NO ELVIS, NO AMERICAN. #2 | JOSE❛n❜GEE   Party club

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 NO  ELVIS,  NO  AMERICAN.#2 
「エルヴィスがいなかったら、
アメリカの人々にとってミュージック・カルチャーは
50年代で終わって何も出て来なかった…と想像するだけでも
恐怖の何ものでもない。」
これは強い逆説のパラドックスのつもりです。
くれぐれもエルヴィスはない…とは読まないでください。


エルヴィスはアメリか音楽をミックス,コンバインして全てを
試したいという野望があったのだろうか。いかなる壁や障害が
あろうとも、やりたいことはやってみせたかった、
先ずは幼い頃から慣れ親しんだブラックミュージックをコン-
バインすること。これは初のレコード・カットした時から既に、
人々に驚きをもたらせて達成している。

次にエルヴィスは初のレコード・カットして売り出した間際は
ラジオのリスナーからは、どうしても黒人が歌っていると思われた
白人には違いなかったのに。時代はホワイト・ミュージック特に
ポップスのメーン・ストリーム(白人主流)シンガーのビッグ・
スターが枚挙のいと間もなくいた、例えば少なくとも日本でも
エルヴィス以前から絶大な人気があったフランク・シナトラ、
ディーン・マーティン、ペリー・コモ、アンディ・ウィリアムス等、
勿論彼らにロックは出てこない知る由もなく朗々とバラッドを、
それも食事とお酒が出るボックス・シートのあるラウンジ・ステージで
ビッグバンドをバックにストリングス・パートが入った曲目をアップ・
テンポも歌う。実に贅沢な豪華なステージで観客を楽しませる。
エルヴィスはこんなメーン・ストリームにいつかはとあこがれもあった
かもしれない。このミュージック・カルチャーに、ロックをブチ込んで
若い層の女の子達を新しい世界を味あわせることができると思ったに
違いない。その他あくまでも私の個人的な感想に過ぎないが。更に言って
しまえば伝統的にあったがもう古臭いカントリーミュージックも白人音楽の
主流の一つだが、お決まりの10ガロン・ハットにソロでもグループでも
フリル付きのウェスタン・ジャケットそしてギターをポロンポロンとひいて、
直立不動のノ~ンビリした、いかにも田舎臭い歌い方で全くのスロー・
テンポのこれにはさすがのエルヴィスも我慢できなかったと思う、
一部都会的なアメリカ人が皮肉っぽく笑わらってしまう、ジャンルを別に
してポップス・バラッドをもっとエクィサイティングにいくらでも朗々と
歌った方が若い世代に喜ばれると思ったに違いない。
そして時代はエンタティメントの王道である映画でニューヨーク・ブロード・
ウェイのミュージカル劇場にてヒットした作品をとり上げて新しいアレンジ、
映画の中に大がかりなセットを使って賑やかな白人が主役の例えばフレッド・
アステア、ジーン ケリー等の軽快に歌って踊ってのミュージカル映画であれば
観客動員のあるミュージカル映画をサンプリングしたいと思ったに違いない、
勿論エルヴィス・オリジナル映画にヒット曲満載のサウンド・トラック版の
映画ビジュアルでビデオ・ムービーのでてくるはるか以前の試みだ。
パートナーのラヴリーガールが映画ごとにかわるラヴ・コメディに仕立て
られて、楽しければ、それで娯楽映画として最高だと思う。
アメリカではショー・ヴィズについてメディアや口うるさい評論家がとかく
良く言わないケースがあるのは、アメリカらしい。
お堅い映画とは別にして、エルヴィスのハリ・ウッド,ゴールディン映画で
あればそれで最高。
ただこの時代の映画はエルヴィスの映画でも黒人はその他多数でも出ていない。
いずれエルヴィスはホワイト・メーン・ストリームを席巻していった ‼‼‼‼