ニート→ドライブ -29ページ目

砂が熱く灼けていた

自分には体力がないと思いこんでいたのだけれど、本当は酷く体力がないのでした。


ちょっと前ならそんなこと自覚して家でじっとしていたのですがね、今は空き時間に魔が差し込んでくるせいで、止まると死んでしまうのじゃないかという恐怖が若干あり、

立ち止まっていられないなんて気概のあることいいたいけれど、実際は走り出すのが怖ろしくて、スローに前進するのが精一杯という状況です。

というわけで(どういうわけだか)自動車学校に入校してきました。

2時間近く受付のお姉さんの説明聞かされて、ちょっとかわいかったから我慢できたけど、よく見られたい愛想よくしなきゃいけないという浅はかな自尊心がせいで、余計に疲れるのでした。

しかも以前暑い思いしてわざわざとってきた住民票に本籍が記載されてないことがわかって、明日入校式の前に必ず持ってきてくださいと念を押されて恥ずかしいし。

あれだけ確認したつもりなのに、どうして肝心なところ抜けるかなぁ、自分。
テストで答えを一問ずつずれて書いてしまって0点だった悪夢を思い出します。
まったく経験が生かされないという自分にもうんざりですね。


で、そのあとは最後のお盆休みを利用して八景島の海の公園に寝そべりに行ったお父ちゃんを迎えに行ったのでした。
一人でなぜそんなことするのか自分には理解できないんだけど、ほぼ毎年行っているので好きなのだろうとしかわかりません。
僕は一人で海行って日焼けして帰ってくるなんて考えられないんだけど。DNAの違いなのかなんなのか。


─────世間的にお盆は終了ということで家族連れや学生さんがちょっといるだけでビーチはがらがらでしたね。
少ない客に多すぎるだろう監視員がヒマそうだし、海の家のバイト達がヒマすぎてだれて仲間内で遊んでるし。
若いお母さんたちの水着姿が目の保養になったけど、十数年ぶりの海は暑かったなあ。

ちょっぴりテンション上がって上半身だけ(当たり前)裸になって、サンダル脱いで砂浜に下りたら足の裏やけどしました。
砂ってあんなに熱かったっけ?
海まで20メートルもない距離を走っていけば熱くないと思って走ってはみたけど、半分のところで諦めて戻りましたね。

買ったばかりのミネラルウォーター、もったいないと非難の声を背中に浴びながら、足の裏にかけて冷やしました。が、結局水ぶくれになりましたとさ。


明日は入校式とそのあと3時間ぐらい学校にいなきゃいけなくて今から緊張しっぱなし。
大丈夫なのかなあ。行けるかなあ。

最初で最後の恋愛

最大の後悔は「わたしのどこが好き?」と聞かれて「全部」としか答えられなかったおのれの浅はかさです。

「全部」という答えが全てを言い当てていると当時の僕は思いこんでいたわけですね。


────ここから書かなければ始まらないので、子供の頃の話です。
僕はレッテルを貼り付けられるのがいやだったように思うんですね。だから天の邪鬼な事ばかりしていました。
共働きの両親のもと祖母や近所の互助会のような付き合いの人々に見守られ、弟ができると母親の愛情を独り占めしたくて弟を虐めてみたり、小学校に上がった頃には友達を集めてゲームをしたり外で遊んだり、週末はソフトボールチームで練習したり試合したりと、たぶん誰でもが似たようなことをして似たように育ってきたと思うし、多くと変わらない平凡な子供だったように思います。
それでも「あの子はこうである」といわれたくなかったのかもしれない。そんな気がするのです。

傍目には活発でリーダーシップがあり勉強もスポーツもそつなくこなすような、平均的な良い子に見えていたことでしょう。しかし僕の中で中学生の学生生活には多大なストレスを感じていました。しかもその頃には両親とも上手くコミュニケートできないでいたので精神的に引きこもっていた僕は、実際の生活でも13歳から家にこもりはじめました。

完全なるヒキコモリだったんだけれども親の姿勢は基本放任で最初の頃こそ学校へ行けと口酸っぱく言っていたけれど、半年も天袋と部屋の間をこそこそ隠れながら(実際隠れていたつもりでもわかっていたんだろうけど)していればその後はだいぶんほうっておかれました。
別に親が育児放棄などでもなく、当時は弟の家庭内暴力とか、ともかく他に手がかかることがいっぱいで今から思えば両親とも良くこの時期を乗り越えたなと感謝しています。

学校にはまったく行っていなかったけど、ほどなく中学を卒業できパソコンを買ってもらいました。
いまでいうネト充ですね。ただし、インターネット時代幕開けの前です。
ニフティサーブ。

ニフティサーブの人文系コミュニティでネト充>オフ充>リア充とステップアップしていきました。
つまるところそこのオフ会に顔を出しているうちにそこで知り合った女性と21歳のとき恋仲に発展したわけです。

ただ僕は中学でドロップアウトしたきり、家族との関係改善や社会へのコミットなどはできないままだったから摩訶不思議な関係だったのではないかと思います。

11年付き合っていろいろなところに行きました。いろいろなことをしました。
二人の関係を簡潔に表すと、立派な社会人とニートもしくはヒモといったところでしょうか。
でも僕はそれで満足でした。どうみられようが思われようが、引きこもりだった僕を社会に導いてくれたと思っていたから。

しかしそうではなかったのです。

印象的に思い出すことは、別れる前によく言われていた「わたしはあなたのお母さんじゃない」というもので、その言葉はまったく意味がわからず、それはそうだろうそんなの知っているよ、と返していたのだけれど意味を理解しなければならないのは自分の方でした。

彼女は僕にとって恋人であり友達であり母だったんですね。
彼女は僕の全てだったのです。
なんという馬鹿なのでしょうか。
僕は僕という自分の命があって自分の人生があるのに、それを受け入れず、彼女を僕の全てにしようとしていたのです。でもそんなことはあり得ないのです。
彼女にも彼女の命があって彼女の人生があるのだから、僕の全てにはなり得ない。

僕は僕の閉じた世界に彼女を引き込んで僕はその理想世界の唯一の住人に君臨していたわけです。
だから彼女の交友関係にも家族にももちろん僕自身の築くべき社会にも興味を示せなかったのです。
たぶん、僕の知らない世界だけれども、ひとは家族、友人、仕事、趣味、恋人いろんなところにちょっとずつ世界があってそれを渡りながら生きているのでしょう。
でも僕は拒否し続けてきた。11年、いや20年僕はひたすらたったひとつの自分の世界に引きこもっているのかもしれない。

ほどなく世界の終焉を迎えました。

「他に好きな人ができたから別れて欲しい」といわれて受け入れられないとパニクっている間にも現実は先に進んでいることを思い知って、なお生きていて、それでもいまなお彼女のことを毎日毎時間考えていて、いろんなことを後悔して、もう一度振り向いてくれないものかと期待して、だめだろうと落ち込んで、それでも不思議となお生きているのです。

自宅警備員

今日は完全に自宅警備員だった。

明日自動車学校へ入校手続きに行こうと思ってたのによく調べたら月曜休校日でしたわ。
ナンテコッタ。

てことは明日も自宅警備員ですか。


今日あったこと箇条書き

両親が新橋演舞場へ歌舞伎を見に行く。

弟がコミケへ行く。そのあと打ち上げに参加するので帰りが遅くなる旨聞く。

老人ホームからおばあちゃんの下の歯が抜けたと電話で連絡が来る。
まさか半永久歯から永久歯へ生えかわる?などと思いながら平静を保とうとするも
「痛がっている様子もなく問題ないと思います」とかなり人ごとな職員の様子に心がささくれ立つ。
でも歯が抜けた絵面を想像すると思わず笑えてしまう。

100円ショップへお買い物。ノートとブックエンドを購入。
激暑。

買い置きされていたサーティーワンのアイス(チョコミント)食べる。
(カウンセリング以降食欲が戻りつつある気がする)

両親帰宅。
夕飯が外食になる模様。

時間まで部屋の観葉植物をイケアで購入してきた鉢に移し替える作業。
ツイッターのチェック。またしても礼を失していたことにショックを受け申し訳ない気持ち。
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