湖の“水鏡”、そして伝統工芸品など、観光資源に恵まれた路線でもあります。なぜ、今まで観光列車を走らせ、食・宿・二次交通などを整備するなど、観光客目線の施策が行われてこなかったのが不思議に思えるほどの鉄路です。
鉄道を持つ観光地は限られます。しかも東京圏に近く、大自然と歴史・文化という観光資源がある只見線は、国内の観光地に比して大きなアドバンテージがあります。新潟県魚沼市を含めた、沿線8市町が一体となり、専用の観光列車を走らせ、食・宿・二次交通など観光客目線で10年計画で整備すれば、国内有数の観光路線となる事は間違いないと私は考えています。
只見線は東北新幹線と上越新幹線の間に挟まれ、東京圏からの観光客が経路を組みやすい場所にあります。会津平野の田園と奥会津の大自然、上記ダムが作り出すダム湖の“水鏡”、そして伝統工芸品など、観光資源に恵まれた路線でもあります。なぜ、今まで観光列車を走らせ、食・宿・二次交通などを整備するなど、観光客目線の施策が行われてこなかったのが不思議に思えるほどの鉄路です。
鉄道を持つ観光地は限られます。しかも東京圏に近く、大自然と歴史・文化という観光資源がある只見線は、国内の観光地に比して大きなアドバンテージがあります。新潟県魚沼市を含めた、沿線8市町が一体となり、専用の観光列車を走らせ、食・宿・二次交通など観光客目線で10年計画で整備すれば、国内有数の観光路線となる事は間違いないと私は考えています。
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この5点の観光資源を顕在化させ、多くの観光客を惹きつけるために、真っ先に解決しなければならない課題はJR磐越西線の複線化と指定席設定です。
磐越西線は単線であるため、上下線どちらかの支障が全体に影響します。特に冬期の積雪や暴風雪では大幅な遅延や運休が発生しています。これを解決するには複線化とポイント付近のシェルター設置が必要です。特に複線化は早急に立案し取り掛かる必要があると思います。郡山市内は住宅地を通るため、全線複線化は難しいかもしれませんが、会津側は長い区間の複線化が可能ではないかと思います。
また、磐越西線には、上野~会津若松を直接結ぶ特急「あいづ」や、新幹線開業後は指定席を持った列車が運行されていましたが、今では2両編成のワンマンカーが運行されるまでに合理化され、満員の車内で観光客が1時間を立ったまま移動するという状態も珍しくなくなっています。充実した旅の最後がこれでは、リピーターやインフルエンサーの確保もままならないと思います。
会津は自然豊かで四季を通して楽しめる場所でもあるので、常時全ての列車に指定席車両1両を連結し運行させるべきだと思います。JR東日本が難色を示すようであれば、福島県が費用負担してまでも運行させる必要性があり、そいの投資効果はあると私は考えます。
会津の観光産業は伸びしろがあります。福島県は、会津が持つ潜在力を認識し行政資源を集中投下し、育てるべきです。そこで東京圏からの“大動脈”が作られ、県全体へ人の流れを拡散させる仕掛けで、福島県全体の観光産業が活気づくのではないかと私は考えています。
(以上)
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→根本潤ホームページ「30年の仕事」
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只見線と福島県議
沿線の雪化粧を見たいと、JR只見線に乗ってきました。
この只見線には、福島県の中通りや浜通りの県民の乗車が欠かせず、乗車を促す福島県議の行動が必要だと私は考えています。
只見線は2011年、東日本大震災のあった年の夏に発生した「平成23年7月新潟福島豪雨」で只見川に掛かる橋が破断するなどし会津川口~只見間(27.6km)が長期運休に追い込まれました。JR管内有数の赤字路線であることからJR東日本は復旧に難色を示しました。そこで福島県は、国内初となる運休区間だけを公有民営する「上下分離方式」で運営することを表明し、JR東日本と2021年度中に復旧させること合意しました。改正鉄道軌道整備法が適用されれば、復旧費用の3分の1にあたる27億円を負担します。
注目すべきは、復旧後の施設維持管理費(運休前実績、約2億1千万)を福島県と会津地方17市町村で分担し、只見線が存続する限り、毎年、全額負担し続ける事です。
*参考:福島県 (只見線)「全線復旧にむけた検討」
この決断は、只見線が観光路線として可能性があり、沿線住民利用によって出ている赤字は、観光客利用の増加や宿泊やモノ・サービス購入による経済効果で減るであろうとの予測により行われました。
福島県は、日本海沿岸の雄大な景色を売りにして観光路線化し乗客増に結び付けたJR五能線(青森県~秋田県)の成功例に倣い、“山の只見線”として観光路線として認知され、観光客が乗客が増え、運営費(赤字補填)負担が減る事を目指しています。
*参考:福島県「只見線の利活用」 現在、台湾やタイ等のインバウンドが只見線の列車の乗客数を増やしていますが、観光路線化はまだ緒に就いたばかりです。
*参考:福島県 (只見線)「全線復旧にむけた検討」
この決断は、只見線が観光路線として可能性があり、沿線住民利用によって出ている赤字は、観光客利用の増加や宿泊やモノ・サービス購入による経済効果で減るであろうとの予測により行われました。
福島県は、日本海沿岸の雄大な景色を売りにして観光路線化し乗客増に結び付けたJR五能線(青森県~秋田県)の成功例に倣い、“山の只見線”として観光路線として認知され、観光客が乗客が増え、運営費(赤字補填)負担が減る事を目指しています。
*参考:福島県「只見線の利活用」
私は、運営費を間接的に負担する福島県民が只見線に乗車し、利用客のベースを引き上げる事が必要だと考えています。そこで、人口が多く、只見線沿線の奥会津から距離がある中通りと浜通りの県民が利用し、“Myレール”として四季の4回乗車する文化が創出されなければならないと私は思います。
文化の創出には、行政の持続的小さな積み上げも欠かせませんが、政治の力が重要です。只見線を支える県費を搬出する福島県の議員の役割はここにあります。
まずは、58人の福島県議は年4回只見線の乗車し、復旧区間である金山町と只見町を中心に降り立ち、モノ・サービスを購入する。そして、会津地方選出の10人を除く県議は、それぞれの支援者に只見線の利用を促したり、ツアーを企画したりする。さらには、それぞれの旅の様子をホームページやSNSで情報発信する。このような、福島県議の持続的な活動は各地域に広がり、県民の“Myレール”意識が高まり、只見線で四季を楽しむ文化が創られてゆくと思います。
この文化は、只見線の収支のベースを上げ、県費の負担を減らすとともに、福島県への県外観光客やインバウンドを増やし、会津地方の観光業を活気づかせるはずです。また、交流人口の増加は風評払拭にもつながってゆくでしょう。
(以上)
→根本潤ホームページ「30年の仕事」
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