ヤフーの記事で資生堂の福原義春名誉会長さんが亡くなられた事を知りました。
我が家はほんの少しですがご縁があり、忘れられない想い出を作って下さった方なのです。
(写真はネットからお借りしています)
母が亡くなったとき、一番下の妹は10歳でした。多感な中学生の頃はバスケットに夢中になって、私もお弁当作りを頑張ってにわかかーちゃんをしていました。
その頃ミュージカルのレミゼラブルが始まったのです。
私はもともとLIVEが好きで、バンドをやってコンテストに出たり、ライブハウスやコンサートに行っていたからか、映画やドラマよりも舞台が好きでした。佐渡島の鼓動も何回か聴きに行ってます。
そしてはまったのがミュージカル レミゼラブル。
これはお給料のほとんどを費やしたと言っても過言ではないくらい、毎週帝国劇場に通って、妹や弟、父の分もチケットを買って、ぜひ見て欲しい!!と連れ出したのです。(1万円位したのに買ってあげたいい姉 誰も言ってくれないから自分で言う)
弟はミュージカル鑑賞経験~で終わりましたが、妹は私よりはまりました。全部のキャストのバージョンを見比べるようなオタクになったんです。
なんのきっかけか後援をしていた資生堂にレミゼラブルとの出会いのような感想を応募したようです。
その内容がレミゼラブルのポスター(後援資生堂)のメントになって帝国劇場や新聞の広告にでかでか出たんですね。
ご招待券を頂き、私が一緒に観に行った覚えがあります。その時の写真を見ると妹は高校の制服を着ていますね。高校1年だったかも。
当時父はJALの乗務員をしていましたが、母が亡くなった後しばらくしてVIPの接遇になりました。乗務員だと何日も家を空けるようになり、子どもたちだけだと心配なので毎日帰ってこれる部署を希望したようです。
そして資生堂の福原社長(当時)がJALをご利用の際の担当になったのが父でした。
その時に父は資生堂が後援してくれたレミゼラブのおかげで、妻(私の母)が亡くなった後、子どもたちと共通の趣味になり、話題ができて家族が明るく過ごせたというような感謝の言葉を伝えたそうです。
そんなふうに役に立てたのが嬉しいと、福原社長さんはとても喜んで下さったそうです。
しばらくして妹宛に個人的にミュージカルのチケットを送ってくださいました。妹がお礼の手紙を書くと直筆でお返事が来て何度か手紙のやり取りをして頂きました。
私は「直子~資生堂の社長さんと文通してるなんてすごいね~~」と妹に言った覚えがあります。
またその後、父が空港で福原社長さんにお会いすると
「こちらが手紙の直子ちゃんのお父さんです」と秘書の方が紹介するんだ。(日本航空成田)支店長代理の佐藤さんじゃなくて、直子ちゃんのお父さんだぞ!!「直子ちゃん」で社長さんがわかるんだぞ!おまえすごいな~会社より上だ。と父が楽しそうに笑いながら話していたのを覚えています。
不朽の名作のレミゼラブルをミュージカルとして日本に定着させて下さった福原義春名誉会長さん。。
私たち家族にとっても忘れられない方です。本当にありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。