熱闘! 政治家への道 ~元高校球児の夢~ -123ページ目

二年... 3.11

東日本大震災から2年。


福島民報の一面トップは、双葉町町長選挙の結果だった。


そこに「東日本大震災から2年/復興を加速しよう」、「県民15万4000人 今なお避難」と続いていた。


郡山市内の除染作業は続いている。



私は、作業中の14時46分に黙とうした。1分間はとれなかったが、犠牲者の冥福を祈った。


除染の着手住宅はまだ一部。これから作業は本格化する。


原子力災害からの復旧は容易ではなく、放射線は見えないだけに、様々な方々の思惑が交差し、目指す方向が定まらないという印象を受ける。


まだまだ、先は長い。


私は、今はこの復旧作業に就き、汗を流したいと思う。


...作業が終わり、自宅に戻ると、きれいな夕焼けが見えた。


改めて、東日本大震災の犠牲者の冥福を祈った。


「松屋」の牛丼

夕食。


牛丼チェーン店の松屋に行った。


久しぶりだった。



注文は私の定番、牛丼並盛と野菜サラダ。



食べながら思い出した。



この牛丼。


よく佐川急便のドライバー時代によく食べたと。



あの時。


10年間のサラリーマン生活を終え、放送大学で学びながら、選挙に向けての資金を貯めようと佐川急便に入社した。


三十を半ばを過ぎた体にきついところもあったが、当時の佐川急便は昔の佐川急便とは違っていた。先輩ドライバーに聞いても皆口をそろえて『今は楽になったよ』と言っていた。実際、給料はサラリーマン時代から下がった。


“佐川急便で夢を叶える資金を得る”は昔話になっていた。


今では笑い話だが、その当時は選挙資金どころの話ではなく、先行きどうしようかと悩んだ。


...そんな中で、池袋北口に近い松屋で牛丼を食べていた。昼食はいつも14時過ぎ。

午前中必着の商業便と時間帯指定の宅配、そしてその再配達などで、昼に食事をしたことはほとんどなかった。


色々と大変だったが、多くを学ばせてもらったもの事実。


松屋の牛丼には、佐川急便時代の思い出がのっかている。


Memo:長野県下条村の取り組み