*新しい苫米地理論の

定理26『涅槃寂静定理』に関する内容を追加しました。


私たちは、しばしば二者択一の場面に遭遇します。


ここで人生を変えたいんだという場面で、

二者択一の選択を自分に迫ります。




このままでいいのか、それとも一歩踏み出すのか。


現状に不満があり、外へ飛び出そうとしているからこそ、このような状況が起こるのだと思います。


しかし、しばしば冷静でいられない、二者択一を自身に迫る状況が起こるなら、自分がいまいる場所やゴール設定を、もう一度見直した方がいいかもしれません。


    

もし、日常生活の中で、しばしば冷静でいられない状況が起こるなら、自分がいまいる場所やゴール設定を、もう一度見直した方がいいかもしれません。

(略)

冷静でいられないような危機的な状況がしょっちゅう起こるのは、いまの生活がコンフォートゾーンではないということであり、ゴール設定が正しくないということなのです。そんなときは、ゴール設定の見直しをしてみましょう。

(略)

仏教で教えている方法の中でも、冷静さを保つうえで特に有効なのが、「嫉妬」の項でも触れた「止観」です。


苫米地英人著『「感情」の解剖図鑑』p136-137


止観について、まといのば本家主宰の記事を引用します。


 

自我というスコトーマがあると大事なものが視えなくなります。自我を捨てることはできませんが、一瞬だけでも自我を消去すると、目の前に広がるゴールの世界が視えてきます。それが止観であり、自我を止めて情報空間を観ます。
幸せになることができた、手を伸 ばせば届くほど、あんなに近くに あったのに...(プーシキン『オネー ギン


話は戻って止観です。

止めて観るのです。

何を止めて観るかと言えば、そこで動いているアルゴリズムを、です。
(略)

しかし、止めた状態の知識を丸暗記してしまうと、ダイナミックに動いた絵が観えなくなります。

すると、良かれと思ってま真反対の結論を演繹してしまうのです。

同じ知識を持っていても、それがStatic(静的)なのか、Dynamic(動的)なのかによって、結論は180度変わるのです。
しかし善悪を知る木からは取って 食べてはならない。それを取って 食べると、きっと死ぬであろう

(『まといのば』本家主宰のブログより引用)


現状に不満があり、外へ飛び出そうとしているからこそ起こる、


『このままでいいのか、それとも一歩踏み出すのか。』という二者択一の場面では、


まずは、正解を求めるのではなく、止観によって、

認知の地形内での自分の動きを観ることが大切だと思います。


山に押されているだけなのか、それとも、

ゴール方向への新たな谷へ流れ落ちているのか。


シン・気功Club Masteryで学んだ、

新しい苫米地理論の

定理4の『苫米地臨場感加重定理』では、



臨場感がTCZ内に山や谷を作り、その谷が新たなTCZを構成するということであると理解しました。


定理4を図で表すと、



緑色で示したものが現状の盆地であり、

ピンク色で示したものが新たな盆地です。


山ができると山に押されてその場を避けるようにただ滑り落ち、

谷ができるとその谷が新たなTCZを構成することによって新たなTCZへ滑り落ちます。


もし、日常生活の中で、しばしば冷静でいられない状況が起こるなら、自分がいまいる場所やゴール設定を、もう一度見直した方がいいかもしれません。
(再掲)


上記の状況を、定理4の図で説明すると、


しばしば冷静でいられない状況が起こるということは、

山に押される形で一時的にV=θに接近した状況が起きているのではないかと思います。


現状への不満が山となり、いまいる場所から一時的に離れることができたとしても、


谷によって新たなTCZが構成された訳ではないので、

滑り落ちるように以前とあまり変わらない状態に戻っていく。


「努力したけど、結局変わらなかった。」


一般的によく聞くこの言葉に関しても、定理4の図を通して、新たな視点で捉えることができると思います。


そんな、変わりたくても変われないという状況に悩む人がいる一方で、どんどんゴールを更新し、移動している人は、


その先にある、より望ましい谷を観ているのだと思います。




でも・・・皆「何か」に背中を押されて

地獄に足を突っ込むんだ

大抵その「何か」は

自分の意思じゃない

他人や環境に強制されて仕方なくだ


ただし

自分で自分の背中を押した奴の見る地獄は別だ

その地獄の先にある何かを見ている

それは希望かもしれないし

さらなる地獄かもしれない

(諫山創『進撃の巨人』)


ゴール方向への谷がなく、ただ山に押される形でV=θ近傍にいくことは、辛いだけであり、ある種の地獄ともいえる状況です。



新しい苫米地理論の定理26である、

『涅槃寂静定理』を受容し、涅槃(生きたまま、この先永遠に苦しみがゼロ)をゴールとして設定することによって、

現状と涅槃との距離が決まり、指数関数的な速度で下がってくる天井に押されるように、

涅槃へ収束していく未来時間が流れ始めます。



我々は、涅槃(生きたまま、この先永遠に苦しみがゼロ)をゴールとして設定し、

現状のV=θ近傍のその先にある、希望の谷を観てどんどん移動していき、最終的に涅槃へと到達したいのです。



我々は、TCZから出ることは無く、

ゴール側のシンボルを受容することで新たな谷が作られ、

その谷がどんどん深くなり、新たなTCZを構成します。


その結果、現状の位置が、

新たなTCZのしきい値(θ)の外になることによって、

指数関数的な速度で下がってくる天井に押されるように、

TCZへ収束していきます。


そして、現状の外にある希望の谷を見るためには利他性が大切になってきます。


    

外に出るには利他性が大切になってきます。他人を利することを考えると、前にも書きましたが、現状の外が見えてくるのです。現状とは自分にとっての居心地のいい空間ですから、そこに利他の視点を入れれば、当然、現状の外になるからです。

利他性というのは、自分の意思で現状から飛び出す糸口なのです。

利己的ではなく、利他的に生きる。

苫米地英人著 『オーセンティックコーチング2026』p263


利他的という言葉を他の言葉で言い表すと、抽象度という言葉であり、先日のシン・気功Club発足 & RAyCademy1周年記念セミナーで学んだ以下の図で表すことができます。



定理4の図も並べてみましょう。



局所解を拡げるとは、リアルに人と会い、受容していくこと。

 

概念としてではなく、物理空間にリアルにあるものを知り、リアルで会うことの大切さを感じました。


局所の範囲をグイッと引っ張る感覚。



セミナーで色々な方と実際にお話して素敵な笑顔を見ると、グッと身近に感じることができました。

冷静でいられない状況では、現状の中で頑張って何かを選択するのではなく、

色々な人と会い、局所の範囲を拡げることを意識してみることで、

今まで見えていなかった選択肢に出会うことができると思います。


現状の自分で判断せずに、未知の場に出ていくことで新たな関係を築いていきましょう。


    

その難しさとは、「やったことのないこと」をするときの「恐れ」「恐怖」です。

これを別の言葉でいうと、「コンフォートゾーンから出ることができない状態」です。「コンフォートゾーン」とは文字通り、居心地のいい環境です。「自分のやりたいことをやってみる」が難しいと感じる人は「自分の慣れ親しんだ場所」から出るのが怖いのです。

しかし、「慣れ親しんだ場所」から出ていけば、新しい人やものとの出会いがあります。その出会いは当然ながら「過去になかったもの」ですから、やがて創造性へと結びついていくのです。

よって、クリエイティブとは、これまでの慣れ親しんだ環境や居場所から出て、未知の場に出ていくことが大切になります。ただし、ただ、出ていけばそれでいいわけではありません。例えば、旅行に出ることは良いリフレッシュになるかもしれませんが、コンフォートゾーンを変えたことにはなりません。大切なのは、誰といるのか?です。人間関係を変えることがコンフォートゾーンを変える一番のポイントになります。


苫米地英人著『生成AIの正体』p153-154


今回も読んでくださり、ありがとうございました。



シン・気功Clubの仲間である、Risakiさんのゴール設定のアプリを使わせていただいています。

手元にあるスマホですぐにゴール設定できるのが魅力です。
特に、
ゴール設定をすると、Leap passという、ゴールの世界への搭乗券が発行されるのですが、その搭乗券が可愛くてどんどんゴール設定をしたくなります!