退職して
退職の翌月には旅行に行き、その翌月には入院が決まっていた。
旅行は最高だった。
久々のアフリカ。
今まで積もり積もったストレスが、吹っ飛びそうなくらい。
「うつ」も忘れた。
病院勤めの頃は、最低、年に一回は長期(といっても、長くて2週間くらい)休暇を取って、海外旅行に行っていたから、旅行に行けないってのは、非常に不本意だった。
アホ会社にいる時、ハワイでの友人の結婚式に出るため、無理矢理5日間の休暇を取ったことがあったが、それだけでも大変だった。
で、この会社にいる限り、アフリカは無理だなと思っていた。
だから、久々のタンザニアは、ものすごい開放感。
その後、2度にわたる乳ガンの手術と治療。
一年間、仕事はせず、治療に専念。ってか、タラタラ家で過ごした。
仕事のストレスからきた「うつ」は改善したが、今度は、ホルモン療法の影響で、自律神経症状が出て、更年期うつ、みたいになっちまったので、抗うつ剤と安定剤は今も飲んでいる。寝る時は、眠剤と、勿論ガンの治療のための薬も飲んでいるので、まあ、薬漬けってとこ?
一年間タラタラした後、仕事を始めたが、その前に、もう一度タンザニアへ行っておこうと思い、昨年の2月に行った。
その後、働き始めたが、どうもしっくりこず、体調もいまいち。
通院は続いている。
病気になる前の私だったら、しっくりこなくても、辞めるということはなかったかもしれないが、もう無理はしないことにした。
で、来月には、今の職場を辞めて、さて、次はどんな所に勤めることになるのやら。
ランチタイム
彼女も私と同じく乳ガンの治療中である。
私が手術をした翌年に、彼女もガンが見つかり、手術を受けた。
で、2人の一致した意見が「仕事のストレスが原因だよ」
彼女は、訪問介護の管理者である。
でも、私が会社を辞めた後も、彼女は留まり、今も頑張っている。
「本当は辞めようと思ったけど、スタッフのみんなが戻ってきてって言ったから」そう言いながら、まんざらでもないといった感じで笑ってみせた。
相変わらず、ストレスを抱えながら、それでも、戻って良かったかな、と言っている。
私の場合、退職を決めたのと、乳ガンが分かったのは、ほぼ同時期で、周囲が止める声は耳に入らなかった。
スタッフも、私の気持ちを最終的には解ってくれた。その後、訪問看護は、次の管理者を見つけられないまま、ステーションを閉じることになった。
私が辞めたことで、ステーションもなくなったが、そのことで私を責める人はいなかった。
「責任は、会社にある」
皆そう言ったし、実際のところ、私もそう思う。
私が退職を申し出てから、実際に辞めるまで、かなりの期間があったにも関わらず、次の管理者を見つける努力を、会社は怠った。
管理者の仕事がどんなものかを見ていたスタッフは、誰も次の管理者になることを承諾しなかった。
「管理者やるくらいなら辞めます」だもんな。
まあ、無理もない。
実際、私はほぼ限界だったし・・・
仕事は山のようにあり、しかも、看護の仕事より、事務仕事が多く、会社の上司は、訪問看護の仕事がどういうものかも解らず、数字だけを求めた。
管理の仕事を相談できる相手はおらず、全て自分で調べなくてはならず、帰りが遅くなる毎日。
家に帰れば、家事をしなくてはならず、自分の時間はない。
長期休暇を取れるような状況ではないため、ずっと旅行にも行けなかった。
そのうち、夜眠れなくなり、身体は不調を訴え、感情の起伏が激しくなり、無気力になり、ヤバイと思って病院に行ったら、「うつ」と言われ、抗うつ剤と安定剤を飲みながら、仕事を続けた。
で、トドメが乳ガン。
私じゃなくても辞めるだろ?
だから、辞めたことを後悔はしていないし、あの時は他に選択肢がなかった。
でも、彼女は頑張ってる。会社は相変わらずアホなことばかりやっていて、そのことに関して、かなり愚痴も聞かされたけど、そんななかでも、スタッフに支えられながら、頑張っている。
偉いと思う。
お互い病気抱えて、家庭抱えて、仕事もして。
でも、自分のために、自分のやりたい事をやるのも大切なことだ。特に、命の危機を感じた経験があるなら尚更だ。
それは自分勝手な生き方とは違うと思う。実際、周囲への責任を果たすことも心がけているし、自分がしなきゃいけないことはやっている。
久々に彼女と話て、あの頃のことを思い出し、そして、今後のことも考えてしまった。
また一緒にランチしようね。お互い身体に気を付けて、ずっと元気でいたいねと、そう言って別れた。
次に会う時は、新しい職場が決まったという報告ができたらいいなと思っている。
去年の今日
ンゴロンゴロを出てセレンゲティへ向かう。
よく寝たはずなのに、なんとなく身体がだるい。
疲れが残っている感じ。
結構、ハードスケジュールだったからな。
ロッジを出て、クレーターの入口を通り過ぎ、草原地帯を走る。
ここらへんには、マサイの住居が点在し、放牧中のマサイと家畜の姿も見える。
しばらく走ると、キリンがいた。
キリンはクレーターの中にはいないが、クレーターの外では結構な数が生息しており、必ずといっていいほど、
その姿を見ることができる。
シマウマやガゼルも一緒にいる。
ンゴロンゴロとセレンゲティは地続きというか、隣合っていて、境界線らしきものはなく、ただ、草原の中の一本道を走っていると、道の途中に「この先セレンゲティ」みたいな看板がかかっている。
そこが境界線といえば境界線かな。
セレンゲティ側から来ると、看板には「この先ンゴロンゴロ」と書いてある。(表と裏の違い)
この移動道中でも、結構動物達の姿を見ることができて、多いのはヌー。
ケニアのマサイマラとセレンゲティを移動するヌーは、この時期セレンゲティ側に来ている。
ちなみに、私はアフリカ旅行というと、この時期なので、マサイマラでヌーを見たことはない。
今度は、ヌーがマサイマラに来ている時期に、ケニアに行ってみたいと思っている。
セレンゲティのゲートを出ると、目の前に豊かな草原が一面に広がる。
「セレンゲティ」とは、現地の言葉で「果てしない草原」を意味するが、その通りの景色なんである。
しばらく走ると、コピエが見えてくる。
コピエというのは、大きな岩山のようなもので、岩の間から木や草が生えている。
草原の海の上を漂うよう船のように、あちこちにコピエが見える。
ここは、小さなハイラックスから、大きなライオンまで、色々な動物達が住家として利用する。
なかなかの景色である。
広大な草原を列を作って歩いて行くヌーやシマウマ、ガゼルの姿も見える。
ハイエナやライオンのような肉食獣もいる。
フンコロガシが車の中に飛び込んできて、カヨちゃんは大騒ぎ。
まずはロッジへ。
ロッジは、セレンゲティの中心部に位置する疎林帯、セロネラにある。
入口に看板がかかっていて、「動物に水道管を壊されて、現在修復中」とある。
このため、水(お湯も)は朝方と夜の数時間しか出ないという。
あらら~。
まあね、そういうこともあるだろうね。
騒いでも仕方ない。
トイレの水も流れないので、用を足してもそのまんま。
夜、水が出るようになったら流すしかない。
ロッジで昼食を取って、少し休憩してから、サファリに出かける。
セレンゲティは、ものすごく広い場所なので、ンゴロンゴロに比べると、動物に会える確率は低くなる。
動物達が散らばっているからだ。
ヌーやシマウマは、今の時期、セロネラよりも南方のゲート近くの方が多く、セロネラ周辺にはほとんどいない。
いるのは、インパラやキリン。
ゾウやバッファローも。
あんまり広すぎて、どこを探したらいいのやら。
それでも走っているうちに、ちらほらと姿を見せてくれる。
無線が入り、ピーターさんがいきなり車のスピードを上げた。
走る走る。
こんなにスピード出していいんかい?
で、着いた場所には、すでにたくさんの車。
何がいたか?
ヒョウである。
木の上で、のんびり休んでいるヒョウ。
ヒョウはめったに姿を現さない。
見られるのは、本当にラッキー。車も集まるわけだ。
美しい動物だ。
その美しさゆえに、密猟者にも狙われるが、ヒョウの毛皮はヒョウが身につけてこそ美しいと思う。
ヒョウに限らず、動物の毛皮は、その本来の持ち主が身につけているから美しいのであって、
人間が身につける物ではない。
サファリの帰りの道中、カヨちゃんの元気がない。
具合が悪そう。
本人が言うには、荷物がないため、寒くても羽織る上着がなく、風邪をひいたようだという。
そりゃ大変。
セレンゲティに着いたのに、カヨちゃんの荷物は届かない。
不便な中でも頑張っていたカヨちゃんだけど、こういう落とし穴があったか。
とりあえず栄養はつけないといけないので、夕飯は取って、私が持ってきていた風邪薬と抗生剤、
消炎剤を渡して飲んでもらう。
問題は明日だ。
明日は、セレンゲティの保護区外でウォーキングを予定している。
体調の悪いカヨちゃんにできるか?
私自身も、ここにきて疲れが出始めている。
一年前なら多分大丈夫だったろうが、病気持ちの身には、やはり少々ハードなスケジュールだったかなと
思い始めていたところ。
無理して、その後に響いてもいけないので、ピーターさんとも相談して、明日のウォーキングは取りやめにした。
「ちょっとゆっくりしましょう」ということになり、明朝のサファリの出発も遅めにしてもらうことにした。
休憩が必要。
早めに休むことにする。