郡山での生活のはじまり
引越しが終わり、よやく一息ついた。
高校卒業後に上京して以来22年振り住民票を福島県に戻し、今日から郡山市で生活を始めることになった。
二本松市に生まれ、清陵情報高校(須賀川市)に通った私にとって、郡山は身近な街だ。
小さい頃は、毎年5月5日「こどもの日」に母親に連れられ、兄弟4人でうすい百貨店(当時は1号館、2号館)に行きおもちゃを買ってもらい、開成山公園で弁当を食べた事は、今でも鮮明に覚えている。
高校時代は野球の道具を買い、交通遺児学生募金をうすい百貨店の前で行った。
西田町は伯母が住み、祖父母の出生地でもある。
中学と高校時代の恩師が住み、何より、高校時代の友人と野球部の仲間がいる。
明日からは、郡山市内を歩きまわり、街の特徴を把握し、郡山で暮らす方々の話を聞き、郡山に何が必要か、福島県の再生・復興の方策は何かを考えたい。
愛知県からの訪問者
『“福島”を見たい』
愛知県大府市の友人から話があり、ようやく昨日と今日で実現することができた。
昨日、いわき駅で友人K君と合流し、国道6号線を北上した。
まずは、腹ごしらえ。
二人で田舎そばを堪能した後、再び国道6号線を北上し、楢葉町と富岡町の町境に向った。

空きスペースにレンタカーと停め、二人で検問所付近まで歩いた。
警察官から『何をされに来ましたか?』と尋ねられ。『愛知を友人を案内しています』と答えた。
警察官からは『この先は行けませんので...』と言われ、複数の警察官に挨拶をした後、折り返し車に戻った。
昨日は朝から冷え込み、広野に入るとうっすらと雪が積もっていた。

近くの田んぼには黒いフレコンパックが置かれていた。
ここは米の実証栽培を行った田んぼで、フレコンの中が除去土なのか、実証栽培で使うものなのかは定かではなかったが、Kはこの光景を見て『大変やな』と言っていた。
楢葉からは、国道6号線を南へ戻り、再びいわき市に入った。
向った場所は久之浜。津波被害の大きかった場所だ。
Kは土台だけが残った一帯の光景を見て、驚き、目を見張っていた。
津波に耐えた防波堤は、嵩上げ工事予定で、この嵩上げレベルが木製の部材で明示されていた。
市内に戻り、Kを宿に送った。
夜は田町周辺で酒を呑み、旧交を温めた。
...今日は、いわき市内の南部を目指した。
最初に訪れたのが豊間・薄磯地区。
甚大な津波被害を受けた場所だ。
数々のコンクリートの土台と雑草の生い茂る空間に立ち、Kは言葉を失っていた。
豊間地区を離れ、ほど近い塩谷崎灯台を見上げる場所に行き太平洋を眺めた。
「いわき七浜」と呼ばれる美しい海岸線。
この美しい景色と被害を受けた場所の光景を目の前にして、Kは感慨深い表情をしていた。
海岸を離れ、レンタカーを南に向けた。これからは観光となる。
昼食は、途中にあったラーメン屋。二人でつけ麺を注文した。

昼食後、「奥州三関」の一つである勿来の関へ。私も初めて訪れた。
入り口に源義家像があった。堂々としたものだ。

しばらく、勿来の関公園を散策した後、湯本のスパリゾートハワイアンズに向かった。
Kが楽しみにしてた場所だ。
フラガールの活躍は愛知県にも知れ渡っているようで『絶対行きたい』とKは言っていた。 そのフラガールのショーの開始時間に合わせてやってきた。
*入口でKの写真を一枚
ポリネシアンショーの観客席はほとんど埋まっており、私とKは客席の上の方で鑑賞した。

私は約1年ぶりに見たが、この専用ステージは初めてということもあり、最初から最後まで釘付けになった。
隣りのKも、笑顔で躍動感あふれるショーを見つめていた。
ショーが終わり、今回の予定は全て消化。
いわき駅に向かう車中、Kは『来てよかった』と言っていた。
『(愛知に)帰ったら、周りに福島の事、伝える』とも。
福島の現状は、活字や映像では伝えきれない事がある。
一人でも多くの方々に福島に来て、県民の姿や思いに触れて欲しい、今回Kを案内して思った。




