三年寝太郎
GCUに移ってからも、ぼーちゃんの覚醒時間は短く、泣き声どころか目を開けている姿を見るのも難しいくらいでした。
この子はほとんど寝て過ごすのかな……?と当時は本気で心配しましたが、毎日些細なことで恐竜の如く泣きまくり、寝ない子(眠れない、が正しいかな
)に大変身しました〜((゚Д゚ll))
)に大変身しました〜((゚Д゚ll))ちなみに寝てばかりだったので、直母は増えずほぼミルク。
退院後は楽ちんな哺乳瓶を好み、ほどなくして完ミに移行しました。
上の子の相手もしないといけないのでママも、ミルクだと楽ってのもあったり。
だから産後痩せなかったのかな〜

MRI結果
二週間ちょっと経ち呼吸器が外れたころ、ぼーちゃんはMRIを撮りました。
看護師さん
「検査結果を医師から説明するので都合の良い日を教えてください」
私
「(夫は仕事を抜けて……という距離ではないので)私だけではいけませんか?」
看護師さん
「ご両親揃っていただきたいです」
このやりとりで私の中でぼーちゃんの予後はグレーから黒に変わりました。
(問題ない子は保育器の前で面会に来たパパやママに「大丈夫でしたよー」と言われているのを見ていたので)
説明当日、部屋に案内されると担当医の他に別の医師が座っていて、初対面でしたが『この人がセンター長だ』と思い、ここで黒から真っ黒に変わりました。
小さい部屋にセンター長・担当医・担当看護師・臨床心理士・(途中参加)ケースワーカー+私たちとぎゅうぎゅう詰めの中、MRIの結果とこれまでの説明を受けました。
ぼーちゃんは常位早期胎盤剥離により新生児低酸素性虚血性脳症になっていたこと。
産後、新生児呼吸逼迫症候群を発症し酸素を使用していたこと。
また脳内出血が視床などで確認できたが、出血は治まっているとのこと。
生後すぐ痙攣があり、フェノバールを飲んでいること。
MRIの結果、予想よりも悪く脳の大部分が虚血状態にあるため、脳性麻痺・精神遅滞・てんかんが発生する可能性が非常に高いとのこと。
ある程度覚悟していたからか説明中は涙を流すことなく質疑応答を済ませましたが、あまりに重い宣告に保育器に戻ってから泣いてしまいました

面会
ママが入院中はNICUが同じフロアだったのでよかったのですが、退院後は実家から片道一時間弱の距離。
NICUでは中学生以下の入室ができないので、上の子を親に預けて母乳を届けに退院するまでの約2ヶ月間、毎日通いました。
本当は長くいたかったけど通勤ラッシュと重なると一時間半以上かかるので、いつも一時間ほどで帰宅するのが申し訳なく思っていました。
この間、一緒に頑張ってくれた両親・妹家族、それから夫と何より上の子に感謝です

最初は目を開けてくれないかな?
次はいつ管が抜けるかな?
酸素はいつ外れるかな?
ミルクは飲めるかな?
今日は起きていてくれるかな?
泣き声聞かせてくれるかな?
障がいを宣告されたときから、この子は成長しないんだって思ってたけど、改めて振り返るとちゃんと成長してたんだね

鼻チューの練習しましょうと言われたのに哺乳瓶で飲めるようになったね

真夏にやって来たぼーちゃんがお外の空気を初めて吸ったのは、カーディガンが欲しくなる頃でした。
白紙から
本人が泣いてない(意識がないのだから当たり前ですが
)のに私が泣いてばかりはいられません。
)のに私が泣いてばかりはいられません。赤ちゃんが産まれてから初めの大仕事「名付け」
今回、二人目+予定帝王切開の予定だったこともあり「産む直前で決めればいっか〜」と完全ノープラン

通常なら14日間じっくり考えることができますが、保険証やマル乳・養育医療等の申請をしなければならないので、急いで決めないといけません

傷の痛みや後陣痛で休みたいところ、夫から怒涛の候補LINE。
しかも自分が選んだはずなのに「これいいと思う」と返すと却下の連続

かなり迷走しながらも、なんとか2日半で決めました。
急いで病院から近い区役所に提出!
そしたら出生届は受理されたものの、養育医療の関連書類は居住地に出さないといけないそうで後日市役所に行っていました

ちなみに「ぼーちゃん」は母が呼んでいた「○○坊ちゃん」から。
響きがかわいいので、家ではもっぱら「ぼーちゃん」か「ぼー」です

初対面
自分の処置が済み、ずっと付き添ってくれた実父と話をしていると、1時過ぎに夫がやってきました。
しかしNICUからは待てど暮らせどお呼びがかかりません。
同じ緊急帝王切開だった前回は1時間くらいで呼ばれたので、やっぱり良くないんだ……と思いました

ようやく呼ばれたのは3時過ぎ。
夫が説明と面会に行きました。
産まれたときに息をしておらず呼吸器をつけていること、脳にダメージを受けているので治療をしていると教えてくれました。
私がぼーちゃんに会えたのは次の日。
色んな管につながれている姿にただただ「ごめんね」と涙が止まりませんでした。
1898gの割にはなんだかムチムチ。
点滴で体がむくんでいるんですよ、と看護師さんが教えてくれました。
週数が早いのでお腹の中と同じ暗くするためにクベース(保育器)の上には布がかぶせてあり、目にはタオルが置かれていました。
また自発呼吸がまだできないため呼吸器をつけており、栄養は点滴から。
おしっことうんちが出ていないこと、脳を保護するために3日ほどクベースの温度を下げて様子を見ますとの説明を受けました。
うまれるまで②
救急車を手配してもらって、隣の市の病院まで運ばれました。
救急車でも片道30分以上。
信号も車も多くて夜間でも結構かかります

22:30
再エコーの結果、胎盤が剥がれている可能性が高いので、今から手術をしますと言われました。
上の子のときも破水からの緊急帝王切開だったので、週数が早いため若干の心配はありましたが慌てることはなく、夫に「これから産むことになったから、来てください」と

23:40頃
手術開始
搬送中からウテメリンを最大量投与されていたのと麻酔の副作用で吐き気と震えが止まりませんでした

でも前回と違い、こちらの病院では酸素マスクもつけず手術が進みました。
(途中看護師さんが「マスクつけますか?」と医師に聞いたものの、「いい、大丈夫」と言っていました。)
2015年8月9日
0:07
ぼーちゃん誕生
泣き声はなく、すぐに蘇生処置をするため顔を見せてもらうことなくNICUに連れていかれました。
母子手帳に書かれた病院の記載は33w4d 1898gとだけ記してあります。
スタッフの方からは「男の子ですよ。NICUで処置してもらっているので、後で呼びますね」と言われ、“おめでとう”と言われない子なんだ……と。
このときとんでもないことが起きたんだと思いました。
うまれるまで①
32w5d
分娩予定のクリニックを受診。
そのときは特に異常なしでした。
33w3d
8:00
生理痛のような軽い腰の痛み。
9か月入ってるから前駆陣痛かな?
まだ出てこなくていいよ〜
と軽く考えていました。
と軽く考えていました。18:30
上の子と一緒にお昼寝して、夕方目が覚めてふと気づきました。
「お腹の子、いつ動いた……??」
真夏なのに急に寒くなったのを今でも覚えています。
気になってた腰の痛みはあったりなかったりで、明日受診すればいいかな?と思いつつも電話で問い合わせてみたところ、「念のため来てください」とのこと。
19:30
父がいたので病院まで連れていってもらいエコーの後、NSTを2回、さらにその後再エコー。
21:00
医師からは強いハリがくると赤ちゃんの心拍が150くらいから一気に20台まで落ちる、またエコーで小さな影が見えるため、一度大きな病院で診てもらった方がいいので救急車を手配しますと言われました。
そのときは、上の子グズらず母と寝てくれたかな〜とか、ここで産めないのかぁ……とかのんきな心配をしていました。
妊娠中のこと。
ぼーちゃん妊娠中はごくごく普通の妊婦でした。
食べつわりで初期なのに体重は横ばい
とか中期に逆子になったこともありましたが、何もしなくても元通り
とか中期に逆子になったこともありましたが、何もしなくても元通り(予定帝王切開だったのでクリニックからは「体操いらないよー」と言われていました。)
里帰り出産の予定だったので、32週で実家に戻った後は地元の友達と会う約束やら美容院の予約を入れたり、出産前に色々しておこう
とウキウキでした。
とウキウキでした。はじめまして
お風呂にぷかぷか浮かぶのが大好きなぼーちゃん。
先日一歳のお誕生日を迎えることができました
ぼーちゃんは新生児低酸素性虚血性脳症と脳内出血の後遺症で脳性まひがあります。
また6か月の頃にウエスト症候群を発症・再発し、これまでに2回ACTH治療を受けました。
運動精神の発達はかなりゆっくりですが、縦にも横にも平均より大きめさん

今は離乳食(初期)を練習中です。
のんびりな更新になると思いますが、よろしくお願いします


