韓国の李王朝に日本人が嫁いだことをしっていますか?
その方は皇族の梨本宮方子(なしもとのみやまさこ)様です。
ガイドの時に話をしても若い世代は皇族はおろか天皇家といってもピンと来ないようですね。
私は以前ドキュメンタリーで方子様の生涯を見たことがあります。
祖母が天皇陛下のご尊影にお辞儀をしていた世代だったので、よく天皇家や皇族の話をしてくれました。そのおかげで関心があったようで、方子様のことがとても心に残りました。
現(平成)皇太子さまの教育係だった浜尾侍従長の「女の子の育て方」という本を読んだりしていました。
これは昭和3年の写真です。
方子様の旦那様は李王朝の皇太子でしたが…
王政が廃止されました。
独立運動があったりした反日の強い時代にどれだけ大変だったでしょうか。
方子様のドキュメンタリーの中で、自分が結婚するということを中学生の時に新聞の記事で見て衝撃を受けたと言われていたのを覚えていますが、これが政略結婚というものだったのでしょう。
日本で暮らされて、ご長男が生まれてから韓国に連れていらしたときのお写真です。
こんな格好で暮らすのは動きにくかっただろうな…トイレはどうしたんだろう。。。と私は下世話な心配ばかりしてしまいます。。高貴な生まれでなくてよかった。
このご長男晋殿下は生後9ヶ月で突然亡くなってしまいます。それも日本に帰る前日…
今でもご生家が昌徳宮にあります。
そこの日本語ガイドさんに「毒殺されたと聞きましたが本当ですか?」と聞いてみました。うわさはあるけど事実は闇のままなんだそうですね。
これが現代でいう家族写真↓ということでしょう。
長男は早くに亡くなり、次男はアメリカに留学して、最後は日本で2005年に亡くなります。
子どもがいなかったので李王朝の血筋は完全に断たれたわけです。(他のご兄弟もいるので血筋は残っているようですが方子様の血筋が途絶えてしまいました)
お宮を回るとわかると思いますが、門の入り口は真ん中の入り口を封鎖しています。
そこは王様だけがくぐれる王道だそうです。王様がいない今、そこを通れる人はいないので封鎖していると聞きました。
昌徳宮の日本語ガイドさんによると、次男の方のご遺体は韓国に戻ってこられ、最後の王になるべく方であったので、李王朝の王様として真ん中の入り口から入られ葬儀が行われたということでした。
今後永久にこの入り口が使われることはありません。
国立古宮博物館で李方子様のお写真を見るたびにこの話と王族をはく奪され、韓国にいることも許されずに在日韓国人として日本で過ごし、
今の朴大統領のお父さんが大統領になってから韓国に戻ることを許されたこと、
晩年、一市民として韓国の障害児のために多大なる奉仕活動をされて賞をいただいたことなどが思い出されます。
きっと初めての韓国・日本の国際結婚だったのではないかと思います。(私の思い込みですよ)
今の時期昌徳宮の後苑の秘苑も素敵ですから出かけてみてください。
無料日本語ガイドの時間を調べていかれるともっと深く知れると思いますよ。
このお写真は景福宮の左横にある国立古宮博物館にあり、方子様のご生家は昌徳宮にあります。